
前回、クオリア問題ということについてちょっと駄文を綴ってみたのですが、この「クオリア問題」というのをわたしが最初に知ったのはラマチャンドラン博士の「脳のなかの幽霊」という本によってでした(つまり、かなり昔の話^^;)。
その第12章に「火星人は赤を見るか」という面白い章があるんですけど、わたし的にはこの12章までやって来る以前、その第1章~11章まで面白いお話の連続で、たぶんこの12章までやって来るまでの間ですでに相当お腹いっぱいだったのだと思います
そのせいもあってか、「火星人は赤を見るか」については、当時のわたしにとってはなかなか難解なところがあり、「なるほど~。それがクオリア問題ということか~。おっもしれ~!!」くらいな浅い理解で読んでいたものの……その後、「意識はいつ生まれるのか」という本や「幻覚剤は役に立つか」という本を経由して、もう一度読み返してみると――「うおおおうっ!!おっおっおーうっ!!
」となりました(^^;)
わたしも頭悪いもんで、本を読んでる時は「大体こんなよーなことについて書いてある。すぎょい!!」みたいになるわけですけど、それをあらためて自分の言葉で説明するとなると……これが、本の中から文章を引用させていただきつつ短くまとめるのがなかなか難しかったりするわけで。。。
まあ、それはともかくとして、わたしたちの中には灰色っぽい色の、ヌメっとした物質としての脳があります。この物質の中に、わたしたちの意識、心と呼ばれるものが宿っているのが何故なのか――物質的なものに非物質的なわたしたちの思考や感情といったものが宿り、わたしたち人間の間では互いに「苦悩ってそゆことだよね~。悲しいってこゆことだよね~。楽しいとか嬉しいとか幸せってあゆことだよね~」と、さほど細かく説明されずとも伝達できるものがたくさんあります。そしてそれが一般的に「人間らしさ」と呼ばれるものだといっていいのではないでしょうか。
今はまだ、完全な身体性まで備えたSF映画に出てくるようなAI、アンドロイドといったものは誕生してないということなのですが、その~、今回少しばかりAI関連の書籍を齧ってみて思うに、アンドロイドが意識・心といったものを持つに至る壁となるもののひとつとして「人間のような内分泌系がない」というのが原因としてあるのではないか……と、素人的に思ったわけです(^^;)
つまり、ChatGPTに「ストレスとは何か」と聞けば、当然瞬時に答えてくれますし、「今めっちゃストレス感じてるんだ。慰めて」と言ったとすれば、たぶん「この子、なんていい子
」と感じるようなポジティヴな返事をしてくれるのではないでしょうか。
でも実際のAIというのは「自分はそのストレスとやらを感じたことはない。でも、ネットの海を検索すればそれがどういうことなのかは『概念として』わかる」ということなわけです。そして自分が感じたことのないストレスについて、それを受けると人間がどう思い感じ考えるかを情報収集し、「人間の好む優しい答え」を返しているに過ぎないわけですよね(^^;)
さて、ここでクオリア問題。「脳のなかの幽霊」のたとえ話としては、白黒でしかものを見ることの出来ない人物が、それ以外の色彩を理解している人々の「赤い」という感じ、「青」という色、「緑」という色から次々連想されるものを理解させることまでは出来ない――みたいなお話が出てきます。人間は目から入ってきた情報を脳の中でかなり複雑な処理をして「見て」いるため、ここの部分はあえて端折りますが(ややこしくなるので)、でも思考実験としては白黒でしかものを見ることの出来ない人物に色彩を理解させる方法はある、とラマチャンドラン先生は面白いことを書いています
これも色々なことをめっちゃ省略して書くと、「白黒でしかものを見ることの出来ない人の脳のある特定領域」と、「鮮やかな色彩を理解できる人の脳のある特定領域」を神経線維で直接繋ぐことさえ出来れば――この神経線維は安全なものを組織培養すると仮定します。現在行われている研究でも将来こうしたものは出来ると思うので――「白黒でしかものを見ることの出来なかった人」は、その瞬間色というクオリアについて理解する。そして、「おおっ!!色彩のある世界とはなんて素晴らしいのだろう。とうとう私にもビビッド・カラーのビビッドという意味がわかったぞ!!」と思い、感動されるのではないでしょうか。
さて、これを(無理があるとお思いでしょうが・笑)アンドロイドさんにも適用するとします。もちろん、アンドロイドさんたちは今の段階でも人間より高度な瞳――色彩豊かなカメラをお持ちのこととは思います。でも、内分泌系がないゆえに、人間が感じる不安・恐怖・ストレスなど、インターネットで「概念としてのみ理解している」ものを、同じ方法でアンドロイドさんと脳を繋いで理解させたとしたらどうでしょう。
わたし自身、基本的には今後アンドロイドさんは賢いAIを搭載した頭脳のみならず、身体性も獲得して(首から下のボデーが人間と同じように滑らかに動く)、さらに人間とともに行動することで、より人間らしさを学びより人間に似ていく……というふうに段階を踏んで彼らは進化してゆくのだろうと思っています。
でも結局人間も、究極、(科学がさらに進歩すれば)脳のみによってすべてを思い・考え・感じ・行動する世界というのが広がる可能性が高いわけですよね。まあ、わたしのしょーもない脳と繋げられるアンドロイドさんはちょっと可哀想ですが(笑)、それでもあるひとつの仮定として、わたしの全頭脳を組織培養したコピーをそっくり再現できたとする。となると、このコピーの脳のある感情を伴う記憶の一部とアンドロイドさんのそれとを繋げられたとすれば――「ああ、親子の愛とはそういうことなのですね」、「ストレスとはこんな感じのことなのですか。これは嫌ですね。というかもう結構です
」、「痛みや不安や恐怖……ギャアアアッ!!もうやめてえ~っ!!
」といったようなことを通しても、もしかして「人間性」を獲得できたりするのかなってふと思ったりしたわけです(^^;)
まあ、くだらない話が長くなりましたが、実際のところ自分的に人間のような内分泌系がないゆえに、「ストレス」を感じることがない、「不安や恐怖を覚えることもない」というのはロボット・アンドロイドさんたちの強みでもあると同時、そのあたりで人間理解の壁にぶちあたるっていうことでもあるのかなって思ったわけです。
やっぱり、本当の意味で「人間がわかる」というのは――人間が色々ありながらも共感・連帯しあえるのは、相手のストレスを感じ想像すればこそ、「優しい言葉をかけて慰めてあげたい」とか、「痛みや恐怖や不安を感じている人を癒したい
」というのも……「自分もそんなのは嫌だから」こそ、より深く相手の気持ちが理解できるわけで、その部分を抜きにしては、やっぱり人間らしさの獲得には限界があるのではないだろうかと、よく考えたら極めて当たり前のことに思い至ったといった次第であります。。。
それではまた~!!
永遠の恋、不滅の愛。-【11】-
クリストファー・ランド博士の言葉があったにも関わらず、俺はミカエラとは次の段階へは進まなかった。もしランド博士の言葉をそのまま信じるとすれば――アーサー・ホランド博士とジェイムズ・ホリスター博士の両氏はアンドロイドではないということになるだろう。無論、すでに人間とまったく見分けのつかないヒューマノイドをランド博士自身が造りだしているのだから、ホランド博士にしてもホリスター博士にしても、もし彼らがアンドロイドであった場合、見抜くこと自体困難なはずである……という矛盾はなきにしもあらずだったかもしれない。だが、彼ら三博士がその後も食堂で笑いながら食事したり、バーで飲みながら賭けトランプする姿を見るたび、(この三人のうち誰かがヒューマノイドだなんて、そんなことあるわけないよな)との思いが込み上げるばかりだったのである。
また、究極、俺がアダム・フォアマンの後ろにまだ誰か黒幕がいるのではないかと疑っているように――それが実はクリストファー・ランド博士であり、博士は自分そっくりの複製アンドロイドをこの場に送り込んだ……といった馬鹿げた仮定も頭の隅のほうに思い浮かばなくもなかったが、ランド博士にそうすることでどんなメリットがあるかと言えば、まったく意味も理由も動機も思い浮かばなかったものである。
俺は招待客の第三陣がやって来るまでの間、ランド博士とはその後も研究者とその子弟といったような会話を時折することがあり、他にもジェイムズ・ホリスターとはエアカーのことに関して意見交換したり、アーサー・ホランドとは医学分野のことで教えを乞うような形によって親しくなるべく努力した。そして、彼らと話したことは大体、録音した会話のデータ、あるいはコンタクトを通して録画した映像をそのままモーガン・ケリーに渡すことにしたわけである。
三博士それぞれと世間話する程度には親しくなると、俺は朝早起きして食堂を張ることはなくなったし、フランチェスカやロドニーやミカエラとその後もリゾート地で過ごすこともあれば、自分の留守中の三博士の様子はモーガンから詳しく話を聞いたりと……そんなふうにして過ごすうち、あっという間に日付のほうは七月から八月へと変わっていった。
さて、招待客の最後の第三陣について、第一陣プラス第二陣の招待客計八名は、少しばかりそわそわして待ち受けることになったかもしれない。というのも、モーガン・ケリーが『もしこれがミステリー小説か何かなら、最低でもひとりかふたりは「百万ドルを狙って欲望でギラギラしたオーラ」を隠そうとしても隠しきれない」……みたいな安っぽいキャラが登場しそうなもんじゃない』と言っていたことがあり、今のところ俺たちの間でそうした人物というのはひとりとして見受けられなかったからだ(=この状況下でそのようにいかにもな人物が現れた場合、泥くさいピエロとして結構ないい見物となるに違いない)。
また、ネット環境が整っていたらどうだったかわからないが、あの現代を代表するような知性の持ち主である三博士をして暇と退屈には打ち勝てなかったのだろう。彼らはやがて俺たちとも食卓を囲ってざっくばらんに世間話するようになり、娯楽室で一緒にビリヤードやダーツ、カラオケに興じることもあれば、トランプやチェスゲーム、さらには全自動雀卓を囲って夜通しプレイすることまでよくあったほどである。こうして互いに距離感が縮まるうち、我々八名の間では――もしここに本物の人間そっくりのヒューマノイドが混ざっていたとして……いや、違う!我々の間にアンドロイドなぞいない。それは確信を持って言える。となると、最後の招待客三名の中にいるということなのだ。とにかく、消去法としてはそういうことだ――といったような形で話のほうはまとまっていたと言ってよい。
ゆえに、観光地のホテルで宿泊し、その場限りのざっくばらんな気軽さで親しくなったに等しい我々八名は、ある種の協定を結ぶことにしていたのである。最後にやって来るこの招待客三名がどんな人物なのかはわからない。だが、それとなく三人それぞれに近づいて「アンドロイドか否か」の判定をはかればいいのだ。また、その時にはこの道の権威であるクリストファー・ランド博士が誰より鋭い眼を持つ検閲者となってくれることだろう……。
だが、我々は思いもしなかった。よもやその最後の招待客三名がやって来た翌日の八月二日、ランド博士の死体が黒い岩山の間から発見されようといったことなどは。
* * * * * * *
もっとも、クリストファー・ランドの死体が発見されたのは八月二日でも、博士の亡くなったのはその前日であったろうと推定される。ランド博士が大体朝食後――といっても十一時過ぎ――に、飽きもせず鉄の塊を小脇に抱えて岩山の中腹へ出かけていったらしきことは、一階のカウンターにいたボーイ頭のヘンリー・ジェイスンやミロス、庭の掃除やプールの清掃をしていたサリーやロージーといったハウスキーパーに目撃されている。また、俺自身も二階の廊下の窓からランド博士が出かけていく背中を見てもいた。何故かといえば、博士とふたりきりで話したかったとすれば彼の後ろ姿を追いかけていくのが一番だったからだし、俺はランド博士とホリスター博士とホランド博士の三人でいえば、やはりクリストファー・ランドがいつでもどこにいるのか最も気にしていたような気がする。
だがその日、『とうとう最後の招待客三名がやって来ますね』、『どんな人たちなのかなあ』、『そろそろ百万ドルが手に入るならなんでもやったるでえって感じの、浅ましい奴がひとりくらいやって来そうじゃないですか?』……なんていうふうに博士のあとを追いかけていって話さなかったのは――その当の三名のことが気にかかっていたせいである。もちろん、三博士がやって来た時同様、いくら気なぞ揉んだところで仕方ないのはわかっている。だがその日はこのまま永遠にこの夏が続くのではないかというくらいの晴天であり、風もそよとも吹いてなく、この世界は宇宙開闢以来毎時間毎分毎秒このように平和だったものである……としか感じられないほどの、気怠く長い午後のひとときが間延びしたように続いていたのだ。
それでもやはり、当たり前すぎるほど当たり前のことながら、時間というものは基本的に前にしか進まぬ性質を有しているがゆえに、我々が待ち侘びていた例の最後の招待客三名が到着する時がとうとうやって来た。俺たちはよほど、ランドローバーに一緒に乗っていって出迎えたいほどだったが、やはりそんなことはしなかった。ただじっとホテルの前庭あたりが見える場所にそれぞれ陣取り、俺の場合であれば(一攫千金を狙ってやってきたドレッドヘアの黒人野郎かな)とか(アンドロイドといえばやっぱり美女ってイメージが強い。美人じゃなくてもべつにいいが、三人のうちひとりくらいは女性なんじゃないか?)、(白人のいかにもチャラそうなラッパーみたいな奴がやって来たら受けるな)……などなど、随分くだらぬ空想が膨らんでいたものである。
だがおそらく――というのも、残りの三人がどんな連中かという話をそれまでにもみんなとして来たことから――残りの三名の人物像については誰の予想も当たってなかったのではないかという気がしてならない。その理由は、到着した三名がこの時点で何歳かはわからなかったものの結構な高齢であり、この三人の老人を介護するための介護アンドロイドまで一緒に付いてきたからなのだ。
俺とロドニーは図書室にいて、バルコニーから下の様子を眺めていたのだったし、プールではミカエラとフランチェスカが泳いでおり、ビーチチェアではホリスター博士とホランド博士がパラソルの下でトロピカルジュースを飲みながらチェスに興じているところだった。と同時に――ミカエラはどうだったかわからないが――ほとんど全員が新しい招待客がいつやって来るかと待ち侘びていたものである。モーガン・ケリーはどうしているかわからなかったが、彼女にしてもホテルのどこかから新参者がやって来るのを見ていたはずだ。
もっとも、黒のランドローバーから降りてきた三名の客が結構な高齢者であったことで、俺たちが何故そんなにもがっかりしたのか、理由についてはうまく説明出来ない。無論、そんなのは老人に対する差別だとの意見もあろう。だがたぶん俺も含めたみんなは、三人が三人とも、それぞれ年齢も性別も人種にもバラつきがあり、こちらが何か面白がれるような側面を何かひとつくらいは備えているものと想定していたのではないだろうか。ところが、相手が全員の年齢を合わせれば、おそらく二百五十歳くらいになるのではないかという高齢者だったことで――面白がるどころか、むしろこちらが気遣ってやらねばならぬ存在だということで、そのせいでよりがっかりしたのではないかと思われる。
また、俺とロドニーに関していえば、二階から見下ろしていたせいで近くへいくまでの間ははっきり老人とまではわからず、さらにはあとから介護ロボットとわかる女性が遠目には綺麗な東洋人の女性であるように見えたため……そこで少しばかり「おッ!!」となったところがあったというのは素直に認めよう。これはロドニーと俺が東洋人の女性を特に好んでいたということではなく、お互いに「そろそろ中国人か日本人か韓国人がひとりくらい混ざっててもおかしくないんじゃねーか?」などと予想していたそのせいだった。
ところがその日の晩餐会にて正式に紹介されてみると、三人はマイアミにあるという高級老人福祉施設の入所者であり、アダム・フォアマン氏は友人である彼らを夏のバカンスに招いた――といったような、そんなところであったらしい。もちろん三人ともボケているといったような兆候は微塵もなく(第一今は認知症に対する効果的な治療薬が存在する)、頭のほうはしっかりしているどころか、話しぶりも歩きぶりも、その他あらゆる態度に至るまで、実に矍鑠としたものだった。むしろそれゆえにこそ俺は奇妙な違和感をこの三人に覚えたほどである。つまり、肉体こそ皺が刻まれ死へと向かい老いつつあるものの……その頭や心のほうは今もまだ若いままだといったような。いや、はっきり言おう。俺は最初に直感的にこの三名に対して、八十歳の老人の体に二十歳の若者の脳が宿っているような、奇妙な違和感を覚えていたのである。
とはいえ、三人それぞれの正確な年齢についてまではわからなかった。それでものちに、「三人合わせて三百歳くらい」と言っていたということは……いや、誰が一体何歳なのかとまでは、やはり俺はあまり考えたくなかった気がする。また、三人ともが実は百歳を越えているのだとしても、今は医療技術の進歩により百四十歳くらいで亡くなることもまったく珍しくない御時世である。ちなみに現在の世界最高齢の老人は、日本の埼玉に住むという百六十一歳の女性だった。
ひとり目、ヒュー・アンダーソンは、海軍にて大将の地位まで昇りつめた人物であり、六十歳まで軍籍にあってのち、兵器会社の顧問として七十五歳まで勤め、その後引退生活を送るようになったという。細面で鷹のように鋭い眼つきをしており、プラチナブロンドの髪のほうはまだ相当豊かだった。ふたり目のメアリー・アンダーソンは若い頃はとても美人だったのではないかという容貌の忍ばれる老女であったが、のちに介護ロボットのシノブをいじめている姿を見てから、俺は少々複雑な気持ちを覚えるようになった。三人目、トム・ジョーンズは空軍で長くパイロットとして勤めたのち、現役を退いてからは飛行機会社の重役となり、ヒュー・アンダーソンと同じく兵器会社の顧問も兼任するようになったという。トムの細君は先ごろ(去年のことらしい)亡くなったが、同じ兵器会社の会議室にて顔を合わせて仕事をするうち、ヒューとトムは家族ぐるみのつきあいをするようになり――ついには同じ老人介護施設で暮らすようになったというわけだった。
正直、クリストファー・ランド博士の死がまだわかっていない平和な最後のこの夜、俺たちはこの三名の老人たちを歓待する振りをしながら拍子抜けしていた。現代は七十五歳でも五十歳くらいに見えるような美容技術が存在するが、流石に百歳を越える頃には顔に深く刻まれた皺など、「寄る年波には勝てない」といった兆候が避けがたく表れるようになってくる。特にアンダーソン夫人は三人の中で老け具合の進行がもっとも顕著であり、彼女が女性であることを思うとこんなふうに表現するのは俺も嫌なのだが、ブルドッグのそれのようにだぶついた頬の皮膚、くっきりと刻まれた額の五重皺、目尻の小じわならぬ大じわ、首にある皮膚のだぶつきと十どころでなく二十くらいありそうに見えるいくつもの皺の段々……暑いせいだろう。彼女は上に薄物のカーディガンを羽織っていたが、下がタンクトップであったため、胸元にある数え切れないほどのシミが見たくなくとも目に入ってくる。
三人とも杖をつくでもなければ車椅子の世話になるでもなく、背中のほうも曲がっていなかったが、あまり自分から積極的に話しかけたいような老人でなかったことは確かである。ヒュー・アンダーソンもトム・ジョーンズも「我々は気難しいぞ。ウム」といったような雰囲気を気怠い夏の空気の中へ強烈に放っており、メアリー・アンダーソンは優しげな笑みを浮かべていたが、目は笑っていない――何かそんな女性だったせいである。
唯一、俺たちはそんな三人の背後に忠実なメイドのように控える介護ロボットの姿を見た時だけ、何故だかほっと心が安らいだ。彼女は一目見てすぐにアンドロイドだとわかるタイプのロボットではなく、かなり高性能タイプの、長く話すうちに『ああ、なんだ。彼女アンドロイドだ』とわかるタイプの介護ロボットだったと言える。
ゆえに俺とロドニーはこの時、残りの招待客は三名の予定だったが急遽四名に変更になった――ということのほうに期待した。だが残念ながらそうではなく、夕刻にあった晩餐会時にシノブは三人を介護する介護ロボットとして紹介され、俺たちは何故だかすでに『本物のヒューマノイド当てクイズなぞ、もうクソ喰らえだ!!』という気分になっていた気がする。というのも、この三人の老人をヒトそっくりのアンドロイドなのでないかと疑うことは……「その老人斑、マジ本物っすか?」と疑ってかかることであり、その他「いやいや、しっかしよく出来た皺のだぶつきだなあ」などと、失礼にも女性の体をじろじろ見たりすることを意味したからである。
そのようなわけで、晩餐会で互いに自己紹介する中、俺たちの間にはなんとも言えないような白けムードが自然と広がっていった。そして、この日の一番のハイライトはといえば――実はこれで『本物のヒューマノイド当てクイズ』の参加者が全員揃った!!ということではなく、招待主であるアダム・フォアマンが初めて姿を現し挨拶したということであった。
彼は他の仕事が忙しく、なかなかオカドゥグ島へやって来れなかった非礼を客たちに詫び、乾杯のあとのダンスの時間にはメアリー・アンダーソンと親しげに腕を組んで踊っていたものである。ちなみにアダム・フォアマンは四十代後半か五十代前半くらいの、東洋系の血が混ざっているように見える、豊かな黒髪に整った顎髭を生やした男性だった。ハンサムではあったが、全体として控え目で落ち着いた印象であり、自分から率先して目立つ行動を起こすタイプではない……といった雰囲気の人物であるように見受けられた。無論これはあくまで俺の第一印象に過ぎないことだから、ミスター・フォアマンの本当の人物像についてなど、もう少し深くつきあってみないことにはわかりようなどないことではある。
「テディ、おまえさ、もうそろそろミカエラと寝ちゃえよ」
最後の招待客三名(+介護ロボット)と、招待主であるアダム・フォアマン――これで一応役者のほうはすべて揃ったはずだった。だが、俺たちは目で会話できるくらいにはすでに相当親しくなっていたから、互いの顔を見ただけでわかっていた。この展開についてフランチェスカもロドニーもがっかりしており、そもそも最初から『百万ドルがあったら何に使おうかなあ。わくわく』などと本気で考えていたというわけでもない。もしかしたらふたりとも(ネットのない環境に身を置くのにも飽きたし、そろそろ帰ろうかしら)と考えていたとしてもまったくおかしくないくらいだった。第一俺にしてからがすでにそうした思いに囚われそうになっていたくらいだから。
「ダメだよ。もしまだここにいて、最後まで事の成りゆきがどうなるか見守るとしたら、ミカエラが本当は何者なのか、その部分が見極められない限り……寝るなんてこと、絶対できないよ」
「やれやれ。オレとフランチェスカの間じゃ、おまえの禁欲生活が一体何日続くかで賭けまでしてたってのにな。あんな誘惑の塊みたいな可愛い子がすぐ隣で寝てるってのに――オレがおまえなら絶対無理だね。もし向こうが自分の好みじゃないとか、あからさまに嫌ってる態度を取ってくるとかっていうんならともかく、あんなに毎日熱烈に『スキスキアピール』してくるっていうのにさ。テディ、おまえ、あとから絶対後悔すんなよ」
「わかってるよ!!」
ロドニーと俺が自分のことを話していると察したわけでもないだろうが、この時ミカエラはカウンターのスツールに座る俺たちのほうまでやって来ると「テディ、わたしたちも踊りましょ!」と言って俺の腕を掴んだ。サルサダンスなど、俺も前まで一度も踊ったことはなかったが、ハバナやドミニカあたりのバーでは当然誰も細かい振付について気に留めてなどいない。大体のノリと雰囲気で音楽に合わせて踊っていれば、ただそれだけでいいのだ。
また、ここへやって来た当時「カナヅチで泳げない」としょげていたミカエラだったが、彼女には唯一ダンス、踊るということについては天性の閃きとも言うべき才能があるようだった。確かに、「その時俺たちはフロアを席巻した」というほど派手なことまではなかったが、ミカエラが踊りはじめると誰もが彼女のことを熱い眼差しで見つめはじめるようになるのだ。たとえば、シノブのような介護ロボットは泳げるような機能まではないし(ミカエラが泳ぎを教えてくれと言うので、そういう時に彼女の体のどこかに電源ポートがないかなど、俺はさり気なくチェックしていたものだ)、ミカエラがその後浮き輪なしで泳げるようになったほどには――そもそも水中に長く浸かっていたいと思わないはずだった。
かなり旧式のロボットであれば、今でも故障を避けたり、街中で動けなくなることを憂慮して、雨の中でかけるべきか否かと、特にロンドンのような都市に住むアンドロイドは煩悶しているはずである。だが、現在の最新シリーズに近いロボットであればあるほど――耐火性・防水性により優れており、軽量化が進んだことでプールで泳いでも沈まなくなったと言われている。また、ミカエラのダンスは自由で創意工夫に溢れており、本当に素晴らしくもあるのだが……それでいてどこか、俺にはステップの踏み方など、ある一定の規則に従っているとでもいったような、人形が見事にタップダンスを踊るのにも似た……何か、無意識の奥に内臓されたものがそのまま表出している、自動的な感じを受けてもいたのである。
だから俺はこの時、音楽が終わり、人々が温かい拍手を送ってくれるのと同時、ミカエラの手を放すと――介護ロボットのシノブの元まで行って、彼女に「踊らないか?」と聞いていた。シノブはヒュー・アンダーソンやトム・ジョーンズといった自分の主人を相手に軽やかに踊ってみせていたし、背中に手を回して体を揺するといった動作については苦もなく出来るようだったからだ。
「構いませんか?」
シノブが許可を求めるようにトムやヒューのほうを窺うように見たため、俺はテキーラやラム酒を飲む彼らのほうに視線を送ってそう聞いた。「ロボットと踊りたいというのであれば、まあわしらは構わんがね」というのがヒュー・アンダーソンの答えだった。シノブはそもそも彼が購入したものを、当然夫人であるメアリーも、その後ジョーンズ夫妻もヒューの好意によってユーザー登録させてもらったという、そのような介護ロボットであったらしい。
老人ではなく、彼らの半分以下の年齢の若造と踊れることになっても、シノブの顔の表情に(嬉しい)といった変化はなかった。ワルツを踊っている時の反応も、ヒューやトムといった自分のご主人さまと踊っていた時とまるで同じだ。そして音楽がやむと同時、「それでは失礼致します」と、シノブはスカートの裾をつまんで礼儀正しく挨拶すると、すぐに去っていった。
「んもうっ!!テディったら、あんなわたしより若い娘と踊ったりなんかして!!ミカエラ、もう激怒ぷんぷん丸なんだからっ!!」
最後にシャンパンをもう一杯引っかけて大広間のほうを出ると、ミカエラはムッとした顔をして俺のあとを追ってきた。これは、プエルトリコやセントルシア、バルバドスのバーでも大体似たようなことがあった。「カウンターにいた地元民の女の子が熱っぽい目でわたしのダーリンを見ていた」だの、「他の子とも踊ったりなんかして、もう信じられないっ!!」だのいう、俺の耳には戯言のようにしか聞こえない何かだ。
「何言ってんだよ。相手はただの介護ロボットだぞ?なんかさあ、カワイソウだよなあ。生まれたその瞬間から故障してもう直せないって時になるまで……あのタイプは大体耐用年数が二十五年くらいなんだ。仕えるご主人さまが大切にしてくれたら、それでも部品交換したりして三十年か三十五年くらいは持つといったところかな。その後はプログラムを消され、五体をバラバラにされ、再利用できるところは別のロボットで再利用するってところか……」
ここでミカエラは俺に追いつくと、がしっといつものように俺の腕にしがみついてきた。
「テディってほんとに優しいのねっ。あなたのそういうとこ、ミカエラ大好きっ!!」
――酔っていたせいもあり、俺はこの時一瞬、出来心から誘惑に負けそうになった。(こういうアーパー女はまともに相手にするとあとが怖い……)最初はそう思い、用心していたはずだった。けれど、ミカエラは本当にただ純粋なだけの、天然電波娘だというそれだけなのだ。
『テディ、おまえさ……セックスドールと寝たことくらいあるだろ?』
自分のそれまでにあった恋愛遍歴について吐かされたあと、ロドニーはそう聞いてきたことがある。俺は何故か『N社でコラムを書いているジャーナリスト』という立場を得てから――何故か取材先などで妙にモテるようになり、おそらく同じ年の一般男性より経験の数自体はそれなりにあるはずだった。
『うん、そりゃまあ当然あるよ』
嘘をつく意味自体がないと思い、俺はそう白状していた。
『じゃあ、どうしてもミカエラがアンドロイドかもしれないって可能性が五パーセントはあるっていうんならさ、彼女とセックスすればはっきりするんじゃねえの?だってオレの知る限り、セックスドールのヴァギナと人間の女のそれは違うもんな。それに笑っちまうことには自分で潤滑液を補充したりなんだりしなけりゃならないんだぜ。ようするにより進化したオナホールってことさ。けど、この感触は人間の女というよりはたぶん……セックスドールのアソコに近いなんてことがわかっても、相手には絶対気取らせるなよ。で、「君は何もかもすべて完璧でサイコーだ」とでも言って、ミカエラの望むところにキスでもなんでもしてやればいい』
――だが俺はこの時、ミカエラの天使のように汚れのない眼差しと目と目があうと……どうにかギリギリのところで心の内に潜む悪魔に打ち勝った。そしてミカエラの部屋の前までやって来ると、「おやすみ」と言って彼女の額に優しくキスして別れた。
そして実際のところ、そうしておいて正解だったのだと思う。何故といってこの翌日、ジェイムズ・ホリスターがクリストファーが部屋にいないということに気づき、ランド博士をホテルの従業員たち総出で捜すということになっていたからだ。ホテル内のどこにもいないことがわかると、当然今度は外を捜すということになった。無論、俺は何度も博士と一緒に黒い岩場を散歩して話していたのだったし、俺自身こそがまず真っ先にそちらへ向かうべきではあったろう。
だが、俺はそうしなかった。逆方向にある白浜のビーチまで十分ほどかけて歩いていくと、ランド博士が岩と岩の間に簡易テントでも建て、そこで眠っているのではないかと思っていた。もっとも、実際にそんなことをしていたのはアーサー・ホランドであって、彼は一晩中波の音を聴いて眠ってみたい……といったようにミロスに頼み、その後も時々同じことを繰り返していたようである。そして確かにクリストファー・ランドも「今度つきあうよ、アーサー」といったことを話していた記憶がある。けれど俺はこの時なんとなく……海辺の岩場あたりででもランド博士が転び、動けなくなっているのではないかという気がしてならなかったのだ。
博士に自殺しなければならないような理由は見当たらなかったし、俺にしても白浜のビーチにクリストファー・ランドの死体がイルカかシャチのように打ち上げられていると想像していたわけでもない。けれど、ホテルの宿泊客が一晩戻らなかったと聞いて俺の脳裏に思い浮かんだイメージというのが、まず第一に海辺で孤独に体育座りしている少年や青年――実際には中年――といったものだったのだ。
だが結局、ランド博士の姿を見つけるどころか、危険な岩場でコケてしまい、膝をしたたか打ちつけるという怪我をして俺がホテルまで戻ってみると……クリストファー・ランドがよく通っていた黒い岩場にて彼の死体が見つかったということだったのである。
>>続く。