すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

私が見てる、創ってる

2020-03-06 | サンガ



人の目を気にする、
他人目線(社会目線、常識目線)で考えるということは
外側から見る自分ってことでしょ

外側から→内側に向けたベクトル
これは、不自由で、被害者的で、委縮した、苦しい生きかただよね

(ずっと長いこと、この生き方しか知らなかったよ)


だけどありがたいことに
真実は

「見える世界は自分の内側の反映」

内側(自分)が→外側に映ってるんだよね

それがしみこんできたら
「自分のことだけでいい」の本当の意味もすんなり入ってきた

内⇒外

そう
原因はこっちにある
元はこっち
ここ!



こっちから周りを照らしてるから
他人の目という発想自体なくなる

自分が、そのように見ている。ということだけだから
ほんとに、自分の見方に細心を払うだけで
完結してしまう


私が光であれば、光を見るし
私が怖れであれば、怖れを見る



あ、なんかこれは心地良くないなっていうものを見たときには
見たり、またそれに反応したりした後に
その心地良くないことを見せた相手(orものごと)に原因があるのではなくて
どうして私はそのように見たのだろう?
て、自分に向くんだよね
即座にね

どうしてかわからなかったとしても
まずは
「私はそのように見ている」ということに気付けるか



気付けなくて見過ごしたときも
結局は、違和感が残ってて
そして
ああ、そのように私は見たけども
それは見たくない
違う見方がしたい
ていうことを
投げる


「投げる」とは
上にお願いするの意味

自分にはできないから。





いつも
目の前の人(orものごと)の光を見る
見たいです
見せてください と
お願いする

自分にできることはそれだけだよね



そしてそのように見たときに
本当にきっと
その目の前の人と
光を、愛を見れると思うんだ
一緒に見れると思うんだ




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