olatissimo

この島で生まれた息子はなんと中学生。ほぼ育児日記です。

コンクールに向けての練習 親が子どもに望むこと

2018-01-31 | ピアノ
息子、コンクールに出ると決めました。

初めて受けるコンクール。
雰囲気知ることが目的と思って
気楽に受けてみたらいいよ
と言われて。

なんですけどね。

だからって
手ぇ抜いていいよってことではなーい!

という話です。

*****

先生も、私も、
タイトル取りに行け!なんて言わない。
ただ、頑張ろうね、というだけ。


音高・音大目指してる訳でもなく、
ましてやプロのピアニストなんて
考えたこともありません!
というポ~っとした小学生が
わざわざコンクールに出る意味は何か。


私が息子に対して望むのは、
コンクールに向けて
自分なりに最大限に努力すること。
その経験を通していかに成長するか、
ということに他なりません。


努力の仕方を知る、
自分の「当たり前」のレベルを上げる。
その辺りの成長が何よりの目標です。


---- はい、ここから愚痴入ります。


息子よ、気付いてないだろうけど、
キミの「練習がんばった!」は、
コンクールに出る人の「頑張ってる」の範疇には
入らないってことに
いい加減、気付いてくれ!!!


そう、息子を見ていて常々気になっているのが
この自分への甘さ

これはピアノに限ったことではありません。

いつまでも井の中の蛙
「自分、めっちゃすごいんじゃん?」
と勘違いして「出来る子」の気分でいる。

(注・本人は頑張ってるつもり、出来てるつもり)

(ハードル、低っ!!)


幸いというか何というか、
息子は、細やかな技術的着実性には欠けるものの、
芸術的なものを丸っと捉える力、
想像力の豊かさ?みたいなものがある…らしい。

(勉強の場合、注意深く考えてない割に
記憶力とカンのおかげで実力以上に出来ちゃう
みたいなところがあります)


ピアノ、チェロ、バレエ。
芸術系の先生方は異口同音、
面白いくらい同じように
息子をそう評価してくださる。

なかなか教えられないことなので、
最初からそれを持っている子は強い、と。
もちろんそれだけでは不十分で、
もう高学年なんだから、これからは意識して
しっかりとした基礎的技術の確立を
というのもまた共通する課題。


-----


コンクールとなれば、
当然、先生も相応のレベルを目指した指導をしてくださる。

このチャランポランとした
訳の分かっていない小5男子を相手に、
バッハ(課題曲)をきちんと弾く指導する。
そりゃあ大変なことです。
もう、先生、すみませんー!の連続で。

毎回レッスン時間を余裕で超過して、
追加レッスンもして、
レッスンの無い日も気付いたことを
電話で伝えてくださり。

もうね、有り難すぎて、頭を上げられません・・・


いや、私も最初は呑気に

「本人が気付くまで、好きなようにやらしとこ。
当然、落選という容赦のない現実
が突きつけられるはず。
そりゃ悔しいし、つらいでしょうよ。
でもそこで、
ああ、みんなもっと練習してるんだな、
自分の練習は甘かったんだなと気付いて、
成長してくれればいいな。」

くらいに思い、不十分を承知で
薄目で日々の練習を見守っていました。


が、先生の指導を間近に見ていると、
こんな息子が申し訳なくて、
先生の努力に報いる努力を
息子にさせなければ!
という
親としての責任を感じるようになって。

悠長に構えることをやめて
遠慮なく息子のお尻を叩くことにしたのでした。



息子、最初は「聞いてないよ!」とばかりに
しゃかりきに反発しました。

でも、ようやく

「こりゃ本気でいつもと違う練習しないとダメみたい。
 お母さん、どうしたって許さないつもりらしいし…
 しかもこれで最低限の練習、とか言ってるし。
 まじか?!」

と気付いたのでしょう。
自分で設定する練習のハードルが
ちょっとだけ高くなってきました。


息子自身、レッスンの無い日に
自分で(勝手に)先生に電話して、
電話で演奏を聴いてもらい
練習方法を仰いだりもしました。
次のレッスンまで待てないほど
切羽詰まっているってことなんですけどね。

突然の電話にも
丁寧に付き合ってくださる先生に、
私は更に平身低頭するばかり・・・

本当に有り難いことです。


先生との出会い、本当に大切ですよね。

学校の先生は1年で替わるけど、
習い事の先生は、5年、10年、15年・・・の
お付き合いになりますからね。

この先生に出会えて、本当に良かった、と思います。

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