戦争心理学だとか言って 「集団浅慮バイアス」だとか「集団極性化バイアス」なんつう話が出ているんだが
そんなものは中学生のイジメでも働くバイアスである
日本大学の組織腐敗においても 東京電力福島第一原子力発電所における無責任性においても「集団浅慮」は働いているのである
暴力に依存した集団が より暴力的に極性化するのは当たり前の話で 別に軍隊の中だけの話ではなくて 一般市民の暴動でも働くものである
暴力的で「怖い」相手の主張ばかりがまかり通るようになるのは 暴力的加害集団の中では普遍的に見られるヒトの本能習性であり
日本大学の中では理事長幹部達による左遷やリストラを怖れることで 腐敗した封建的組織の温存維持や傍観放置という盲目性によるものである
こうしたヒトの盲目性というものは環境資源の奪い合い競争において有利に働いたからこそ ヒトの本能習性として組み込まれたのである
人工的な森林開発によってチンパンジーの生息環境の環境資源の枯渇により チンパンジーは普段は仲良くしているヒヒやゴリラまでをも殺害するようになったという
ヒトという種の生物の祖先が 環境資源の枯渇の際に 限られた環境資源の奪い合いが一切なかったという証明は不可能である
自然環境というものは 人工的開発がなかったとしても 決して完全無欠の定常安定ではなく 時折天災による大きな環境変化は起こり得るものであり
精神的ストレスがかかった際にヒトが集団統率的暴力破壊を行う先天的習性があっても何ら不思議ではない
実際に相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の報道に対し 梅沢富美男による「こんな奴は死刑にしちまぇ!」発言に多数の衆愚が同調したことからも ヒトは気分的ストレスがかかると懲罰的暴力で短絡的に「解決」しようとしたのである
オサマ:ビン:ラーディン容疑者に対して米国政府は 「容疑者」でありながら国際司法裁判にはかけずに 殺害して海洋に遺棄し「正義の鉄槌を下した」などと勝手に決めつけている
それでも誰も「法手続き的におかしい」とは言わないのは 2001年9.11のテロがあまりに衝撃的だったからであろう
ヒトという種の生物は 状況によっては簡単に論理客観性を喪失し 短絡的で合理性のない行動判断をしてしまうものなのである
「集団浅慮バイアス」だとか言っているが そもそもヒトなどという生物は物事を深く論理客観的に「考えて」などおらず それが集団になると余計酷くなるだけの話に過ぎない
「哲学者」の権威肩書を持ったバカ共によって イマヌエル:カントの「純粋理性批判」などというオカルトファンタジーを「近代哲学の最高峰」などと形容していたのであり それに対して誰も批判もしなかったことも含めて ヒトの大半は先天的に自分の頭で物事を考えないバカなのである
世の中「極刑を持って罪を償うのことが尊厳」などと言い出すバカが大半だが 人命に関わる社会安全性を優先せずに倫理も尊厳もヘッタクレもあったものではない
法手続きという「形式」に依存し それが本当に論理客観的合理性を伴うのかどうかを「考え」なくなる原因は 「長い時間」継続している因習に対する主観的安心(無意識)によるものである
Ende;