olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

学校が嫌な理由をつづった息子(1年生)

2016-03-11 | 1年生
では息子の場合どうだったか。

ちゃんとした先生に担任してもらえたお陰で
ぼーっとした子だった私にも
それなりの国語力(小学校当時の話)がついたわけですが、
この辺の話です)
息子の場合、そう上手くはいかなくて。

「南の島の学級日誌」に書いてあった言葉、

「自分の気持ちにしっかり向き合ってくれる人がいる…
この思いがさらなる表現のエネルギーとなります。
生徒がたくさん書いても、担任のコメントがたった一言では
〝書こう!”という気持ちは決して育ちません。


このことを自分の子どもで痛感しています。



現在3年生。
今まで経験した担任は3人。
それぞれに特徴のある3人の先生を
ふりかえってみようと思います。


1年生の時は、宿題に日記が出ていました。
1年生の書く日記ですから、短いものです。
先生は、軽く「よかったね」程度のコメントを
つけていました。

夏休み以降、子どもは「学校が嫌だ!」と言い始めました。
しばらくは理由が分からなかったのですが、
しばらくして、子どもはその理由を日記で訴えはじめました。


せんせいがこわいのです。
 もっとにっこりしてください。」

「ぼくがこまっていて、せんせいをよんだとき、
 つめたいようすでしらんぷりしたのでかなしかったです。
 しらんぷりしないでください。

などなど。

自分が怒られているわけではないけれど、
他の子に対して先生が怒っているのがこわいとか、
指示が分からなくてオロオロして、
先生に助けを求めた時に
適切な対応をとってもらえなず放置されたとか、
入学以来のそういうことの蓄積が
爆発したということでしょう。


その日記に対する先生のコメントは
「おこっていません」「しらんぷりしていません」
など、「コメントでも怒ってる?」と思うような一言のみ。

コメント以外での対応があるのかと思い、
息子に聞いても無いと言うし。

それでも息子は書き続けました。

次こそ先生は気が付いてくれるかもしれない。
こんな風に伝えたら、きっとぼくの気持ちが分かって
変わってくれるかもしれない。

そんな健気さを感じました。
痛々しかったです。


しばらく見守りましたが、
結局、子どもからの働きかけだけでは
なんの改善も見られなかったので、
何度か先生と話し合いました。

先生との話し合いはいつもスムーズでした。
話していると、ごくまともな先生に思えるのです。

それで、これで以後ちゃんと対応してくれるだろうと
安心していると、子どもへの態度は相変わらずで、
子どもの絶望と不信感は募る一方
でした。

最終的に校長先生を交えての話し合いをもち、
校長先生が担任の先生に、
子どもへの対応に関する
適切なアドバイスをしてくださったおかげで、
息子は劇的に持ち直しました。
(校長先生が素晴らしい先生でした!)


担任の先生は、特別悪い先生でも
変な先生でもありませんでした。
ごく普通です。
ただ、いつも心の余裕が無い印象でした。


もし、普通の感覚を持つ大人が
子どもがSOSを発信している日記を見たら
アンテナをその子に向け、
ここはひとつ気合を入れて向き合わなくては、と
丁寧な対応を心がける
でしょう。

そう思う余裕さえ無かったのでしょうね。


子どもが自殺したり、事件に巻き込まれたり、
痛ましいニュースのなかで
学校の対応不足が指摘され、
私も「なんでこの担任、このSOSを放置したんだろう?
よほどひどい先生だったんだろうか」
と思うことがあるのですが、
子どものこの担任を経験してからは、
たぶん、ニュースに登場する担任の先生もこんな感じで
普通の先生なんだけど、
心に余裕がなくて、大人としての健全な常識が麻痺して
ケアが必要な一人の子どもに目を向けて行動する、
という大人として当たり前のことが
当たり前にできなくなっていた
のかもしれないな、
と思うようになりました。



そういう先生だったのですが、
子どもが言葉にして伝える努力をしたことで
先生の動きは鈍かったけれど
親が動いて、校長先生が動いて
解決に向かった

つらかったけれど、
「文章を通して伝える」ことの重要性を
学んだ
というプラスの経験になったと思うと
少し救われます。

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