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「方法」を「私の感覚」より上にしてないか その2

2017-10-03 | 心で生きる
続き

昔お友達としゃべってて
ある「療法」の話題になり
その友達は、それに興味があって話を聞きに行ったんだけど、結局やらなかったって言うから
どうしてやめたの?って聞いたら
「あなたの血は汚れてる!」って強く言われて
「とっても嫌な気分になったからやめたの」と。


ちなみに私はぜんぜん違う場面で同じように
血が汚れてるって言われたことがあるけど
そうなのかも・・(もっときれいにな血になれるように頑張ろう)って
言われたとき気分悪かったのに、にその感覚無視して
言った人のほうの感覚に合わせてた。
それってエネルギーダウン!だよね。

これ、その時の彼女の正解だと思う。
「これはいいものだから」
「この人は私よりその道の知識があるから」
とかより
「なんか嫌な気分になった」ほうを優先させた。

これ その「療法」を否定する話じゃまったくないですよ。
○○療法も自然療法も西洋医学も
ぜーんぶ
「方法」であって
それを使いこなす「私」が
「私の内側の感覚」を見てあげてなかったら
どれを使っても結局は変わらないんじゃないかと。

自分の中心を他人とか方法に譲るのやめよ♪
それさえできれば
あとは
なーんでもいい


だからたまに特定の代替医療や民間療法を批判したり
西洋医学の恐ろしさを触れ回ったり
やいのやいのやりあってるけど
私にはどうでもよくって

そういうのは
「気分が悪くなるから」
読まないようにしている。

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