goo blog サービス終了のお知らせ 

ロンドン ボヘミアン通信

趣味と好奇心の趣くままの、気ままなロンドン生活日記

ラファエル前派展@Tate Britain

2013年01月08日 23時43分55秒 | エギシビション・レビュー


Beata Beatrix
Dante Gabriel Rossetti

テート・ブリテンで開催中の、「ラファエル前派展」、終わる間際(13日で終了)に行ってきました。いやーーーー、すっごい混みようでした。人疲れしそうだから、さら~っと流して見よう、と思っていたけど、見始めると真剣に見てしまい、3時ごろに入って、結局出たのは5時半閉館ぎりぎり。「歴史」「自然」「美」などのテーマに部屋が分かれていましたが、「宗教」の部屋が結構面白かった。ラファエル前派って、上の絵のような美人画が人気で良く知られているけれど、宗教を題材にした絵も結構描いていたんですね。


Mariana
John Everett Millais

腰掛けの朱色とドレスの紺色の対比が効果的でキレイ。美しい背景と、美しい女性を題材に「あーー、根つめて刺繍してたら、疲れたーー、腰痛い~」なリアリズムが盛り込まれているところがイイですね。画面のど真ん中に縦に人物を据えて画面を右と左に分けちゃうのって、かなり斬新な構図なんじゃないかと思うけど、ぎくしゃくしないでうまくまとまっている。

絵とは関係無いけど面白い! と思ったのは、この絵のプロブナンス(来歴)。テートが1999年から管理してる絵なのですが、「イギリス政府に、税金の代りに収められたものを、政府がテート・ギャラリーに振り分けた」、となっていました。へえー、政府って、税金、物納でも可なんだー。...ていうか、「借金(税金)のカタに、これはもらっておく」って感じー? これを元々持ってた所有者、こういう資産はあるけど現金が無い状態の、貴族の末裔か何かだったのかなー、なんて想像が膨らんでしまった。「えええぇ、お代官様、それだけはご勘弁をーーー」なんちて。


Valentine Rescuing Sylvia from Proteus
William Holman Hunt

シェークスピアの初期の喜劇「ヴェロナの二紳士」を題材にした絵。シルヴィア(中央で膝をついている女性)に狼藉をはたらこうとしていたプロテウス(右)を、彼の親友、バレンタインが止めに入ったところ。左側に立っているお小姓姿に身をやつした女性は、プロテウスが故郷で付き合っていたジュリア。恨めしそうにプロテウスを見つめながらも、彼にもらった指輪を背中側でいじっています。

ラファエル前派って、色鮮やかで衣裳はコスプレ的にド派手で、ドラマチックな絵画が企画・演出されているところが見ごたえがあります。ベルベットやゴブラン織りなど、厚みのあるゴージャスな布のテクスチャーの表現も優れていて、触ったら本当に布の感触があるんじゃないかと錯覚してしまう。人物の表情もリアルで、私の頭の中では勝手に登場人物がセリフをしゃべり始めてしまいます。「いてっ。いってえなぁー。バレンタイン、そんな本気で殴んなくったっていいじゃんかよぅー、ちょっとふざけただけなんだから。」えーと、実際は良家のお坊ちゃんなので、こんなしゃべり方はしないと思います。ところでこのプロテウス、結構イケメン君だよね。


The Man of Sorrows
William Dyce

宗教ネタ、行きます。荒野で瞑想するイエス。でも背景は砂漠ではなく、スコットランド。下の絵画では、背景をスペインのアルハンブラ宮殿にしちゃったり、宗教画なんだけど、各作家の美意識に従って結構好き勝手にやってるところが面白い。


The Finding of the Savior in the Temple
W H Hunt

「過ぎ越しの祭り」で親子三人、エルサレムに出向いた帰りにイエスが迷子になっちゃった時の絵です。というより、イエスは勝手に一人でエルサレムに残って当地の知識人達と寺で議論を戦わせていたのですが、てっきりイエスは自分達と一緒に着いてきて居るとばかり思っていたマリアとヨゼフ、途中でイエスが居ないのに気付いて3日間探し回ってやっと見つけた、という話。マリア様の、「んもうーっんもうー、この子はーーっ。三日も探したのよ、心配したのよーー」っていう表情がよくでてる。これに対して、「...ていうか、僕が父さん(神)の家にいるの、当然じゃない。どうしてもっと早く迎えに来ないワケ?」っていう表情のイエス。あ、このセリフは今日本で人気の漫画、「聖おにいさん」から拝借しました。イエス、確かにそういう顔してる。周りの知識人達は、アラブ系の濃ゆい顔に描かれているのに対して、イエスとマリア様は妙に西洋寄りな顔っていうところも面白い。紫やマジェンタやビリディアンといった鮮やかな色がポイント的に使われていて画面がキリッと引き締まっています。


Christ in the House of Parents
J E Millais

マリア様とイエスが、お父さんのヨゼフの大工仕事の工房に居る日常生活を描いた絵画。イエスが仕事を手伝っていて、手に怪我してしまったところをマリア様が慰めているところ。「ママ~、お手てに釘が刺さっちゃったのー。痛いよー」っていう、ちょっと情けない顔のイエス。上の絵の小ざかしい顔のイエスとは随分違う。大工のヨゼフ父さんは思いやり深そう。後にイエスが十字架に架けられるのを暗示する絵ですが、血が一滴、足の、楔が打ち込まれることになる場所にも滴っているところがまた芸が細かい(この画像では小さくて見えないけど)。


The Shadow of Death
William Holman Hunt

もう少し成長したイエス。ヨゼフ父さんの工房で大工仕事の後、大きく伸びをしたら、その影が後ろの大工道具をかけてある木の板に、まるで十字架に架けられているかのように映って「なな、何て不吉な!」と、マリア様が慌てふためいている様子を描いたもの。...しかしこのストレッチの仕方、ポーズにムリがあるよねー。こんな中途半端な伸ばし方じゃぁ、肩の疲れは取れないぞー。ところでこういう感じの、ちょっとヒッピー(死語)っぽい、純真な目をした若者って、イギリスに結構いるよね。

あとこの絵は、マリア様の着ている服の表現が素晴らしい。太い麻の糸で織られた目の粗い麻布を藍で染めました、っていうごわごわした感じが、すーっごくリアルに描かれているのです。おぉ、なんてエスニックでおしゃれなのかしら。これはウィリアム・ハントが、実際にナザレ、ベツレヘム、エルサレムを訪れて、当地で描いたものとかで、現地の人が着ているものを観察して描いた模様。しかし向かって右のノコギリ、今の時代でも使えそうなピッカピカで立派なものだけど、この時代にこんなにキレの良さそうなのこぎりが、果たしてあったのか? (細かいことにウルサイ)。


The Light of the World
W H Hunt

ヨハネの黙示録3‐20の、「私が扉をノックする音を聞き、戸を開けるなら、私は中に入って彼と食を共にし、彼もまた私と食を共にするであろう」で、イエスが人類の魂を救う光を携えて、ドアをノックする、の図。キリストの訪問はありがたいですが...しかしバックライトで顔を照らすの、やめてくださいね、怖いから。...と、つい頭の中で突っ込みを入れてしまう私でした。イエスの持っているランタン、とても装飾的で、うちにも一個欲しいです。これで魂が救われるっていうのなら、なおさら欲しいです。


Chill October
J E Millais

最後はちょっと地味なんですが、荒涼としたスコットランドの10月を描いた何の変哲もない風景画...なんだけど、なんか、妙にひきつけられます。空気が湿っていて、寒々とした天候が肌で感じられるようなグレー・トーンなのにも関わらず、画面は何だか光っているよう。手前の立ち枯れた草は、綿密に描き込まれていて、雑草なのに主役級の扱い。不思議な魅力のある絵です。これは個人蔵なので(持ち主は、Lloyd Webber卿)、また見る機会は無いんだろうな、っていうのが残念。


ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。



デービッド・ナッシュ@キュー・ガーデンズ/David Nash@Kew Gardens

2012年05月19日 00時32分15秒 | エギシビション・レビュー


なんだか「指輪物語」(Lord of the Rings) に出てきそうな感じ。

キュー・ガーデン その2

キュー・ガーデンの、小さい方(といっても大きいけど)の温室に入ったら、いきなりこんな、木のスカルプチャーがにょきっと姿を現しました。デービッド・ナッシュ(David Nash)の木を使った作品のインスタレーションがあるという話は、キュー・ガーデンズのウェブサイトに載っていたので知っていましたが、屋外でやっているものだとばかり思っていました。


実は屋外のインスタレーションは今まだ準備中で、6月9日スタートなのだそうです。この温室での展示は、それに先駆けて行われている模様。私、このアーティストの作品は結構好きなので、嬉しい驚き。この作家、ロンドンのギャラリーで見せたりすることは滅多に無い人なので、本で写真しか見たこと無かったんです。






このアーティスト、木を素材にスカルプチャーを作り続けて30年。嵐や落雷で折れたり倒れたり、または病気に罹って切り倒さなくてはならなかった木を使っているとか。キューのウエブサイトによると、環境保全についても、かなり意識が高い人の模様。



人の手が加えられて造詣され、部分的に焼かれて黒い部分があったりするスカルプチャー。けれど素材が木であることと、オーガニックな形のせいか、まるで100年前からここにありました、ってくらい周りにすごくしっくりと溶け込んでいる。私の目には、これらのスカルプチャーがあることで、温室内の植物がより引き立って見えました。逆に、周りの植物が、スカルプチャーをより良く見せている、とも言える。この人のスカルプチャーは、従来の真っ白なギャラリー空間よりも、こうした有機的な空間の中にあった方が、断然映えると思う。こういう中にあると、まるでスカルプチャーが生きて、呼吸しているみたいに見える。


私のお気に入り、巨大スプーン・スカルプチャー

しっかし、こういうのは、野郎の作品だなぁ、と思う。アーティスト自ら、がしがしナタを振り下ろして形を出していくのだそうだ。腕力が無いと、出来ない。でもあこがれちゃうなー、そういう作品の作り方。作品を彫って彫って、というプロセス自体が、強力なカタルシスを与えてくれそうだ。温室内の作品は、規模の小さなものもあるけど、現在屋外で準備中のインスタレーションは、また全然規模の違う大きなものが幾つもあるらしい。それがオープンしたら、また見に行かなくっちゃ。





ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。



ドガの踊り子展とその模写

2012年05月14日 00時55分47秒 | エギシビション・レビュー


青いチュチュが目に鮮やかで美しい、と思い自分でも描いてみた。
でも蛍光発色のような青は中々出せません。

もう去年の12月の話だけれど、ロイヤル・アカデミーでドガの描いた踊り子展を見に行った時の記録。最近、ロンドンで大物の展覧会があると、とにかくすごく混むんだけれど、ドガ展も例にもれず。本当なら、好きな絵の前で心ゆくまで時間を費やして、隅々まで観察して、できることならその場でスケッチなんかしたいものだと思うけど、これだけ混んでいると回りに気を遣ってしまって、そういうのもままならない雰囲気。なので展覧会のパンフレットとか、絵葉書を見て後で模写してみました。



ドガの描いたデッサンを見ていると、「あー、ドガって、特に技術的に優れた職人ってわけじゃー無かったんだなー」と思う。私の中で、絵画技術に優れた画家の基準というのがあって、それは「手をきちんと描けること」なのですが(ダ・ヴィンチはすごいぞ)、ドガ、バレリーナの手、描けてない…。何となくぼかして誤魔化している。いかにも、「手を描くの、苦手~」っていうのが伝わってくる。…けれども、技術的に甘いところはあるかも知れないけれど、ドガの線には彼にしか出せない雰囲気がある。そして、「他の誰にも描けない線を持っている」のと、「どうしても描きたい題材がある」っていうのが、アーティストには一番必要なものなんじゃないかと思う。



この赤いウォーマーを着た女の子、携帯でしゃべっているように見えて仕方が無い。
「今リハーサル中なのよー。終わったら迎えに来てくれる~?」なんちて。

ドガは、バレリーナを沢山描いたけれども、実は別にバレリーナを描きたかったわけではなく、バレリーナを通して光とフォームを描きたかったんじゃないかな、という気がする。どの絵を見ても、バレリーナの顔をはっきり描いてあるものはないし、こちら側で受ける印象は、光、色、それを反映する形、というのが全体を貫いていると思う。


とっちらかっております、机の上。

あと、意外にすごく良かったのが、ドガの撮った写真。この時代、ちょうど写真技術が発達してきた頃で、カメラは時の先端機器だったらしい。それでドガも実験的にこの新しいメディウムに挑戦していた模様。彼の写真は、白黒の陰影が流れるようですごく雰囲気があり、この人、フォトグラファーでも成功しただろうな、思いました。写真は4枚くらいしかなかったけれど、切実にもっと見たい!と思ったし。


ところでドガの踊り子展と協賛で、ロイヤル・オペラ・ハウスでも、Insight Evening でドガ展が取り上げられた時の動画がYou Tube にありました。昔のバレリーナと今のバレリーナの違いが、実際のプロのダンサーをモデルにして語られていて面白いです。

ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。



デミアン・ハースト展@テート・モダン

2012年05月09日 23時33分22秒 | エギシビション・レビュー

The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living, 1991

デミアン・ハースト展を観てきました。土曜日の夕方で、美術館が遅くまで開いているのはテートくらいしか思いつかなかったので、まぁ、行ってみるか、くらいの気持ちで、あんまり期待してなかった…けど、意外に良かった。デミアン・ハーストって、美大の学生だった頃にさんざん見た気でいたんだけど、実は案外実物は見てない作品が多かったので驚きました。きっと、新聞や雑誌で取り上げられることがすごく多いアーティストなので、多分写真を見て本物を見たような気になっていたんでしょうね。何と言っても、「美術界のデービッド・ベッカム」ですから…って、今勝手に思いついて名付けてみた。


Holidays

この人、ものすごく仕事がきれい。…まぁ、技術者に頼んで作らせている部分も勿論多いけど、本人も実はすごく仕事ができるし、自分の意図する仕上げにもっていけるように人を使えるというのも大きな才能の一部だと思う。この隙の無い完成度の高さが、もともと冷たい印象を放つ作品をさらに際立たせているように思う。…こういうのって、例えばキャビネットの角がキッチリあっていなかったりとかすると、一気に作品のテンションが下がってしまう。




初期の、牛の頭と沢山の生きたハエをガラスケースの中で展示したりとかのエグイ系の作品も色々あったけど、ぱっと見て美しい作品も沢山ありました。特にこの、ステンドグラスのように蝶を並べて貼り付けた作品とか…。生きた蝶々そのものを部屋の中に放したインスタレーションもあったり。この写真の作品は遠くから見て、私はてっきりガラス作品と思い、「あー、最近はステンドグラスで曼荼羅作ってるのかー。そっちの方向に行ってるんだー。年取って、穏やかになってきたんだねー。」と勘違いしたんですが、近寄ったら蝶々の羽でした。全然、穏やかじゃなかった。



あんまりキレイだったので、撮影禁止だったんだけど内緒で一枚パチリ
蝶がちょーキレイ…すみません。失礼しました。

これって、「作品の為に、こんなに沢山蝶々を殺していいのか云々」みたいなジレンマを心の中に生むんだけれども、それを超えて美しい。この人は「生と死」をテーマにした作品をずっと作り続けているけれど、常に「死」の側に立って「生」を見ているよなー、と思う。どこか、スコーンと抜けた視点みたいなものも感じる。「この世に生を受けて生きるのって、ゲームなんだよね~。」っていうのをよくわかっていて体現してるみたいな感じ。だから多分、どんだけ美術評論家やメディアに叩かれても痛くも痒くも無いんだろうなぁ。


最後の方の部屋には、こんな天使の大理石彫刻があったりして、何やら「おいでませ、神の国」的な雰囲気になってくる。…ただこの天使、解剖学モデルにされちゃってますが。



精霊の白い鳩、イエス・キリストのお父さんまで、ホルマリン漬けになってる。地上の生き物だけでは飽き足らず、神の国も保存したくなっちゃった模様。…それにしても、たった一羽の白い鳩のシンボリズムって、すごいですね。

エキシビション全体から受ける印象は…それぞれの作品の完成度が完璧なまでに高くて、「その奥」にあるものを探ろうとすると、「そんなもの、無いよ。」と突っぱねられてしまう感じ。「この世はすべて、スキン・ディープ~、ちゃんちゃん」みたいな。「生と死」がテーマなんだけれども、とても乾燥していてクリーン。美しいものの中に、なんかすごくクロい、ダークなモノの気配も感じるんだけど、気配だけで、ソレは絶対に尻尾をつかませない。…という感じでした。

ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。



デービッド・ホックニー展(4)

2012年04月08日 00時00分00秒 | エギシビション・レビュー

まだまだ引っ張る、デービッド・ホックニー展。4月9日(月)で終わっちゃうんだよね。こんなに大人気なら、ロイヤル・アカデミーとしては延長したいところだろうけれど、後の予定が既に詰まっているからそうもいかないんだろうな。

さてさてホックニー、絵を描く道具としては、油彩が一番好きみたいだけれど、新しい技術が開発されれば、それを使ってみる、という好奇心やチャレンジ精神も実に旺盛。それで今回は、iPadを使ったドローイングが、大きな一部屋、壁一面に展示されていた。


(画像が暗くてスミマセン)

うわー。iPadでお絵かきって、楽しそうだなー、と思わせる作品群。しかし、あんな小さな画面に描いたものを、ポスターサイズ以上の大きさに引き伸ばして、どうしてピクセルが出ないんだろうー。不思議。現代技術ってすごいわ。そしてそれを見事に使いこなすホックニーもすごい。脳みそが柔軟なんだなぁと思う。年を取ってくると、新しいことを学ぶのが億劫になって、変化を厭うようになってくるけれど、私は是非ホックニーをお手本に歳を取りたい、と思う。

テレビのインタビューでは、「こうした技術を使うのは、ズルしてるとは思いませんか? 」というインタビュアーの質問に対して、「素早く、正確にデッサンが出来るアーティストというのは、とても少ない。でも、そうした事を可能にする道具が開発されたのなら、それを使うことはあたりまえだと思うし、ズルしてるとは思わない。iPad は、スケッチブックと筆と絵の具が一つになっているようなもので、外で写生するのに余計なものを持ち運ぶ必要が無くてとても便利」と言っていた。…何か、インタビュアーの方が年がずっと若いのに、頭がホックニーよりも固いなあ。

そして、古典的な絵画の手法で描かれたものに加えて、今回は、こんな面白いビデオワークもありました。


壁一面に18枚のパネルが張られ、そこに少しずつ違った視点で録画された、ヨークシャーの田舎の風景が投影されている。風景は、撮影する車がゆっくり動くのに従って、少しずつ変わっていく。ぼぉーっと見ていると、本当に田舎の風景の中にいるようで妙に癒される。催眠術にかかったみたいな気分になる。


…しかしホックニーには、風景はこのように見えているのですね??? 彼の目は、カメラ仕様に加えて、ふ、複眼なのですね?!  …冗談はさておき、こういう作品を見ると、ホックニーは、「人の目は、視界に入って来るものをどのように見ているのか」というテーマを、執拗に追い続けているように思います。そして、それを実際に人が見ているような形で画面に再現しようと試みているように思える。遠近法で、一点消失法という技法で描かれた絵は、見る人の視点が消失点に固定されてしまっているけれど、実際のところ、人の視点というのは常に動いていて、一点消失法のように固定されてしまうことは決してないわけだし。…そういう、人の「動く視点」を、こういう形で現そうという試みって、すごく面白くて刺激的だな、と思う。

ところでYouTubeを検索していたら、ホックニーが中国の古い絵巻物とカナレットの一点消失法を比べて、絵巻物で使われている、視点の変化を用いて描いた街の様子が、空間をより柔軟に表現している、ということを説明している、面白いビデオがありました。ご興味のある方はどうぞ。





ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。


デービッド・ホックニー展 (3)

2012年04月03日 00時57分29秒 | エギシビション・レビュー

ホックニー展覧会の続きです。上の画像は、ホックニーがモチーフとして何枚も色々なバージョンを描いた、クロード・ロレイン(Claude Lorrain) の「山上の垂訓」(Sermon on the Mount) のオリジナル。ふたつ上下にならんでいるうちの下の絵は、ホックニーがデジタルで原画をきれいに掃除したもので、細部がはっきり出ている。このシリーズの面白いところは、何枚もの絵が先に進んでいくにつれ、だんだんと象形化していって、キュービズムの絵みたいになってっちゃうところ。


最初はこんな感じ。ホックニー独特の、明るい色調だけど割りに原作に忠実。


それがだんだんと…


こんなんなっちゃう。

この変化の過程を見ていると、「あー、人間の記憶って、こんなモノかもねー。そんで、古い記憶になればなる程、形が単純化してくるんだよねー、きっと」…と、記憶の仕組みを見せられているような気がして面白かった。そして、回りの人たちが、○とか■◎とか△∵◎□□▲とかって頭の中に抱えて歩き回っている様子を想像してしまい、なんか、一人で勝手にウケていました。

こうやって、人はみんな自分に都合の良い形や大きさや色で記号化して、脳みその中に記憶を保存しているのかもよー、と思うと、ヒトとヒトとのコミュニケーションのすれ違いが頻繁に起こるのも、当たり前じゃんねー、と思ったり。だって、日本語とか英語とか、一応共通言語を話しているつもりでも、それぞれの人の頭の中の象形文字的な記憶を統一する方法なんて、無いもんねー。私は◎と言ったつもりでも、相手の頭の中では■と記憶されてしまうかも知れないわけだし。

…って、ホックニーは全然そんなこと考えながらこのシリーズを描いていたワケでは無いと思うんですが、まぁ、私はそんな風に見えてしまったわけです。ホックニーはまだ続く…かも。

ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。


デービッド・ホックニー展 (2)

2012年03月27日 19時41分03秒 | エギシビション・レビュー


ホックニー展の続きです。ホックニーの絵画は、筆のタッチとか構図とか色使いとか、とにかく色々と学ぶ点が多いので、今回は画集も買ってしまいましたよ。展覧会は、ホックニーお気に入りの木の茂る道の絵が多かったけれど、油彩の作品の中で私がすごくいいなー、と思ったのは、サンザシ(Hawthorn) の花を題材に描かれたシリーズ。



サンザシの花は、ホックニーの言葉を借りると「まるで誰かが夜の間にそこら中に生クリームをぶちまけたよう」に、突然一気に満開になるのだそうだ。いいなぁ、この表現。生クリームをナマで飲むほど好きな私のハートを鷲掴み。サンザシの花の季節はとても短く、そのためにホックニーは毎朝5時起きでスケッチに出かけていたそうだ。ああ、その勤勉ぶり。ツメの垢を少し分けて欲しいわ。そして、帰ってきて、お昼は寝ている。なぜかというと、その時間の光は面白くないから。そして、また夕刻の、黄金色に光が変わるころに起き出して仕事。



このサンザシ・シリーズ、わわわぁーーーっと、クリーム色が画面に溢れて、なんかもー、春が来た喜びが、画面中からまわりに溢れ出るようで、見ていて幸福感に包まれました。上の絵なんかは、サンザシ以外の、イギリスの道路わきに普通に見られる可憐な草花も、精密に描いているわけではないのにその特徴をとてもよく捉えて描かれてあって、この人は本当に詳しく題材を観察する人なんだなぁ、といちいち感心する。だってね、精密に描かずに、端折って描いて、それでも何をモデルにしているのか分かるって、本当に才能のある人じゃないと出来ないと思うんですよ。何をはしょって、何を残すかで、元の題材と描かれたものが、全然似ても似つかなくなったりもするわけだから。



今回、油彩以上に気に入ったのは、壁一面に掛けられた水彩画シリーズ。水彩というのは、油絵よりも断然早く乾くので、スケッチ的にすばやいタッチで描かれている。こういうのは、油彩画の本番前の練習的な要素が強いので、アーティストの楽屋裏を覗いているようですごく楽しい。筆のタッチや、どの色の上にどの色が重ねられているか、など、見飽きることがありません。水彩画って、"ウェット・イン・ウェット" とか、青みの色を遠くに、赤みの色を手前に、などなど、水彩画教本には必ず書いてあるポイントがいくつかあるけれど、ホックニーはそういうの、まるで無視。あくまで我流で、「これは、のちの記憶の手助けになればそれでヨイのだ」的に、ざざーーっと描いてあって、どの絵もとても勢いがある。

水彩の風景画って、水彩のプロが描いたものは、技術があるがゆえにカッチリ小奇麗にまとまりすぎていて、大人しい感じのするものが多くてつまんないなー、と私は常々思うんだけど(まぁ、技術にはすっごく感心しちゃうんだけどね)、ホックニーが描いたものは、そういう、「どうしたら見栄えのする風景画になるか」みたいな媚びる感じが全然感じられず、それよりは「ただ、描かずにいられない」みたいなエネルギーが伝わってきて、荒削りですごく面白い。

陰影のつけ方が、かなりはっきりしていてコントラストが強いので、最初「写真見て描いたのかな?」と思ったけどそうではないらしい。多分ホックニーの目自体がカメラ仕様になっているのだ、きっとそうに違いない。



アーティストの楽屋裏といえば、今回はスケッチブックもふんだんに展示されてあって、ホックニー・ファンにはほんとに至れり尽くせりな展示内容になっていました。この人、四角くて白いスケッチブックの空間の、どこにどう線を配置するかっていうの、ほんっとうに上手だな、と思う。あとは、チャコールで描いた森のスケッチもいくつかありました。これも面白かったー。



ホックニー展感想文、もう一回くらいイケルかも。


ランキングに参加しています。
クリックしていただけるととてもウレシイです。


デービッド・ホックニー展

2012年03月24日 10時46分03秒 | エギシビション・レビュー



少し前、デービッド・ホックニー展を観て来ました。これ、今回の展覧会がオープンして以来大人気で、前売り券はあっという間に売り切れ、当日券も毎日長蛇の列。平均1時間待ちくらいなんじゃなかろうか。1月にナショナル・ギャラリーでレオナルド・ダ・ヴィンチ展があった時もこういう状態だったみたいで、早起きしないと当日券も買えない、ということで、結局見に行かなかったんだけど、これがホックニー展とあっては、早起き苦手な私も頑張って起きて見に行きました。

ホックニーはずっと、コンテンポラリー・アートの世界ではあまり評価されて来ませんでした。実は私、ロンドンでコンテンポラリー・アート系大学を卒業しているんですが、その学校に行っていた時、「私、アーティストで一番好きなのはホックニーですっ」なんて言おうものなら血祭りに上げられそうな雰囲気だったので、隠れホックニー・ファンをやっていました。その頃にホックニーの踏み絵を差し出されたら、…踏めなかったかも。多分。

というわけで、早起きして出かけて、10時少し過ぎには会場に着いたにも関わらず、すでにかなりの行列。結局、一時間半くらい並んでやっと入場。でも、それだけ並んで入った甲斐がありました。この展覧会は、回顧展ではなくて、新作の発表の場であるところが、70歳過ぎても現役バリバリで、制作の手を休めないホックニーのすごいところ。でも、少しだけれど昔の作品も順を追って展示されていて、画集でしか見た事の無い作品も色々見ることができて、もぉ、満足度、大の大です。昔の作品で特に面白かったのがこれ。



ホックニーは一時期、こうした写真のコラージュ作品を集中的に制作していた時期があり、これはその時期の代表作とも呼べるもの。色々なところで目にする作品ですが、実物を見るのは今回が初めてでした。本に印刷されて再生されたものは、どうしても画像が平坦になってしまうので、平面的な作品なんだと勝手に思い込んでいたわけですが、実物は、何枚も何枚も写真が重ねられていて、とても立体感のある作品でした。スカルプチャーのような質感があって、今まで何度も見てよく知っている、と思っていた作品の、まったく新しい側面を見る事ができてちょっと感動。



ホックニーは、自分に対する批評の冷たいイギリスのアート・シーンが嫌になっちゃって、かなり長いことアメリカ西海岸、ロサンジェルス郊外に住んで制作を行っていました。そこで実にカラフルな風景画や自分のペットの犬や人物を描いていたんだけど、歳を取ると故郷が恋しくなるものなのか、近年、またイギリスの生まれ故郷、ブラッドフォードに戻って来て、近隣の森など自然の光景を何度も何度も、しつこく描いています。本人曰く、「気に入った題材が見つかったなら、他のものにすぐ目移りしないで、納得行くまで描かないと勿体無いでしょ?」みたいなことをインタビューで言っていました。それにしても制作量が半端ではない。そして今回の展覧会も、主にその、ブラッドフォードの森林がテーマの作品が展示されていました。上はその一枚。イギリスに、この光があるかぁー? と思うような、明るい色彩の絵がほとんどだけれど、ホックニーの目には、風景はそのように映っているのでしょう。…というか、芸術作品が、アーティストの現実へのレスポンスなのだとすれば、私は人生や現実に対して、こういう光に満ちたレスポンスをするホックニーが、やっぱり大好きだぁぁー、と思うわけです。

…ホックニーについては、色々他にも書きたい事があるので、多分記事は続きます。