さらさらきらきら

薩摩半島南端、指宿の自然と生活

指宿の家

2011-10-26 10:35:42 | 指宿暮らし

屋久島では海から昇った朝日が、ここでは家々の屋根の上に電線越しに見える。

新居には温泉がある。熱く湯量も豊富だ。そして温泉宿風の風呂場がある。床は石張りで広い窓から中庭の緑が見える。夜は外の明かりだけ灯すからなかなか風情がある。ここに越してきてからほぼ毎日、朝晩温泉に浸かっている。成分はわりと単純な塩温泉だそうだが、体はずいぶんほかほかする。皮膚にも良いようで、乾燥肌のかゆみがなくなった。おかげで体調は申し分ない。ふと、こんな贅沢をしていて良いのだろうかと思ったりする。

この家は建坪50坪ほどの2階屋で十分すぎる広さだ。私は2階の8畳の洋間を自分の部屋にしたが、そこには3畳のクローゼットが付いていた。しっかり断捨離してきたおかげで、私の持ち物はほとんどすべてそこにゆったりと納まった。一日のかなりの時間をその部屋で気持ち良く過ごしている。1階にはだだっ広いリビングルームがあり、前の人が置いていった高価な応接セットが鎮座している。しかしそこに座ることなどまず無い。

家は築12年の木造建築だ。しかしよく補修されていて古びた感じはしない。窓ガラスはすべて2層になっているなど、なかなか贅を尽くしている。入居してすぐちょっとしたリフォームをしたが、大工さんが骨組みを見て、普通はこんな太い木材を使ったりしないと驚いていた。重厚な造りで、揺れない、きしまないなと実感する。まず私が今まで住んだことのある家の中では最高の品質だ。

ここは住宅街だから窓からは家々の屋根が見える。しかし多くが平屋で高くても2階屋だから煩わしくは無い。屋久島に移住した時、窓から緑しか見えなかったのがうれしかったが、少し年を取って来た今、家々に囲まれている方がほっとするようになった。たぶんそれは元々が都会育ちのためでもあろう。我が家の隣に自動車学校がある。普段は気付かないほど音はしないが、単車やトラックの教習などいささかうるさかったりする。しかし時間的にはごくわずかだ。たいていは一日中ほとんど静まり返っている。時折、懐かしい電車の音がわりと近く響いてくる。目を上げれば低く山々が連なり、空は広々として鳶が悠々と舞っている。

この家に住んでみて、私はつくづく運が良いなと思った。振り返ってみれば、運が良いと感じたことは今までの人生で時々あった。というより私は努めてそう思うことにしている。冷静に考えれば、運の悪かったこともしばしばある。たぶん、私に巡って来る運は良いも悪いも人並みだろう。しかしたまたま幸運にめぐり会った時、それを掴み取るか、それとも見逃すかはその人次第だ。

この家はだいぶ長い間売りに出ていたそうだ。かなりの人がネットで見ていた。そして日本では中古の木造建築など人気がないからずいぶん安かった。都会の普通のサラリーマンなら十分手の届く範囲だ。彼らが普通に買うマンションと比べれば格安と言ってよい。しかし誰も買わなかった。私は一目で魅力を感じた。下見に指宿に初めて来てすぐ決心し、2回目には契約、3回目はもう引越しだった。躊躇しない、自分の直感を信じる、それで幸運を掴んだのだ。

では私はもともとそういう人間だっただろうか。いや本来は極めて優柔不断な方なのだ。あれこれ言うだけで何もしない、それは我が家の伝統のようなものだった。世の中に出てそれなりに苦労し、このままでは駄目だと気が付き即断即決するよう努力してきた。いくら考えても将来のことなど誰も判らない。まず行動し、先に行きさえすればいろいろなことが見えてくる。

まあ今度はあり金をはたいて借金までもしてしまった。それに世界も日本も経済は風雲急を告げている。もし屋久島の家がちゃんと売れなければ生活が行き詰りそうだ。しかし世の中すべて塞翁が馬、その時はその時だ。何しろしがない年金暮らしなのに、普段はその年金が月々余るほどの倹約生活だ。何とかなるだろうと思っている。