Sky from a jewelry studio---

どんな時間を生きていても、誰の上にも広がるそら。

引っ越しました。

2005-04-16 14:32:11 | diary
このブログのテンプレートを変えたくてずうっといろいろ探してたのですがいいのがなく、 ついでに重かったので、別のページに鞍替えしました。
こちらです。
http://blog.livedoor.jp/sol5_6/

ブックマークとかされている方がもしいらっしゃったら、お手数かけますが変更をお願いします。
こちらも置いておきますが、これからはも一個の方で更新していくのでよろしくお願いします。

脱、スネ夫

2005-04-10 02:17:17 | diary
さっきまで、ビリヤードのジャパンオープンの試合(録画)を見ていました。準決勝の試合で、ビリヤード界では知らぬ人はいないと思われるほど有名で大ベテランのフィリピンの選手と、日本人の若手選手との試合でした。
9ボールというゲームを8回先に勝った方が勝者となるルールだったのですが、二人ともとても良い勝負をしていて、最後までどちらが勝つともわからない状態が続いたのです。結果的には健闘していた日本人の選手がプレッシャーのあまり、大切なキーボールを入れることができず、その後ベテランの方の選手が何とか取りきったという形でフィリピンの選手が勝利を得ました。
しかし、テレビの画面でみていても、どちらも同じくらい緊張していて、むしろベテランの選手の方が普段なら簡単に入れられる玉をはずしていたように見えました。プレッシャーはどんなに経験を積んでいても、同じ目的(ここでは「勝つ」ということですね)に対しては同じ様にかかってくるのです。でも、その時の自分の持っている手段全てを尽くすしか、手はないのです。

私は現在の自分を恥じました。

ものすごくプレッシャーを感じる大切な作業を目の前に、逃げてしまう。大局においては人任せにしてしまう。
そのときにどういう言い訳や、事情や、その他諸々があっても、本来なら、背負わないといけないときは背負わないといけないのですよね。
これって、とても当たり前の事ですよね。なんだか、今の自分はまるでドラえもんに出てくるスネ夫そのものです。漫画読んでた子供の頃は一番嫌いなキャラクターやったのに。(ちなみにのび太も似たような意味で二番目に嫌いです。どうでもいいですが)

上記のテレビのビリヤードの試合では、日本人の若手は淡々とプレイをしつつも(内心は全然ちがうとは思いますが)プレッシャーを自分の力に取り入れて相手をおびやかし、最後は負けたけれど新しく大きな経験を一つ身につけ、一方ベテランのフィリピンの選手は、自分のプレッシャーに押されそうになってありえないミスをおかしながらも、これまでの経験と練習の成果の全てとプラス精神力でその勝利をもぎとり、プレッシャーはそうして二人の選手に大きな成果を与えたのです。

あの時、逃げないで自分で成し遂げていたら、失敗もあったのかもしれないけれど、
もっと大きな何かを手に入れたれたのに。
自分のやってきたことを後悔する気は無いですが、
目の前に転がっている大きなチャンスからも逃げていたのです。もったいなすぎる。
自分がジャパンオープンの決勝戦、最後の一打で勝利か負けかがきまる瞬間、逃げ出すことが果たして許されるのか?そういう思いもこれから取り入れます。そしたら出来杉くん位のポジションになれるかもしれませんね・・・(???)

絶好の花見日和・夜桜美しい:T/16℃:H/58%(21:00) レッスン×3・ワックス型キャスト(SV)

愛のカタチ?vol.2

2005-04-04 03:58:50 | diary
見れた、見れたんですよ。昨晩。「マトリックス(1)」を。
2と3は何度もケーブルテレビでやっていて、そこで色々な疑問が噴出し、1を見て早く解決したかったのです。かといって、1も大分前に一度ビデオを借りて見ていたので借りて観るほどでもないし、じーっと、虎視眈々とテレビで放送されるのを待っていたわけです。
地上波で吹き替えだったのは少し物足りない気がしましたが、これまでたまっていた疑問を解決すべくテレビにかじりつきました。すると、いろんな事がちゃーんと説明されているのですね。前に観た時には気にもしなかったシーンやセリフがしみじみ理解できました。
「説明しすぎちゃう??」って思ってしまほどでした。2と3が訳分からなかった方は、1をもう一度観ることを真剣におすすめします。

でも、1を観てもやっぱりわからなかった、大きな疑問が1つだけありました。
3のラストは理解できたのです。ネオがとった行動によって、スミスとネオ両方が消滅するということに。(観ていない方すみません)
しかし、1と2のラストは、キスシーンが大きな役割を背負っています。
あんた、そこまでやられてて、しかも死んでる(マトリックス界では)のに、愛する人のキスによって、こうも簡単に蘇るのかと。しかも蘇った後にバージョンアップまでしてる。

でも、誰が言ったかは忘れたけれど1のなかで、「心と体は同じだ」とも言われていて、
マトリックス界(機械世界の仮想現実)には、コンピューターのシステムには、愛が理解できなかったんかなあ、と解釈することにしてみました。愛こそが、機械社会で奇跡を起こす唯一の力。

1と2を最初理解できなかったから。もっと心を解放しなければ、と実感した一夜でした。

補足

2005-03-19 20:59:40 | diary
最近、ころころ背景が変わって、何じゃこりゃ、と思われている方もいらっしゃると思います。
なんとか春っぽいイメージにしたくて、いろいろいじっていたのですが、
こないだ生徒さんに「前の方が好きだった」と言われ、あっさり元に戻した次第です。
流されやすくてすみません。

春とシンクロニシティ

2005-03-16 00:58:01 | diary
理論的に物事を処理できない代わりに、自分は「勘」とか「感受性」というおおよそ得体の知れない野生的な能力に恵まれているような気がします。
あと、普段の生活では「間の悪さ」をとことん表現しまくっているのですが、人生のちょっとした局面はなんとか乗り越えてきているので「もしかしたら、サーファーになれば、けっこういい波捕まえられるんかも・・」などという妄想をふくらましたりしています。しかし、波にのるにはまだまだ寒すぎますよね。早く春にならんかなあ。

つい最近、ネット上で新たに知り合った人がいるのですが、その方にはシンクロニシティ(共時性)を感じることが多いです。
なんじゃ、シンクロニシティって、って。なんとなくかっこいいから使ってみたのですが、なんかあの友達どうしてるかな~、と思っていたらその友達から電話がかかってきた、とかそういうような現象など、のことです。
まだ2週間ほどしかたっていないのですが、彼女が日々書き連ねている文章を読んで、自分が案じていることの本質やそれへの答えがそのまま書いてあるような気がして安心して泣いてしまったことも何度かありました。ネット上で私の文章を見つけ、アクセスしてくれたのは彼女のほうからなのですが、もしかしたらそのときに私のほうも彼女の感情の波と同調するようなことを書いていたのかもしれません。なんにせよ、そういう出会いがあるということにかなり新鮮な驚きを覚え、とても、幸運やったと思います。きっと、皆さんも、こういう経験何かしらされてますよね。なんかロールプレイングゲームで7つの呪文がぴたりとあって、次の展開へ進めたときのような、整頓された高揚感を感じます。

それとは少し違う現象で、私以外の私の周りの人々のシンクロニシティ。この春から新しい勉強を始める(大半が学校機関にまで通って)。
これは何かの啓示なのか、ここんとこずっと考えてるんですけど・・・やっぱり「勉強しろ!!」ということなのでしょうか、そのまま過ぎですけど・・・。ま、明日から暖かくなるようだし、春本番になったら考えよう~

カタカナ恐怖症

2005-03-11 18:27:51 | diary
どうもこの間背景を変更してからうまく文字が表示されない状態が続き、いらいらしてしまうので結局また変更しました。これなら大丈夫みたい。

ここ何日か、とても暖かい毎日が続いて、気持ちもぬくぬく、足取りも軽く、ちょっとチャリンコに乗ってぶらぶらしてしまいます。写真のはっぱはうちの家の玄関においてある名も知らぬ(私が無知なだけやけど)植木です。ちっぽけな存在だけど、その中で精一杯春を楽しんでいるように見えました。

そうそう、植物にはとんと無頓着な私。その重要性や癒し効果は重々承知してるんやけど、どうにも詳しくなれない。ぱっと見た植物をみて「ああ、これは○○やね」とか言える人をとても尊敬します。同様に、教室においても私なんかよりよっぽど石に詳しい生徒さんがいてて、逆に教えてもらうこともしばしばです。植物名もそうやけど、石においてはカタカナの羅列で、なかなか何度読んでも、聞いても忘れてしまいます。
これって、何なんでしょうねえ。実物を見たり、英語や漢字でみるのとは私の場合はちょっと違うのです。カタカナには想像の余地がないというか・・・。カタカナにあたってもしょうがないんですけど。
つまるところは、そのものにどれだけ興味をもって、深く掘り下げられていけるか、あと、自分の目で見て、お金出して買って、自分の身に付けられるペースで勉強していくしかないということやと思うんですけど、短期間でいっぱい知識を身につけたい時はそれ以前に超えないといけないハードルがあるってことですね・・・・

小学生の時とかあんなに漢字いっぱい覚えられたのにな。

愛のカタチ?

2005-02-23 00:29:05 | diary
さっき、この日記の背景を変えてみました。少し今の時期に見ると寒々しいかもしれないけれど、春に向かって軽やかな感じにしたかったのです。(もしもうまく表示されない場合は、Internet Explorerですと、Macなら「編集→初期設定→キャッシュを空にする」・Winなら更新ボタンを押してもらえれば大丈夫なはずです。もしもWINで表示されてないと思われる文字とかがあれば、一度それが見えないところまでスクロールして元に戻せば見えるようになると思います。)うん、シンプルで気持ちがいい。これで夏ぐらいまで行こうと思います。よろしく。

先ほどまでケーブルテレビのスターチャンネルで、「マトリックス・レボリューションズ」(最後の分)をやっていました。
2月に入ってから、ケーブルテレビではマトリックスシリーズをこれでもか、というほど放送していて、もうレボリューションズを見るのは3回目です。何度も見ているうちに、すごぉ~く、根本的な疑問ができてきて、パート1を見たいのに、何故か2と3しかやってくれないんですよねえ。(見逃しているだけかもしれないけれど)
と、いう訳で、何度も見ているというのに、未だに全然理解できません(笑)マトリックス。
1のビデオでも借りればいいのかもしれないけれど、いつかTVでやってくれそうな気もするし。

まあ、それはいいのですが、レボシューションズの中で、心に残る言葉がありました。冒頭部分でインド人風の一家に出会うネオ(キアヌ・リーブス)。そこで彼は一家の父親に「愛・・それは言葉にすぎません」「運命・・・これもまた言葉に過ぎません」かなり省略してますが、こういう事を言われます。

結構今まで聞き逃してきたシーンだったのですが、今日は妙にひっかかりました。
「愛」という言葉とは、所詮言葉にすぎない。
日々いろいろな人の愛の形を目撃しているからといって、そのようなことを自分自身で体験したつもりで、私自身のなかで愛とはこういうものだと感じ、こうだから愛されている、愛されていない、と、結論づけるには浅はかすぎる、と感じた一言でした。
そもそも。結論なんてないんよね。

10年のつきあいの果てに・・・

2005-02-18 02:30:30 | diary
おお、ちょっと更新して安心していたら、もう17日だった。今週はあるお店のサイトの、画像処理をレッスンの合間にしていて、時間があっという間に過ぎていきます。生徒さんに、「あんまり見てあげられなくってすみません」と謝ったら、「ううん、マイペースでできていい感じですよ」と返され、そうか、あんまり作業中に茶々を入れないほうがいいのかな、と思ったりもして。

で、教室にあるマックをカタカタ触っていて、ふと、もうマックとも10年の付き合いになるんだー、と思い返していました。思い起こせば、ちょうど10年前に専門学校で CADやネットのやり方をマックで習ったのがその付き合いの始まり。(私の家にはそれより15年前(つまり今からだと四半世紀前)に買ったNECのPC-8800というパソコンがあったのですが、そのときにはすでに半死状態・・でした)その時、少しなりとも自負はあったのです。小学校時代にパソコンに触り、BASIC言語でプログラムを組んでみたりしていたことに。
しかし、自負は5秒もしないうちに崩れ去りました。
だって、画面が黒くないんやもん。白いアルファベット文字じゃなくって、アイコンがある。
なにより、マウスがある。・・・・・素晴らしい!!矢印キーじゃなくっても、座標じゃなくってもカーソルが動かせる。(ちょうど、私が小学生時代にマウスなるものが登場しかけていた記憶はありました)
グラフィック・ユーザー・インターフェイスに初めて遭遇した瞬間でした。(視覚的にプログラムを操作できることですね。大きく噛み砕けば。昔はいちいち座標で入力してたので・・・)
で、細かいことはさておき、CADや、画像作成・調整をマックでやるようになって、ちびちび人からそういう仕事ももらい、「ああ~やっぱりマックを勉強しててよかった」とよく思ったものです。
その当時は、グラフィック系はマックで、というきまりのようなものがあったときだったので。今家にあるiMac(iMacの全盛期、5色のうちの青いやつ)を買ったのもそのころでした。

そして、さらに時が経つこと5年。mko先生もマカーで、今まで教室関連は全てマックでなんとかしていたのですが、ついに昨年末、winのノートパソコンを教室で買い、使ってその対応速度の速さ、違和感のなさにびっくりしました。win95時代に感じたやりづらさが、xpではほとんど感じることなく作業に没頭できます。(違和感を感じるといえば、文字うちシステムくらいかな?ああ、ATOKはよかった・・・)
ううむ。こりゃウインドウズを皆が使う理由もわからないでもない・・・。今ではフォトショップも、イラストレーターもほぼ同じように使うことができるし。(違いといえば、モニタの発色の違いぐらいなのでしょうか・・・)

今のマック事情にはあんまり明るくないのですが、OSXとかがでて、今まで使っていたソフトが使えなくなる、という不便性からマック離れする人も多いような気もします。
(マックは絶対数が少ないから)ウイルスには狙われないので楽だけど、愛着もあるけれど、今までのユーザーをぽんぽん切り落としていくようなやり方で、いいのかしら???

これは別にマックに限らないことですが、どんどん便利になるのはいいけれど、パソコンって今でもやっぱり高いものだし、みんなできることなら少しでも長く今の愛機(?)を使いたいだろうし、開発でスピードがアップしたりするのは大歓迎やけど、今ある機械を捨てて、新しいのに買い換えなければ使い物にならなくなる状態にはしないでほしいよな~・・・と、切に願います。
幼少時代、まだフロッピーディスクが出てなくて、カセットテープを3時間以上もロードして、一個のゲームを心待ちにしていた自分の姿を思い出します。あれからどんどん、早くて大容量の世界にパソコンは突入しているけれど、とにかく設備(メディアやら、mp3やら、IPODやらメモリやら・・・・)を買わないと話は始まらないし、使うのは人間やから、その人自身が勉強しないことに始まらないのです。
しかし、世間はどんどん古いスペックを切り落としてゆく。

うちのマックはいつまで生きられるんだろうか。やっぱり好きなんですけど、それゆえに行く先を危惧せずにいられない。

2月の足音

2005-02-01 10:33:51 | diary
あっという間に2月が来ました。
寒い朝は寝ぼけた頭をキリッとさせてくれて気持ちいいです。
冬の寒い朝に背中を丸めつつ飲むコーヒーもとても大好きです。
朝起きると雪が屋根にうっすら積もっていて、とても美しく、それを写真に撮りたかったのですが、朝いろいろしている内に雪が溶けてしまいました。
ああ、残念・・と足下を見ると、雪のなごりが。

実はこの冬まだ降りゆく雪を見ていないんですよ。見られるんだろうか。
逃げる2月。つかまえなくっちゃ。

厳しく冷えた朝:T/1℃:H/80% レッスン×2・キャスト×3・クロスペントップの仕上げ

神社めぐりの末に・・・

2005-01-20 07:55:52 | diary
先日、レッスンの予約がなかったので、母と厄払いに行ってきました。今年は女性の大厄と呼ばれる33歳にあたるわけでして。(満年齢でいうと32歳ですが)普段あまり信心深くない私も、周りからいろいろ聞かされ、やっぱり行っておこうかな、という気になったのです。
でも私、いままで、大きな勘違いをしてました。神戸に住む私は、このあたりでは一番ポピュラーな門戸厄神さんにいってきたんですけれど、「神」という文字がついている事から、ずうっとそこは神社やと、信じて疑わなかったのです。
お祓いの申し込みを済ませ、待つ人々を誘導する人たちが黄色の袈裟を着ていて、坊主頭。みんなその人たちのことを和尚さんと呼んでいる・・・・???
お祓いが終わりもらった御札の袋を見ると「門戸厄神 ○○寺」の文字が。
お寺やったんですねえ。いやはや失礼しました。

しかし、お正月に初詣をし(おみくじ吉)、十日戎には戎神社へ。(おみくじ凶)。細木和子の六星占術では今年はとってもいい年と喜びつつ、厄年におびえ寺(しかも神社やと信じて疑わず)へ厄払い・・・・私はいったい何者なんでしょうか。
しかも、どのおみくじを見ても、なぜか「つつしめ」のお言葉が。神(仏)は違えど、言うことは同じ、ということでしょうか。

寒い曇りの一日/3℃:60%  レッスン×1・ワックス型の埋没