
いつも愛用している フードプロセッサ。かなり昭和!
母から譲り受けたもの。

母が購入したと その時点での母の歳。
昭和55年5月20日 34才
気づけば 同じ歳を私は生きているのだな~
今日ネットで、宮崎駿さんとその息子の吾朗さんの ドキュメンタリーをやっていて
吾朗さんの、巨匠と呼ばれるようになった父という存在とさまざまな重圧のなか 奮闘している
まなざしを見て、
ひとそれぞれの、試練があるのだな、ととても思いました。
ドキュメンタリーや映画だけじゃなく、
日常生活で出会う人たちの様子をみていて、
同じように考えるときがあります。
私は私の試練があるし、ほかのひとはまた別の試練がある。
母には、母の試練があったんだと、いや母として というか
ひとりのいちにんげんとして、
大きな試練があり、ベストを尽くして
あのひとなりに、がんばったのだな、と思っています。
でも、自分のブラックホールにどんどん入って狭めていくんじゃなくて
わたしみたいに ベジの世界とか、もっとおおきな次元へ
心を持って行けたら、あのひとの悲しみは減らせたかもしれない。
私みたいな苦労知らずがいうのはなんだけど、
自分を救うのは、また自分。
だけど、
気づきに気づけるか、
気づきを気づきとするか、
また それを受け止めるコンディションであるか、
これも また運、なのかもしれないです。
気づきに気づかないことで、さらに重い試練をうける、というのもまた試練・・・
とにかく、あのひとは一生懸命、もがいて 生きた。
花のように乙女で、同時にもろい、ひとでした。