goo blog サービス終了のお知らせ 

そよかぜノート

読書と詩の記録

13階段

2007年07月15日 | book 文庫

高野和明
講談社文庫 648円
2004年8月初版 2001年作品

 『13階段』 2007.7.14

犯行当時の記憶を失ってしまった死刑囚、樹原亮。居酒屋でけんかして、人を殺し、服役した三上純一。純一が服役した松山刑務所の矯正処遇官、南郷。純一と南郷は、樹原の冤罪をはらすべく調査を始める。樹原が思い出した、「階段」とな何か。犯行現場には階段はない。現場周辺にも階段はない。その階段には、未だ見つかっていない凶器の斧、通帳、印鑑がきっと隠されている。

一気に読んでしまった。平日は寝る前だけだから、1日に20ページくらい。休日の土曜日、外は台風の雨、読書に最適。一気に300ページ以上読んだ。この分厚い本も、やろうと思えば1日で読める。おもしろければだけど。
「死刑」についてリアルに考えさせられた。死刑はよくないと簡単に意見したり、もし自分の肉親が殺されたらそんなことが言えるかと自問自答したり、それなりに考えたことはある。でも、死刑を言い渡された人間が、本当にそれだけのことをしたのか、そう思いこんでいるだけなのではないか、もし無実だったら・・・それほど、日本の裁判も真実を見抜くこともできないし、人間が人間を裁くのだから、間違いはある。でも、死刑を宣告される間違いは、算数の問題を間違えるのとはちがう。それに、制度上の問題点もあり、さまざまな行き違いもある。さらに、死刑を言い渡す者、承認する者、実際に死刑に携わる者など、こうしてリアルに想像してみると、合法的な殺人にしかならない。鳥肌が立つくらい怖くなってくる。今までの人生は裁判とは無縁だった。でも、こうして本で触れるだけで、自分が今までどれだけ社会を見てきたか、はずかしくなる。
南郷のように、自分が携わる人の人生に、どれだけ責任を感じてきたことか、考えを巡らせてきたことか。平気でボタンを押せる人間ではないことが何より人間であることを主張しているような気がする。


無人島に生きる十六人

2007年07月14日 | book 文庫
須川邦彦
新潮文庫 400円
2003年7月 初版 1948年作品

 『無人島に生きる十六人』 2007.7.8

1946年、帆船、龍睡丸は漁業調査のためハワイ諸島に向けて出発した。何とかホノルルに到着し、船を修理して、再び日本に向けて出帆した。しかし、大嵐で船が難破し、乗組員16人は、なんとか近くの無人島にたどり着く。そこで、飲み水の確保、食料の確保など知恵を絞り、生きるために奮闘する。実話を元にした冒険物語。

椎名誠さんが推薦するように、確かに痛快冒険物語だった。こんな出来事が本当にあり、そして戦後間もないころに物語として出版されていることに驚いた。今、読んでも違和感はさほどない。しかし、出ている人物たちがあまりに素直で優等生であることに多少の不思議さを感じる。「戦後」ということを考えると、上官の指示は絶対で、ここに出てくる上官は部下思いであることから、この時代にはふさわしいのだろう。まあ、だからこそ16人が全員生き残れたと言える。それに、さまざまな知識と判断が有効に役立っている。人間の知恵というものはこんなときに発揮されるものなんだと思った。じゃあ、私がこんな無人島に取り残されたとしたら、生きていけるだろうか。亀を食べることも思いつかないし、魚を捕ることすらできないかもしれない。電気も道具もないところでは生きていけない。たとえ道具があっても、その使い方もわからないし、役立て方もわからない。全くの無能だ。ただ、死んでいくのを待つだけ。この16人は、希望を捨てることなく、知恵と力を出し合って、愉快に毎日を生き抜いた。そして小さなチャンスをものにしたのだ。希望を捨てない。考える。動く。これからもそうありたい。

西の魔女が死んだ

2007年07月08日 | book 文庫
■梨木香歩
■新潮文庫 400円

 『西の魔女が死んだ』 2007.6.30

題からすると、まるでホラーサスペンス調だけど、純粋に少女の心の葛藤を描いたものだった。まいはいじめにあった。学校に行けなくなった。だから、おばあちゃんの家で、しばらく暮らすことになった。おばあちゃんは、英国人。でも、片田舎で自然ととともに、日本の風土とともに暮らしていた。おばあちゃんは魔女修行を積んでいて、まいも不思議な能力を持ちたいと修行をすることになった。その修行とは、決まった時間に起きて決まった時間に寝る。そして、自分の意思の力を高め、自分でものごとを決めること。悪魔に妄想に惑わされないこと。おばあちゃんは、前向きな心を持たせようとしているようだ。まいが自分の心から逃げてしまい、小さくなってしまった。だれかに肩をたたかれても、背中をこずかれても、きっと動こうという気持ちは起きない。でも、魔女になる修行なら別だ。いじめに立ち向かうのではなく、新しい自分を作るのだから。

「博士の愛した数式」

2006年02月05日 | book 文庫

■「博士の愛した数式」 著/小川洋子  新潮文庫
◇第1回本屋大賞受賞

《story》
 
「ぼくの記憶は80分しかもたない」

家政婦として赴任した家には一人の老人がいた。彼の背広には、いくつかのメモがつけてあった。かって遭遇した交通事故のため、彼の記憶は80分しかもたなくなっていた。毎朝、家政婦の私がくるたび、新しい家政婦として迎えられる。そのとき、博士はいつも聞くのだった。「君のくつのサイズはいくらかね」「君の誕生日はいつかね」いつしか家政婦の私の11才の息子も加わった。博士は、息子の頭をなぜては「平らな頭だから、君は√(ルート)だ」と言った。それから息子の名前はルートとなった。三人の生活は、驚きと喜びの日々となった。

◎記憶がなくなる。こわいことだと思う。自分ではわからないのだから、それほど苦ではないかもしれない。しかし、過去とともにしか生きられないないなんて悲しいことだと思う。今、味わった感動が心に残らないなんてつらいと思う。もし、文章として残したら、日記に書いて残したら、少しは違うかもしれない。いや、その日記を見て何も思い出さない悲しさや苦しみが自分の心を押しつぶしてしまうだろう。この家政婦さんだからこそ、博士に寄り添うことができたのだと思う。多くの人は近づかない。こんな人と関わりたくないと思うにちがいない。息子と二人、家族で触れあうことが、より深い関わりを作り、さわやかな結びつきを持つことができたのだと思う。子どもはこんなとき大きな力となるものだ。博士も子どもがすきだったからこそ、新しい展開を生み出すことができた。最後に奇跡を期待してしまったけれど、現実、これがハッピーエンドなんだなあ。