すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

信頼について

2016-08-23 | 心で生きる
今日は

神サマから

おうえんの贈り物が届きました。






大丈夫だよ


って言われてる気がして


感謝がわきあがってきました。





今日の神サマは
私が勝手に同志と思っている友からの
お便りと素敵なプレゼントでした。




神サマってどこか高いところにいて
私たちを見下ろしてるイメージですか?
わたしは
そうは思いません。





神サマって便宜上そう呼んでるけれど
長いじょろじょろした布を纏ったヒゲじいさんではない。

私たちの表層の意識の下に
共有している

わたしを生かしてる
すべての命を生かしてる・・・・

エネルギーそのもの


そういうものが
いつも
片時も離れず
私たち存在するすべてのものの
なかに流れている。




ずっと前、バウルっていう
インドの吟遊詩人みたいな
神様の教えみたいなことを歌い歩く人たちの
演奏を聴きに行ったとき
歌い手のインド人の方に
どんなことを歌っているのですか?って訊いたら

神は外側にはいない
神は私たちひとりひとりの内側にいます
と歌っています。


と教えてくれた。


やっぱりそうなんだって嬉しくなった。




おこることに良いも悪いもなく
すべてはうまくいっている
という
信頼



この夏は体調が思わしくなく
体が思うように動かず
仕事も止まりがちで

もともと丈夫ではなく
今までもこういうことは
年に一度くらいあったのですが

今までは
そんな自分をいつも
どうして私はこんなに弱いんだろう
何がいけないんだろう、と
いろいろ
いろいろ
責めたり、嘆いたり、焦ったり・・・
してたのですが


今は
どこまでも
「信頼すること」を繰り返しています。

体が苦しいときは
何度も揺らぎそうになりますが
また信頼に帰ってきます。




信頼という言葉はよく
「私はあの人を信頼している」というふうに使いますが
わたしは人に対して使う言葉ではないようにおもいます。

人は固定した物質ではありません。
自分も周りも私はこういう人、って決めつけているだけで
ほんとうは常に変化しています。
で、自分や周りが見る「こういう人」に無意識に合わせています。
人の表面的な部分に「信頼」すると
変化を許さないことにつながる気がします。



人っていうより、そのもっと奥のひと=命、生命力、生かしてるもの、神サマ
に対する信頼があれば

じぶんや相手が
健やかなるときも
病めるときも
荒れもようのときも
浮かれてるときも
ぜんぶOKです。



わたしの奥の
いのちを
信頼する。



表面になにが現れていようが
だいじょうぶ


うまくいってる。