![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/74/9e29ffd0487be072fa58badf029c9ef0.jpg)
博多座公演に向けて、少しずつ演目の解説をしようと思っています☆
書きながら随分と長篇になってしまいました★
お好きな方、興味のある方は是非どうぞ。
今夜は出演予定だった『鷺娘』の歌詞紹介です。残念ながら「博多座公演」
での舞台はありませんが、私にとっても大好きで大切な演目です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
【鷺娘】
舞台の幕があき、そこは一面の銀世界。ひとり佇む白無垢姿の娘は幽霊なのか
鷺の精なのか? 目に見えるのは美しい世界。その奥に潜む恋心の苦痛と叫び。
日本舞踊の踊り手は、声を出さず何も語りません。
そのせいか、唄が想いを伝えまた語る事があります。踊り手が変わっても、
古典舞踊の歌詞は抜き差しがある程度で殆ど同じ歌詞です。
構成は、前半で愛しい人に思いを巡らし、だんだんと恋心の嬉しさや恥ずか
しさを「クドキ」として踊ります。最後は「狂い」と言われ恋心の苦しさに
狂乱しながら演じ幕が降ります。
様々な解釈がありますので、ここでは歌詞をご覧頂き皆様のイマジネーション
を広げて頂けたらと思っています。
現代文に訳せる部分は分かる範囲で記載してみました。
お時間のある方は『鷺娘』の世界に浸ってください![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
【長唄 鷺娘】
妄執(もうしゅう)の雲晴れやらぬ
※妄執の雲=「妄執」は迷いの執念でそれを雲として表現。
「妄執の雲霧」などの表現はよく使われています。
朧夜(おぼろよ)の恋に迷いしわが心
吹けども傘に雪もって 積もる思ひは泡雪の 消えてはかなき恋路とや
思ひ重なる胸の闇せめてあはれと夕暮に ちらちら雪にぬれ鷺の
※思ひ重なる胸の闇=儚(はかな)い恋の想いが重なり、心は真っ暗な闇で
あるという意味。
しょんぼりと可愛らし 迷ふ心の細流れ ちょろちょろ水の一筋に
※細流れ=細い流れを、「心細い」にかけています
恨みのほかは白鷺の 水になれたる足どりも 濡れて雫と消ゆるもの
※濡れて雫と消ゆるもの=水に濡れても、歩く度に、つま先から雫となって
消えていくという意味。哀れむ事を言っています。
われは涙に乾く間も袖干しあへぬ月影に しのぶその夜の話を捨てて
※袖干しあへぬ月影に=絶えず涙で濡れている、その袖を乾かしきれない
月の光ですが、その月の光で忍んで行くその夜、と続きます。
縁を結ぶの神さんに 取り上げられし嬉しさも
※縁を結ぶの神さん=男女の縁を結ぶ神、即ち出雲の神を指しています。
出雲の神とは、出雲大社の主神「大国主命」のことです。
餘る色香の恥ずかしや
※餘(あま)る色香=「餘る」とは、分不相応という意味で、嬉しさも餘る
色香とは、「身に過ぎ た或いは身にあまる情け」ということです。
須磨の浦辺で汐汲(しおく)むよりも君の心は汲みにくい
※須磨の浦辺...汲みにくい=「松風村雨」のことを借りています。
さりとは実に誠と思はんせ 繻子(しゅす)の袴(はかま)の
※繻子(しゅす)の袴(はかま)...取りにくい=前述の「須磨の浦辺…」
と共に当時流行した歌謡「山家鳥虫歌」の「繻子の袴の襞とるよりも
さま(相手の男性)の機嫌のとりにくさ」を借りています。
襞(ひだ)とるよりも 主(ぬし)の心が取りにくいさりとは
実に誠と思はんせ しやほんにえ
※しやほんにえ=「しや」は感動的に出す言葉で「ほんにえ」は本当ですよ
というような意味。
恋に心もうつろひし花の吹雪の散りかかり払ふも惜しき袖傘や
※払ふも惜しき袖笠=花の吹雪を「払ふも惜しき袖笠」ということで、
「袖笠」とは笠の代わりに袖をかざすことです。
傘をや傘をさすならばてんてんてん日照傘(ひでりがさ)
※日照傘=日傘のことです。
それえそれえさしかけて いざさらば 花見にごんせ吉野山
※ごんせ=ござれ。行きなさい又は来なさいの意味。
それえそれえ匂ひ桜の花笠(はんながさ)
縁と月日の廻りくるくる車がさ
それそれそれさうぢゃえそれが浮名の端となる
添ふも添はれず剰(あまつさ)へ
※剰(あまつさ)へ=そればかりか、その上に。
邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に
※邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に先立ちて=「邪慳の刃」とは、無慈悲な
心が鋭く人を害するところから、それを刃に例えていった言葉で「先立ちて」
その邪慳の刃を受ける前に、ということです。
先立ちてこの世からさへ剣(つるぎ)の山
※剣の山=剣を植えてある山で、地獄にあるとされています。
「邪慳の刃」に関連して持ってきた言葉。
一じゅの内に恐ろしや
※一じゅの内に=一じゅとは一呪であり「呪い」のことと思われます。
地獄の有様ことごとく 罪を糺(ただ)して
※糺して=調べて、或いは詮議(せんぎ)して、の意味。
閻王の鉄杖(てつじょう)まさにありありと
※閻王=閻魔大王のこと。地獄に住み、将官十八人と獄卒八万人を部下に
していて、死んで地獄へ落ちた人間の整然の罪を調べて懲罰する冥府
(冥途・冥界とも言われる、死者の行く暗黒の世界)の王とされています。
※鉄杖=地獄の獄卒(=鬼)が持つ鉄の棒。
※まさに、ありありと=「まさに」とは、確かに或いはまさしく、の意味。
「ありありと」とは、はっきりとの意味で、「等活…」以下の地獄の様子
を確かにはっきりと見た、ということを言っています。
等活畜生(とうかつちくしょう)
※等括=八熱地獄(八大地獄・八大奈落)の一つで、鬼の鋭い爪や牙で身体
を引き裂かれ、息が絶えると骨を粉砕される。後、涼しい風が吹いて来て
もとの身体になるが、また引き裂かれ、幾度となくこれが繰り返されると
いう地獄。等活・黒縄(こくじょう)・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦
熱・無間の種類があるとされています。
※畜生=三悪趣・六道のひとつである畜生道のことです。三悪趣とは、三悪
道とも言われ、生前の悪行によって行く、餓鬼道・畜生道・地獄道の三種
の迷界です。六道とは、善悪の業因によって誰でも行かねばならない、地
獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の迷界です。
衆生地獄(しゅじょうじごく)
※衆生地獄=謡曲「求塚」の中では、乙女の霊が八熱地獄の責めに苦しむ様
を「…まづ 等活 黒縄 衆合 叫喚 大叫喚…」と書かれていて、
これは八大地獄を引用しているのですが、「畜生 衆生地獄」というのは、
八大地獄の中での「黒縄 衆合地獄」の誤りではないかと思われています。
黒縄地獄とは、真っ赤に焼けた鉄の縄で縛られ火のようになった熱い鉄の斧
で斬られる地獄であり、又、衆合地獄とは、石割地獄とも言い、向かい合う
鉄の山の間に罪を犯した亡者の群れが入るとその鉄の山が崩れ落ちて群集を
圧殺してしまうという地獄のことです。
或は叫喚(きょうかん) 大叫喚
※叫喚、大叫喚=罪業の深い者が苦しめられる地獄です。熱湯を浴びせられたり、
猛火で焼かれたりして、その呵責に堪えかねて泣き喚くところから叫喚地獄と
称され、中でも五戒(殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語
(もうご)・飲酒の五つの戒め)を破った者が堕ちる最も苦痛の激しい地獄
が大叫喚です。
修羅の太鼓は隙(ひま)もなく
※修羅の太鼓=修羅とは、常に闘争の絶え間の無いところで、そこで打ち鳴ら
す太鼓のことです。
獄卒四方(ごくそつよも)に群(むら)がりて 鉄杖(てつじょう)振り上げ
鉄(くろがね)の 牙噛み鳴らしぼったてぼったて
※ぼったてぼったて=追い立て、追い立て。
二六時中(にろくじちゅう)がその間
※二六時中=一日中、終日のこと。昔の時の計算は、朝の六つと夜の六つで
あり、一日は朝と夜の二つの六つの時間ですので二六時中となります。
現在は、六時間が昼夜で四つあるので四六時中ということになります。
くるりくるり 追ひ廻(めぐ)り追い廻り
遂にこの身は ひしひしひし
※ひしひしひし=骨が砕けるまで責め苛まれること。
恨みたまへわが憂身(うきみ)語るも涙なりけらし #姿は消えて失せにけり
※語るも涙なりけらし=「話すのも涙であったようだ」と過去の推量になって
います。
参考文献:「日本舞踊全集・第2巻 演目解説」
さて如何でしたか? 女性の方は自分の中の【鷺娘】に出会えましたか?
男性の方は【鷺娘】の想いに触れられましたか?
今も昔も“人の心は汲みにくい”もの。だからこそ見えない絆、目の前にある
優しさを大切にしたいものです。
次回からは「博多座公演」で実際ご覧頂ける演目をご紹介させて頂きます
書きながら随分と長篇になってしまいました★
お好きな方、興味のある方は是非どうぞ。
今夜は出演予定だった『鷺娘』の歌詞紹介です。残念ながら「博多座公演」
での舞台はありませんが、私にとっても大好きで大切な演目です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
【鷺娘】
舞台の幕があき、そこは一面の銀世界。ひとり佇む白無垢姿の娘は幽霊なのか
鷺の精なのか? 目に見えるのは美しい世界。その奥に潜む恋心の苦痛と叫び。
日本舞踊の踊り手は、声を出さず何も語りません。
そのせいか、唄が想いを伝えまた語る事があります。踊り手が変わっても、
古典舞踊の歌詞は抜き差しがある程度で殆ど同じ歌詞です。
構成は、前半で愛しい人に思いを巡らし、だんだんと恋心の嬉しさや恥ずか
しさを「クドキ」として踊ります。最後は「狂い」と言われ恋心の苦しさに
狂乱しながら演じ幕が降ります。
様々な解釈がありますので、ここでは歌詞をご覧頂き皆様のイマジネーション
を広げて頂けたらと思っています。
現代文に訳せる部分は分かる範囲で記載してみました。
お時間のある方は『鷺娘』の世界に浸ってください
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
【長唄 鷺娘】
妄執(もうしゅう)の雲晴れやらぬ
※妄執の雲=「妄執」は迷いの執念でそれを雲として表現。
「妄執の雲霧」などの表現はよく使われています。
朧夜(おぼろよ)の恋に迷いしわが心
吹けども傘に雪もって 積もる思ひは泡雪の 消えてはかなき恋路とや
思ひ重なる胸の闇せめてあはれと夕暮に ちらちら雪にぬれ鷺の
※思ひ重なる胸の闇=儚(はかな)い恋の想いが重なり、心は真っ暗な闇で
あるという意味。
しょんぼりと可愛らし 迷ふ心の細流れ ちょろちょろ水の一筋に
※細流れ=細い流れを、「心細い」にかけています
恨みのほかは白鷺の 水になれたる足どりも 濡れて雫と消ゆるもの
※濡れて雫と消ゆるもの=水に濡れても、歩く度に、つま先から雫となって
消えていくという意味。哀れむ事を言っています。
われは涙に乾く間も袖干しあへぬ月影に しのぶその夜の話を捨てて
※袖干しあへぬ月影に=絶えず涙で濡れている、その袖を乾かしきれない
月の光ですが、その月の光で忍んで行くその夜、と続きます。
縁を結ぶの神さんに 取り上げられし嬉しさも
※縁を結ぶの神さん=男女の縁を結ぶ神、即ち出雲の神を指しています。
出雲の神とは、出雲大社の主神「大国主命」のことです。
餘る色香の恥ずかしや
※餘(あま)る色香=「餘る」とは、分不相応という意味で、嬉しさも餘る
色香とは、「身に過ぎ た或いは身にあまる情け」ということです。
須磨の浦辺で汐汲(しおく)むよりも君の心は汲みにくい
※須磨の浦辺...汲みにくい=「松風村雨」のことを借りています。
さりとは実に誠と思はんせ 繻子(しゅす)の袴(はかま)の
※繻子(しゅす)の袴(はかま)...取りにくい=前述の「須磨の浦辺…」
と共に当時流行した歌謡「山家鳥虫歌」の「繻子の袴の襞とるよりも
さま(相手の男性)の機嫌のとりにくさ」を借りています。
襞(ひだ)とるよりも 主(ぬし)の心が取りにくいさりとは
実に誠と思はんせ しやほんにえ
※しやほんにえ=「しや」は感動的に出す言葉で「ほんにえ」は本当ですよ
というような意味。
恋に心もうつろひし花の吹雪の散りかかり払ふも惜しき袖傘や
※払ふも惜しき袖笠=花の吹雪を「払ふも惜しき袖笠」ということで、
「袖笠」とは笠の代わりに袖をかざすことです。
傘をや傘をさすならばてんてんてん日照傘(ひでりがさ)
※日照傘=日傘のことです。
それえそれえさしかけて いざさらば 花見にごんせ吉野山
※ごんせ=ござれ。行きなさい又は来なさいの意味。
それえそれえ匂ひ桜の花笠(はんながさ)
縁と月日の廻りくるくる車がさ
それそれそれさうぢゃえそれが浮名の端となる
添ふも添はれず剰(あまつさ)へ
※剰(あまつさ)へ=そればかりか、その上に。
邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に
※邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に先立ちて=「邪慳の刃」とは、無慈悲な
心が鋭く人を害するところから、それを刃に例えていった言葉で「先立ちて」
その邪慳の刃を受ける前に、ということです。
先立ちてこの世からさへ剣(つるぎ)の山
※剣の山=剣を植えてある山で、地獄にあるとされています。
「邪慳の刃」に関連して持ってきた言葉。
一じゅの内に恐ろしや
※一じゅの内に=一じゅとは一呪であり「呪い」のことと思われます。
地獄の有様ことごとく 罪を糺(ただ)して
※糺して=調べて、或いは詮議(せんぎ)して、の意味。
閻王の鉄杖(てつじょう)まさにありありと
※閻王=閻魔大王のこと。地獄に住み、将官十八人と獄卒八万人を部下に
していて、死んで地獄へ落ちた人間の整然の罪を調べて懲罰する冥府
(冥途・冥界とも言われる、死者の行く暗黒の世界)の王とされています。
※鉄杖=地獄の獄卒(=鬼)が持つ鉄の棒。
※まさに、ありありと=「まさに」とは、確かに或いはまさしく、の意味。
「ありありと」とは、はっきりとの意味で、「等活…」以下の地獄の様子
を確かにはっきりと見た、ということを言っています。
等活畜生(とうかつちくしょう)
※等括=八熱地獄(八大地獄・八大奈落)の一つで、鬼の鋭い爪や牙で身体
を引き裂かれ、息が絶えると骨を粉砕される。後、涼しい風が吹いて来て
もとの身体になるが、また引き裂かれ、幾度となくこれが繰り返されると
いう地獄。等活・黒縄(こくじょう)・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦
熱・無間の種類があるとされています。
※畜生=三悪趣・六道のひとつである畜生道のことです。三悪趣とは、三悪
道とも言われ、生前の悪行によって行く、餓鬼道・畜生道・地獄道の三種
の迷界です。六道とは、善悪の業因によって誰でも行かねばならない、地
獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の迷界です。
衆生地獄(しゅじょうじごく)
※衆生地獄=謡曲「求塚」の中では、乙女の霊が八熱地獄の責めに苦しむ様
を「…まづ 等活 黒縄 衆合 叫喚 大叫喚…」と書かれていて、
これは八大地獄を引用しているのですが、「畜生 衆生地獄」というのは、
八大地獄の中での「黒縄 衆合地獄」の誤りではないかと思われています。
黒縄地獄とは、真っ赤に焼けた鉄の縄で縛られ火のようになった熱い鉄の斧
で斬られる地獄であり、又、衆合地獄とは、石割地獄とも言い、向かい合う
鉄の山の間に罪を犯した亡者の群れが入るとその鉄の山が崩れ落ちて群集を
圧殺してしまうという地獄のことです。
或は叫喚(きょうかん) 大叫喚
※叫喚、大叫喚=罪業の深い者が苦しめられる地獄です。熱湯を浴びせられたり、
猛火で焼かれたりして、その呵責に堪えかねて泣き喚くところから叫喚地獄と
称され、中でも五戒(殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語
(もうご)・飲酒の五つの戒め)を破った者が堕ちる最も苦痛の激しい地獄
が大叫喚です。
修羅の太鼓は隙(ひま)もなく
※修羅の太鼓=修羅とは、常に闘争の絶え間の無いところで、そこで打ち鳴ら
す太鼓のことです。
獄卒四方(ごくそつよも)に群(むら)がりて 鉄杖(てつじょう)振り上げ
鉄(くろがね)の 牙噛み鳴らしぼったてぼったて
※ぼったてぼったて=追い立て、追い立て。
二六時中(にろくじちゅう)がその間
※二六時中=一日中、終日のこと。昔の時の計算は、朝の六つと夜の六つで
あり、一日は朝と夜の二つの六つの時間ですので二六時中となります。
現在は、六時間が昼夜で四つあるので四六時中ということになります。
くるりくるり 追ひ廻(めぐ)り追い廻り
遂にこの身は ひしひしひし
※ひしひしひし=骨が砕けるまで責め苛まれること。
恨みたまへわが憂身(うきみ)語るも涙なりけらし #姿は消えて失せにけり
※語るも涙なりけらし=「話すのも涙であったようだ」と過去の推量になって
います。
参考文献:「日本舞踊全集・第2巻 演目解説」
さて如何でしたか? 女性の方は自分の中の【鷺娘】に出会えましたか?
男性の方は【鷺娘】の想いに触れられましたか?
今も昔も“人の心は汲みにくい”もの。だからこそ見えない絆、目の前にある
優しさを大切にしたいものです。
次回からは「博多座公演」で実際ご覧頂ける演目をご紹介させて頂きます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
というか、素人にはなかなかこういう解説というものが見つけられないので、とっても貴重♪
待ってました!って感じです(^^)
何となく自分の中で「こういう表現なのかなぁ~」という部分だったものが、ふむふむ。なるほど!と、これを読んで舞台を見ると、益々感情移入して見られそうです。あぁ・・・切ない、切ないわぁ~・・・(ToT)
次回も楽しみにしております♪
鷺娘が見たくなりましたあ。
彼女はどんな男に惚れたのかしら。罪な男。
お互い男には気を付けましょうね。
妖怪の世界でも人間界のTVは見れるの。土曜の
午後に日本舞踊のTV放映見たことあるけど、何を唄っているのか分からなかったわ。歌に合わせて踊っているのも分かったけど、理解できないとただ単調なだけで飽きてくるのよね。でも、こういう解説があれば、面白いし楽しめるわ。
どこかに、私のために鷺娘ならぬ鷺男はいないかしら。どいつもこいつも頼りない男ばかり…。
数年前に玉三郎さんの『鷺娘』お友達と観に行った事が
あります。伝統芸能に触れるのは初めて、という彼女は
舞台が終わると「ポロポロ」と涙を流し「なんでだろう
とっても綺麗で切なくて」と言うのです。
舞踊と音楽と(歌)詞がもたらす理屈ではない感動が、
日本舞踊の大きな魅力のひとつと感じます
お好きな演目がございましたら、お気軽にリクエスト
ください☆
また更新していきます
移り気な事を「女心と秋の空」っいいますが、本当は
「男心と秋の空」らしいですよ
頼り無くても支えあって“人”文字のようになれる伴侶の
存在を誰もがそっと信じているから、辛くてもまた恋心が
芽生えてしまうんでしょうね☆
ただ出会えるのが、此の世かあの世か?
もしかすると猫娘さんにとっては人間界の住人かも
決して悲観する事勿れっ。
そういえば、『保名=やすな=』という演目があります。
阿部保名が許嫁をなくし悲しみのあまり狂乱するという内容
なのですが、この保名さんは『葛乃葉(くずのは)伝説』に
よると、かの有名な陰陽師阿倍晴明のパパとの事。
「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)
という男が住んでいました。あるとき、和泉(いずみ)の
信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうと
した保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これを
かくまってあげました。
その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。
名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の
近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ
・晴明の幼名)と名付けました。」
という内容が大阪に残っているそうです
安部の清ちゃんはドラマや映画の影響でずいぶん有名になったわね。清明神社といって京都にその神社があるのよ。魔界スポットとして有名だったの。親戚の1つ目小僧と昔遊びに行ったわ。それはもう小さな神社よ。敷地も警護神社の半分以下ね。でも、有名になって観光客もいっぱい来るようになって儲かってるって。
京都、大原 三千院、恋に破れた女が1人~って古い歌があったわねえ。そうだ京都に行こう!清ちゃんに会いに行くわ
江戸時代の落語で『春色雪の梅』という人情話に「男は秋の空、変わり易いということは聞いているが‥」というフレーズがあって、これが日本では『男心と秋の空』の原点だそうよ。前後の話が分からないので、真意は不明だけど。ま、男の人にもいろいろ事情があったんじゃない。(まあ、なんて私は理解があるんでしょう!)
さ、明日も仕事頑張ろう!{/kaeru_night/
落語からとは何となく納得ですっ。芸の肥やしと言う訳ですかしら
猫娘さんの理解力を胸に、“人”文字成就に向けて頑張ります
余談ですが、藤山寛美十三回忌追善公演の「夢噺 桂 春団治」を観に行って、
すっごく笑って泣いて、その時代の芸人世界に初めて触れる体験が出来た、
すごくイイ舞台でした☆
それから密かに落語ファン
「芸のためなら女房も泣かす~」という桂春団治ね。私は妖怪株式会社の勤め人なので芸能人の世界の暮らしは想像がつかないわ。男(夫)に尽くすなんて妖怪の世界にはありません。だって、怖いお化けってみ~んな女ですもの。女の方が強いのよん。
「人」文字成就お互い頑張りましょうね。その前に私も人間にならなければいけないわ。昔、妖怪人間べムが酔っ払っては「早く人間になりたーい」っては叫んでたって。ぬりかべが言ってたわ。
おっと、うっとおしいお方のご出勤だわん。さ、今日も1日頑張るわあ
人間界だと、マジシャンや芸能人として妖怪能力が
そのままお役立ちかもしれませんよ☆
おっとっ。私もお稽古行ってきます♪
また息抜きに来て下さいね