すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

からだの導き

2019-11-02 | サンガ



誰もがみんな
ほんとうはユニーク(独特)な存在



「普通」はない



誰もがみんな
それぞれのユニークさを
誰の目も気にせず
そのまま
素直に
ストレートに発揮できるような世の中になるといいな(*´▽`*)




多くの苦しみは
ほんとうの自分との乖離から生じる



苦しみの奥には
“本心”が
ここだよって
見つけてもらうのを待ってる



******



おととい
風邪もう治った~と思って
起きだして太鼓の練習に行ったら
その夜は38度越え💦


だけど今回の風邪で
予感が確信に変わったことがあって

15年来の、

喘息が、


治った 😲

🎊🎊🎊



アレルギーのひどい時や
痰が絡んで咳込んだりした時など
すぐに発作を起こしてた。


発作になると気道がきゅーーーーっと固くなり
針の穴ほどしか通ってないんじゃないかと思うほど
息が吸えなくて体全部を使ってやっとこ呼吸をする。
そうなるとすぐに血中酸素濃度が減るので
何もできなくなる。
とにかく苦しい。
陸で溺れてる感覚。


重度の発作で2回入院したことがあって
お医者さんには
「一生(症状が出てない時でも)この薬を服用するように」と言われてた。
4年くらい前に処方されたその薬は
まだ半分残ったまま、引き出しの中にある。



今年の春のアレルギーのシーズンには少し、喘息出た。

けどそれから秋のアレルギー(私は秋のほうがひどい)のシーズンではまったく出ず
今回の風邪で
たくさん大きな咳をしまくったのに
まったく!気道は固まらなかった😲


寝込みながらも
しみじみ
しみじみ
嬉しかったなぁ





治ったかも…という予感があったのには
理由があって



夏至のころ
とあるキッカケで
体の声を聴くことができ(いわゆる“声”じゃないけど、“感覚”として)
それから
ひたすら体(と言ってしまうのも乱暴なようだけど)と向き合い
体に導かれるように滞りを取り去っていくセルフケアをした。
その途上で
うわーーー!こんなの出た!!😲みたいな時があって
治ったかも?!って感じがしてた。






体というのは
ほんと、モノじゃなくて

病は滞りからくるものなんだと思った。

モノとしてとらえると
栄養や消化吸収、排泄、血流など
目に見えるものだけの話しになるけど


それら目に見えるものたちを動かしてるもの、、
いのち、エネルギー、波動 と呼ばれてるものが先にあって。


目に見えるものたちをコントロールしようとしたって
先にある目に見えないもののほうが変わらなければ
またすぐに元に戻ってしまう。



ほんとうは
本来のエネルギーの流れが
堰き止められることで
行き場を失い
固まってしまったり

またその押さえ込んでることの負荷のバランスをとるために
さらにどこかが頑張ってたりする。



お腹が空けば食べ、出したくなったら出し、眠くなれば眠るっていうのをはじめ
いのちの発動は「欲求」としていつも私たちは経験している



そんで冒頭に戻るけど

「それぞれのユニークさを
誰の目も気にせず
そのまま
素直に
ストレートに発揮」したい
という欲求(エネルギー)は
物心つく頃から
押さえ込まれる。


押さえてしまうのは
社会だったり家庭や教育だったり
そしてそれも含めて本人がしてしまうことなんだけど



だけど一度はそうやって
あるがままを離れてしまうからこそ
そこに還っていくプロセスで学ぶことができる


体はいつも
どんなときでも
最善をやってくれてたんだなぁ・・・・・・・



ありがとう
これからは、もっともっと一緒だ





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