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いつもここにある

生かす草刈り

2018-05-08 | あめつちfield
先日お会いした矢野さんが提唱されてる「風の草刈り」というのがある。
(検索してみたら解りやすい図解があったのでシェア→風の草刈り図解
(こちらの記事も参考になった→水脈整備と風の草刈りで変わったこと

風の草刈りのことは前にチラッと読んでやってみたけど
風にそよぐくらいの丈を残して草を刈るとなると
後で見てどうもやった気がしなくてついつい刈りすぎてた。
その時はあまりきれいでないと感じた。
理屈で理解してた時はそうだった。


矢野さんにお会いして
矢野さんの、自然を読み解く視点とか
言葉ではない「在りよう」みたいなものを
それをわずかな時間でも皮膚で感じることができてよかった(→これを勝手に「ダウンロードした」と思ってる)
それで後日
もう一度やってみた。


草払機って、使ってる時はガンガンやれるけど、後ですごく疲れるので嫌いだった。
けど、風の草刈りは
力まずスイスイ刈れた。
刈りながら思った

あぁ・・・ これは 「生かす」草刈りなんだなぁーって

今までのは 殺す草刈り してたんだなぁー
だから疲れたのかも。。

殺す草刈りは、うりゃりゃりゃーーー!こいつめこいつめ~!って、
例えば何度刈ってもしつこく生えてくる茅(チガヤ)の大株なんかは容赦なく株もとを切り刻んだり 笑
だからいつの間にか力が入ってガチガチになってて後でぐったり疲れた。

生かす草刈りは、撫でていく感じ。肩の力も抜けていて疲れない。
背の高い草を短くするだけで
光の入らなかった根本の他の草が元気になって
いろんな種類の草が共生するようになり
大きかった草も姿がコンパクトになっていくそうだ。

それに、「もう殺さなくていいんだ」って、
とてもラクで
しぜんと優しい気持ちになる。
これは前に畑で気付いて「もう虫を殺さなくていいんだ」って解ったときと同じ感覚。



農薬や除草剤を使っても使わなくても
排除しようという意識であれば
やってることは同じこと
(良い悪いではなく、起こってることは)

肥料という「考え方」もまた
逆のようでいて
根っこは同じ。
全体を見ないで部分を肥やそうという行いが
余剰分の有機物の滞りをつくり腐敗を招いたり
微生物と植物のやり取りを分断させる。

どちらの方法・考え方もやってることは同じ、命のリレーを分断させること。



「ない」という勘違いからの、辿る道は苦しみばかりだけど
「ある」という信頼からの道は明るい

人間だけが、全体を見わたして、自然が行きたいほうへと手助けすることができる。


ということを踏まえての、庭の再生
できるところからやり始めている。
どんな変化があるか、楽しみ


4月の終わりごろ 夕暮れ時なので暗いけど


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今月のそらいろガーデンは、5月20日(日)です!



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