すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

新しいひと

2020-05-03 | カヒコ(古典フラ)
今更ですが、、
カヒコを含めた振り返り。

「決める」って大事だな
この日からエネルギーが変わったのを感じる。




3月20日春分のカヒコ

流れに運ばれるようにして参加した
春分の日、こうばる(川棚町)でのカヒコ。

その日 習ったチャントのテーマは
「終わらせる」そして「新しい始まり」

まさに”そのために”私は行ったのだなと思う。
そして
しっかりとその宣言というか、誓いは私なりにできたと思う。


「なにを手放しますか?」と事前に訊かれてたのだけど
私はもうその質問が来たときから即答で

「過去」

って出た。

過去を手放します、と。

それは、過去起こった出来事に対して云々とか
そういうことじゃなくて
何ごとも、自分は今のそのもののリアルを見てなくて
いつもいつも過去というメガネを通して見ている、ということは
自分もだし、ほとんどの人がやっていることで。

で、それでも別に困らないかもしれないけれど
自我のストーリーは
必ず苦しみに行き詰る。

でもそれだからこそ
真実のほうを見る勇気を持てる。
(真実は“ありのままのいま”)


ぜーーーんぶ、本来の自分に押し戻すための役割であって
本来の自分にほんとに落ち着いたときは
ほんとうの、安心があるし
無条件に、シアワセ ♨


だから、もう
通ってきた道すじ、それがどんな道すじだったであろうが
関係ないんだよね
来ちゃえば。

それは“ここ”に来るための必要な道だったっていう
ただそれだけになっちゃうんだよ
抜けてみればね

(ということは、どんなことも必要でムダなことは1つもなかったとも言える)



ストーリーの中では「私」には
真に救われることは
ぜったいに起こらない。
ストーリーを見ている(作っている)私というのは
そもそも出自が分離感、不足感だから



過去は脇に置いて
いつも新しい今日と出会う。
いつも新しいあなたと出会う。
いつも新しい私と出会う。




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