真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

「すべて逆になった光子」とは?

2013年02月25日 | 素粒子

 日本のグループの実験では、干渉計の中の粒子がある場所に存在する確率がマイナス1になりました。
「確率マイナス1の光子」が果たして実在なのか、という疑問が生じる。
しかし、この場合「マイナスの確率」というのは、何かが負の数だけある、というのと同じで、意味をなさない。

 光子の数がマイナスなのではなく、物理的な特性が「すべて逆になった光子」が正の数だけ存在するとみるべきだ。
普通の光子は振動数に比例する正のエネルギーを持つが、この光子は同じ大きさの負のエネルギーを持つ。
偏光の方向も、通常の光子とは逆になる。

 普通、粒子の数の測定は、強い測定だが、弱い測定では、粒子の数を数えるのではなく、代わりに粒子の何らかの物理的性質を測定することになる。
測定値が負の値になったら、それはその性質が通常と逆であることを意味しており、粒子の数が負になるわけではない。
例えば粒子の質量について弱い測定を行い、負の値が出たら、その粒子は負の質量を持つということだ。
相対性理論においては質量はエネルギーと等価なので、粒子は負のエネルギーを持つことと同等だ。

 物理的性質が逆の粒子というのは、反粒子とはまったく異なる。
反粒子は、電荷やスピンなどが逆になっているが、質量は粒子と同じ正の値で、従って正のエネルギーを持つ。
しかし、「すべて逆になった光子」は、質量やエネルギーを含め、すべての物理的性質が逆になっている粒子であり、まったく新しい概念だ。

 実験では、最初に干渉計に入れるのは普通の光子ですが、それが干渉計の中では、物理的な性質が逆になった不思議な光子になり、実験装置から出てきた時には、また普通の光子に戻るということになる。
そして、最初に光子を入れる時に強い測定をして、同じ方向から来る光子だけを選んでいる。
干渉計の中で弱い測定を行い、最後に出てきた光子に再び強い測定を行って、特定の方向に出てきたものだけを選択する。
干渉計の中で、負の数だけ存在しているかのような光子は、その物理的性質が普通とは逆になっている。
この光子は実在するが、弱い測定でしか見ることはできない。

 弱い測定の理論が、量子力学を理解する上で重要なことは、この考え方が量子力学だけでなく、「時間」というものについて新しい見方を開くだろうということだ。
これまで私たちは、時間は常に過去から現在へ、現在から未来へと一方向に流れるものと考えてきた。
だが、量子力学によれば、自然には時間が逆方向に流れるような現象もある。

 時間についての新たな見方は、量子力学を宇宙に適用する試みにおいて、新たな手がかりを与えてくれる。
私たちのこの宇宙は、それ自体、1つの大きな量子系だ。
過去に始状態が、未来に終状態があり、今はその中間にある。
現在の宇宙のありようは、過去と未来に存在する2つの境界条件によって決められている。

 これまで私たちは、宇宙の始状態から現在に至る過程のみに注目してきた。
しかし、終状態も時間を遡って現在に影響を与えている。
宇宙の現在の状態は、過去から現在までを語るヒストリー・ベクトルと、宇宙が未来に向かってどう変わっていくかを語るデスティニー(運命)・ベクトルの両方によって記述される。

 この考えは物理学にとどまらず、進化論などあらゆる分野に波及し、その理解に大きな変化をもたらすだろう。
時間こそ、自然と、物理と、生命を理解する上で最大のミステリーである。
私たちは時間というものについて、新たな見方を求めるべき時期に来ているのではないか。

 宇宙全体に量子力学を当てはめる考えとしては、宇宙全体が量子的な重ね合わせになっており、無数の状態が並行して実在すると考える「多世界解釈」があるが、この考え方とは異なっている。
多世界解釈では、量子力学的な重ね合わせになった宇宙がすべて実在し、それを見る私たちも、宇宙の数だけ重ね合わせになっていると考える。
未来に向かうにつれて、宇宙の数はどんどん増える。
実現可能性がある宇宙は膨大にあるという点には賛成だが、そのすべてが実現しているとは思わない。
無数の重ね合わせ宇宙の中のたった1つが、宇宙の終状態への道筋を記述するデスティニー・ベクトルによって選ばれ、実現しているものと思う。
宇宙の終状態は1つだけで、そこに至る現在の宇宙も1つだけであり、ほかの宇宙は存在しない。

 しかし、伝統的な量子力学の考え方では、量子的な重ね合わせは外から観測することによって壊れ、ただ1つの状態に収束するとされている。
ただし、この考え方を宇宙に当てはめると、宇宙を外から観測できる神のような存在が必要になり、物理学とは相容れないとの意見もある。
しかし、だからといって宇宙の終状態を選ぶ神が必要になるのではなく、宇宙の始状態と終状態を決めるのは、宇宙にもともと備わっている特質であり、当然、神が選択する必要はない。

 伝統的な量子力学では、量子的な重ね合わせ状態を観測すると、どれか1つの状態がランダムに実現し、あとは消えると考える。
一方、多世界解釈では、観測すると状態が1つになるのではなく、観測者の方が重ね合わせになり、あらゆる状態が等しく実現しているとみる。
宇宙の数はどんどん増え、それぞれが異なった終状態に行き着く。

 アハラノフは、実現する状態は観測によってランダムに選ばれるのではなく、未来の状態によって決定されると考えている。
まだ見ぬ宇宙の終状態がただ1つ存在し、そこに行き着く宇宙だけが時間を遡って選択され、実現するとの見方だ。
現在の宇宙が2つのベクトルで記述されるという考えは、始状態と終状態の選択による弱い測定のアイデアは受け入れられつつあるが、宇宙全体に一般化できるかどうかは、また別の話である。


「宇宙の未来」が「現在の宇宙の姿」?

2013年02月25日 | 素粒子

 弱い測定値の理論は、時間を測定可能な物理量にできる可能性を秘めており、量子力学の新たな解釈を開く可能性もある。
量子論は一般に、初期状態が決まった時、その後のある時点での状態を予言する理論だと考えられている。

 しかし、アハラノフは初期状態と終状態が決まった時に、間のある時刻で弱い測定をすると、何が見えるかを示す理論だと考えているようだ。
この考えを宇宙全体に当てはめると、重ね合わせになった無数の宇宙の中で、ある決まった終状態に行き着くものだけが実現し、それが現在の宇宙だということになる。
私たちが日々見ているこの宇宙は、弱い測定によって覗き見ている宇宙の「弱い測定値」なのかもしれない。
そう考えると、弱い測定というのは決して特殊な測定なのではなく、日々、私たちが実行している営みなのかもしれないのだ。

 つまり、逆流する時間が存在することで、「宇宙の未来」が「現在の宇宙の姿」を決めていて、それを決めているのは、「宇宙の最終状態」である。
そして、それこそが「宇宙の進化」である。


 現在の状態は未来に到達する状態から時間を遡って選ばれ、現在の宇宙の姿は、まだ見ぬ宇宙の最終状態によって決められているのだろうか?

 量子力学によると、自然は気まぐれに振る舞うとされる。
まったく同一の物理系を同じように観測しても、結果はランダムに変化する。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ってこのことに疑問を呈したが、実際に観測すると、確かに自然は気まぐれに振る舞うように見える。

 では、なぜ神はサイコロを振るのだろうか。
まったく同じもので構成された物理系が、異なる状態に行き着くのはどうしてか。
その理由を探し、異なる状態に発展する物理系には初めから違いが存在しているが、その違いは後からその物理系を観測することによってしか見いだせない。
自然のこうした特性を式で示すには、量子的な状態を表す波動関数が2つ必要になる。
1つは過去から現在までを示す波動関数、そしてもう1つは未来から現在までを遡って記述する波動関数である。
量子的な状態を、この2つの波動関数を使って書く必要がある。

 ある物理系の現在の状態は、その系がたどってきた過去だけでなく、これから進む未来によって決定されている。
そのことを具体的に示すような実験がないだろうかとの思いで、考え出されたのが「弱い測定」である。
物理系をごく弱く測定することで、その量子的な重ね合わせ状態を乱さずに測定するものだ。

 普通は、量子的な重ね合わせは不確定性原理により、測定すると壊れてしまうと考えられているため、物理系を観測してその状態を知るには、その重ね合わせを壊すという代価を払わなくてはいけない。
そして、測定で見えるのは壊れた後の状態で、壊れる前の重ね合わせ状態を見ることは不可能だと考えられてきた。
しかし、それは必ずしも正しくない。
観測した時に壊れる程度は、得られる情報の大きさによって決まるからだ。
数学的に言えば、観測による壊れの程度は、観測によって得られる情報量の2乗に比例する。
情報量を小さくしていくと、壊れ度は急速にゼロに近づく。
得られる情報量を極限まで減らせば、重ね合わせを壊さずに観測することが可能になる。
1回の測定で得られる情報は非常に少ないが、測定を何度も繰り返すことによって、量子状態を見ることが可能になる。
しかし、測定を何度も繰り返すには、同じ観測が何度もできることが前提になり、量子状態はまったく同じ条件で観測しても、結果がそのたびに異なる。
だから、測定対象が実験の最初から最後までまったく同じになった場合だけを選んで測定する。

 まず最初に、実験を始める際の始状態を普通に測定して、特定の状態になっているものだけを選び出す。
実験を始め、その最中に弱い測定を実行する。
実験が終わったら、最後の状態を普通に測定し、再度ある特定の状態(最初の状態とは異なっていてもよい)になったものだけを選んで、先ほどの弱い測定の結果を記録する。
最終状態は気まぐれに変わるので、弱い測定結果のほとんどは捨ててしまうことになる。
同じものを選んで積み重ねれば誤差が減り、実験中の量子状態が見えてくる。
最初の状態と最後の状態を選択することで、途中の状態を測定できる。

 例えば今回、日本のグループが実施した実験は、英国の物理学者バーディーが提唱したパラドックスに基づいている。
量子的な干渉計を2つ組み合わせ、それぞれに電子と、その反粒子である陽電子を入れる。
電子と陽電子は出合うと消えてしまうにもかかわらず、2つの粒子の波動関数の干渉は起きる。
奇妙な思考実験だ。

 干渉計の中でいったい何が起きているのか、これまで誰も説明できなかった。
物理学者たちは 「干渉計の内部で起きている現象は、干渉を妨げずに観測することはできない。観測できないことを語ろうとするからいけないのだ」
と言ってきたが、そうした考えには反対だ。
電子と陽電子が特定のパターンで入力・出力される場合を選んで弱い測定を行えば、干渉計の中で電子と陽電子がどのように進み、なぜ干渉が起きるのかを見いだすことができる。
電子と陽電子を使う実験は困難だが、今回、日本とカナダのグループがそれぞれ、光を用いた実験で実証した。
「弱い測定」というのは、まったく新たな概念だ。
これまで長らく、「測定できない量子状態には、物理的なリアリティ(実在性)はない」と考えられてきたが、そうではない。
始状態と終状態を選べば間の量子状態は測定でき、その量子的な実在についても議論できる。
これは素晴らしいことで、これまで考えられてこなかった量子力学の新たな側面に光を当てるだろう。

 これまで物理学者たちの間には、量子状態を見ようとすると必然的に量子状態を乱してしまう、そしてその乱れは見る方法によって異なる、という直観があった。
観測によって様々に変化するものを、「実在」とは呼びにくい。
だが弱い測定は、通常の測定と違って、量子状態に影響を与えない。
ならば、この方法で測ったものを「実在」と呼んでもいいはずだ。


「マイナス」の確率が存在する? 「アハラノフの予言 」

2013年02月25日 | 素粒子

 量子力学が語る見えない量子現象を覗いてみると、常識を超える不思議な現象が見えてくる。
確率というのは本来、正の値しかあり得ず、負の碓率は考えないものとされてきた。
2002年には、アハラノフというイスラエルの物理学者が、「負の確率」の存在を予言している。
そして、この「負の確率」という常識に反する現象が、「干渉計の中の光子をそっとのぞき見る」といった測定法によって、実際に観測された。

 その確率は、「マイナス1」であった。

 確率というのは0から1の間の値をとる、と誰もが自然に信じている。
だがこれが負の値になることがあり、しかもそれが実験で確認されたという。
一体どういうことなのだろう?

 量子力学によれば、私たちが見ていないところでは、物体は相反する状態が同時に実現する[重ね合わせ」になっている。
lつの電子は異なる場所に同時に存在し、1個の光子が異なる方向に同時に進む。
だがそんな不思議な電子や光子を、私たちが見ることはない。
重ね合わせになった状態を観測すると、どれかlつの状態がランダムに選ばれて実現し、残りは消えてしまうからだ。
量子力学が語る物体の多重状態は「開かずの扉jの向こうにあり、私たちはそこから気まぐれに飛び出してくる、ごく一部の現象しか見ることができない。

 量子力学のこのくじ引きのような特質は、アインシュタインを戸惑わせ、量子力学への疑問すら呼び起こした、見えない多重状態の実体は何なのか。
測定した時に見える状態は、一体どうやってて決まるのか。
量子力学の創始者ボーアは、そうした疑問は「問うても意味がない」と断じた。
物理的に意味があるのは、あくまで観測した時に何が見えるかであり、観測できない多重状態について論じても無意味だと説いた。
 ところが1980年代後半、ボーアの教えに公然と反旗を翻す人物が現れた。
イスラエルの物理学者、現テルアビブ大学名誉教授のアハラノフだ。
アハラノフは「測定対象をごく弱く測定すれば、量子的な多重状態を壊さずに観測できる」と主張し、その具体的な方法を提案したり、弱い測定は1回だけでは情報量が少な過ぎて何も見えないが、何度も繰り返して平均すれば、重ね合わせの輪郭が見えてくる。
 だが量子力学の気まぐれな特性のために、重ね合わせ状態が最終的に行き着く状態はランダムに変化する。
弱い測定は、最初と最後がそれぞれ、ある特定の状態になる場合だけを選んで実行し、それを何度となく繰り返す。
この「最終状態の選択」がくせ者で、しばしば弱い測定での観測結果に、物理学の常識に反するような現象を引き起こす。
鏡が光子を反射する時に光子に吸い寄せられるような力を受けたり、粒子の基本的な性質であるスビンが通常の数百倍も大きな値になすったりすると、アハラノフらは理論的に予測した。

 中でも物理的直観に反するのは、英国の物理学者ハーディーが提唱した特殊な干渉計で起きる現象だ。
干渉計に粒子を入れて、弱い測定で中を覗くと、ある場所では粒子の存在確率か「マイナスl」になるという。
確率というのは本来、正の値しかあり得ず、負の碓率とは何なのか、極めて想像し難い。
このことはアハラノフ自身によって2002年に予言されたが、彼自身は負の確率という言葉を嫌い、別の表現で説明している。
「弱い測定」への関心は、最近とみに高までっている。
2007年6月、米国のアリゾナ大学で、弱い測定に関する初の国際ワークショップが開かれて弱い測定と弱い測定値:量子力学における実在への新たなアフローチ」をテーマに、熱心な議論が交わされた。
研究は理論と実験の両面で着実に進み、今年に入って大阪大学の井元信之らと、カナダのトロント大学のスタインハーグらが、それぞれ光を使ってハーディーの干渉計の実験を行い、アハラノフの予言を実証した。
量子力学の「開かずの間」を、そっと覗いてみることが可能になったのだ。

 物理学の基本方程式のうち、物体の運動を記述するニュートン方程式や、電磁気学を記述するマクスウェル方程式などは、時間を示すtを負の値にしても問題なく成立する。
「時間反転対称性」と呼ばれる性質で、これを満たす方程式は、現象の未来だけでなく過去をも語る。
ボールが今ある場所と速さ、ボールに働く力がわかれば、数秒後にどこに飛んで行くかと同様に、数秒前にどこにあったかもわかる。
一方、熱力学の方程式には時間対称性はない。
熱い湯と冷たい水を混ぜたら、数秒後に全体がぬるくなることは予測できるが、ぬるくなった水が以前どんな状態だったのかについて、熱力学は語らない。
 量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式にも時間対称性がある。
電子や光子の量子状態がこの式に従って変化している限り、過去も未来も予測可能だ。
しかし、量子状態を測定した後のことを含めた理論体系でも、時間対称性は成立し得るのだろうか?

 こうした試みの端緒を開いたのが、1963年にアハラノフらによって提唱された、新たな量子測定の理論だある。
彼らは、量子状態が測定後にあらかじめ決まった状態になるという仮定をおくことによって.時間対称性を持つ量子測定の理論を構築下。
そして、1988年には、この量子測定の理論を発展させ、量子状態をほとんど壊さずに測定する「弱い測定」という概念を導入した。

 弱い測定値は、未来の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式と、過去の方向に時間発展するシュレーディンガー方程式のペアによって定義されている。
弱い測定値は、これまでの物理の常識とは相容れない結果になることがしばしばある。
特に最近、大阪大学の井元信之と横田一広らが、弱い測定でないと観測し得ない粒子の負の存在確率を実証した実験は記憶に新しい。

 量子状態を壊さない弱い測定という、これまで量子力学の外にあった現象を取り込んだ理論の全体像は、まだ明らかでない。
今までの量子力学と何が違うのかということを明確に断言するまでには、研究は成熟していないのが現状だ。
量子状態をガラス越しに覗き見た時に得られるような、弱い測定値によって開かれる理論の全体像を明らかにすべく、研究が進められている。
そして、そのカギを握るのは時間対称性だ。
時間対称性のある理論は、未来だけでなく過去に対しても予言能力を持ち得る。
更には、未来を予言できるような枠組みを数学で記述することで、弱い測定値から、量子状態が現在の姿になるまでの過去の過程を解き明かすことも可能になる。

 現在までのところ、量子力学は現象の予測に比類無き威力を発揮してきたが、理論の枠組みとしては大きな問題を抱えている。
アインシュタインが提唱した一般柏対性理論との矛盾である。
一般相対性理論の枠組みの中では、時間と空間は原理的に区別できない。
一方、量子力学では、空間は測定可能な物理量だが、時間は理論を記述するためのパラメーターにすぎず、両者は切り離して考えざるを得ない。
そのため、量子力学と一般相対性理論は相容れない。