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政治・経済に関する雑記

なるべく独自の視点で、簡潔・公平に書きたいと思っています。

なぜ保護主義はなくならないのか

2017-01-21 01:00:59 | 経済制度
トランプ大統領は保護主義的な政策を掲げている。いまや日本のほうが自由貿易を推している感があるが、もともと日本にも保護主義的主張は多い。経済学の教科書では保護主義は皆を貧しくするはずなのに、なぜ保護主義が力を失わないのか。
おそらく根源的には、人が絶対的な豊かさより相対的な豊かさを重視する場合があるからだろう。自分が2割豊かになって周囲が4割豊かになるくらいなら、今のままのほうがよいと思う心理である。自分と他人を自国と他国に置き換えても同じだ。
現代人は昔の王侯貴族並みの生活水準を享受しているかもしれないが、自分が極めて豊かだと思っている人は少ないだろう。豊かさを絶対量でなく相対量で測っているからだ。だから保護主義はいつの時代も魅力ある政策なのである。
ただ保護主義的な社会は、江戸時代の日本のように、内部では幸せでもいずれ進歩の速い自由主義的な社会に敗れることになる。余裕のあるアメリカはまだしも、今の日本に保護主義的政策を楽しむ余裕はあまりないだろう。

欲望の飽和

2016-12-17 00:22:50 | 経済制度
アベノミクスで金融緩和を続けてもインフレ率が上昇しない。他の先進国もおしなべて金融緩和なのに低インフレである。ただ金余りになる。なぜだろうか。発展途上国からの輸入の増加が一因としても、主因は先進国での供給がもう十分過ぎるからではないか。安くていいものが溢れていて欲しいものがない。需要が足りず仕事は不足する。

これは一過性の現象ではないだろう。たいして働かなくても皆が十分に食っていけるユートピアとも言える。資本主義社会は欲望を創出し続けてきたが、ついに息切れの兆候が一部に見えてきたのではないか。

日本政府の借金を考えたらインフレにしなければならないし、デフレは格差拡大の元凶でもある。だがインフレにするのが難しい。消費者物価は上がらず、不動産、株、金などの「資産」ばかりが高くなる。いわゆる資産インフレである。思えば平成バブルのときからそうだった。

皆が十分に食っていける世の中では、人の関心は分配や格差に向かう。インフレにならなければ格差は拡大する一方だが、それができない。もうそうなると抜本的な解決策は相続税や資産課税しかないだろう。しかしそれらは資産の海外逃避を招く。国際協調して課税すればよいが近い将来そんなことはまったく無理そうだ。

いつの世でも過去に例のない新しい局面に向かわなければならない。将来の展望は難しい。

ヘリコプターマネー

2016-07-13 23:47:29 | 経済制度
最近ときどき「ヘリコプターマネー」という言葉を聞く。私は賛成だ。大雑把に言って、今は借金するより貯金を持ちたい人が多い。ある人が貯金したのなら、誰かがそれを借りて使わないと辻褄が合わない。でも今や借りたい人が少なくて、マイナス金利になるほどだ。日本だけでなく世界的な傾向である。

貯金をする人つまりお金を貸す人と、お金を借りる人、そのどちらが「金利」を貰うべきかは、自明ではない。将来行使できる債権を持つ人と、将来奉仕しなければならない債務を持つ人と、どちらが利益を貰うべきかは、自明ではない。

今までは貸したい人より借りたい人が多かったから、貸す側、債権を持つ側が金利を貰うことができた。しかしこれからは逆になる。債権を持つ側、将来の安心を買う側が、将来の不安を引き受ける側に対して、何がしかの金利を支払うべき時代になる。

そうしないと経済が回らない。具体的には、お金を溜め込む人が増えて、使う人が減り、仕事が不足する。ここしばらく、日本で恒常的に問題になっていることだ。

これを解決するには、現金・預金の価値を継続的に下げていかなければならない。ヘリコプターマネーはその1つの方法だ。日銀の「異次元緩和」や「国債引受け」も同じ方向である。痛みを伴うから批判は続くだろうが、長期的には正しい方向に違いない。

自治体間に累進課税を

2012-09-24 19:14:45 | 経済制度
日本維新の会が消費税の地方税化を打ち出した。それだと地域間の格差が広がるとの意見があるが、だからといって今の地方交付税は悪い制度だ。地方交付税は東京の政府がいわば恣意的に配分を決めている。当然そういう仕組みでは不明朗な権力が生じ、地方は搾られ、甘えとごますりが横行し、東京が肥大する。

それより自治体(地方政府)間に累進課税のような仕組みを設ければよいのではないか。つまり豊かな自治体から税収の低い自治体に機械的に決まった額を流すという方式だ。そうすれば妙な利権を発生させずに格差を是正できる。かつて竹中平蔵氏が唱えた新型交付税(地方交付税を自治体の人口と面積によって配分する)も似た考え方だったと思う。

本来、消費税といわず、すべての税金は地方自治体が徴収したほうがよいのではないか。そして一部を国税として上納する。今のように国と地方で二重に徴収しているのは明らかに無駄だ。もちろん社会保険料もこれとまとめて徴収すべきだし、NHKの受信料も(今後も払うのが国民の義務というならばだが)一緒に徴収すべきだ。「歳入庁」を作ったほうがよいかもしれない。

社会保障と税の改革案に賛成

2012-01-02 10:39:57 | 経済制度

年末に野田内閣がまとめた「社会保障と税の一体改革」の素案が報道されたが、よい方向だと思う。

消費税を上げ、所得税と法人税は下げる。直接税から間接税に重心を移すことは、日本の国際競争力向上と世代間不公平の改善を考えると望ましいことだ。食品などについて消費税の軽減税率を見送ったのもよかった。消費税の軽減税率というのは、低所得者救済にはさして役に立たない割に不公平と不公正を助長する筋の悪い政策だと思う。復活しないように望む。

相続税を上げる(相続税の基礎控除を下げる)ことと、株などの金融所得の税率を上げるのもよいことだ。今の日本では、働いて稼ぐと重税が課されるのに対して、相続や資本利得にはあまり税金がかからない。これでは勤労意欲が損なわれるだけである。

所得税については、超高額所得層の税率を上げ、最低所得層の税率を下げる(給付付き税額控除によって所得税をマイナスにする)そうだが、この方向で通してほしい。今の日本の所得層を1超高額所得層、2高額所得層(年収1500万円あたり)、3中堅(年収500~800万円あたり)、4低所得層の4つに仮に分けてみると、私の感覚では1と3が優遇され、2と4が割を食っている。今回の案はそれを是正する方向になる。

共通番号制の本格稼動を目指すことにも大賛成だ。今の日本では(他の国でもそうらしいが)ルールの運用が甘すぎて正直者が損する仕組みになっている。いち早く公正な制度を厳格運用できれば、国の競争力も高まるはずだ。

物足りない点としては、消費税の免税業者や簡易課税(みなし課税)の問題がある。消費税が上がれば矛盾がますます拡大するのだから、免税制度やみなし課税は廃止すべきだ。

それから行政改革が全然足りない。よく言われることだが、今の公務員は優遇されている。野球でいえば、選手として競争している民間より、審判であるべき公的部門のほうが高い年棒を貰っている状態だ。

さらに問題なのは、相変わらず公的部門が民間でやるべき仕事に手を出していることである。審判が選手をやったら試合のレベルが下がるだけだ。「小さな政府」は今でも目指すべき方向だと思う。これは長年の課題だが、野田内閣はこちらの方面はあまり得意でないように見える。

今回の一体改革は、管内閣の2011年度税制改正と似ている。前回の改正は震災もあって流れてしまったが、今回の改革は実現されることを望む。

東京電力は国有化すべき

2011-04-29 01:53:37 | 経済制度
原発の事故による巨額の損害は誰が負担すべきか。まず責任を取るべきは東電の株主だ。東電社員や国民に犠牲を求める前に、株主が最大限の責任を取らねばならない。それが株主の当然の役割だと思うのだが、なぜか東電の株価はまだ400円を超えている。

今回の事故は自然災害に起因するとはいえ、対策不備の側面もあり、損害額は会社の純資産を大きく超える。普通の会社なら倒産するところだが、電力会社は守らねばならない。だから代わりに一時国有化すべきだ。国は無償で東電を手に入れ、賠償問題を整理したうえで再度民営化する。そのときの株の売却代金で損害賠償の一部をまかなう。

一般に株主は会社の最終的な意思決定者であるから、その自己責任は厳格に問われねばならない。そうしなければ、賠償の国民負担が増えるのみならず、甘えが出て今後も事故のリスクが過小評価されることになるだろう。

功利主義と社会進化論

2011-02-15 01:44:29 | 経済制度
前回の続きとして、もう少し自分の意見を書いてみたい。

私は昔から功利主義に共感を覚える。それもミルのような折衷案ではなく、元祖ベンサムのシンプルな意見がよい。

功利主義への有力な批判は、それが道徳、伝統、常識などの価値を忘れているというものだろう。しかし道徳、伝統、常識といったものは、そもそも最初から功利主義的説明に合致しているように思える。社会の福利に貢献しない道徳を私はひとつも知らない。時代の変化とともに道徳と福利が矛盾するようになることはあるが、その場合はいずれ道徳が修正される。

人は功利主義的説明に一見合わない不合理な行動を正しいと感じることがある。何もならないとわかっていても、せずにはいられないことがある。たとえば復讐したり、終わってしまったことの責任を取って辞任(昔だったら自害)したりする。だがこうした行動も、広い意味で功利主義的説明に反するものではない。そのような行動は、個人や集団の信頼性を高め、社会に規律を与え、結局は社会全体の福利に貢献しているからこそ、賞賛されているのである。

功利主義的説明にも問題はある。「青い鳥」の童話が示唆するように、所詮、幸福は求めて手に入れられるものではない。何が正しいかを説明するときに「それが幸福だから」と言ってもほとんど同語反復で無内容だ。昔、快楽を至高の価値としたエピクロス派に対し、ストア派のセネカは「快楽のために徳をなすべきなのではなく、徳をなした結果として快楽が与えられるものなのだ」と主張したそうだが、結局、幸福から道徳を説明しても、道徳から幸福を説明しても、ほとんど言葉の問題で実質的な違いはない。

ただ、道徳を主にすると、カントやヘーゲルのようにほとんど理解不能(?)の理論を持ち出したり「神」にでも訴えたりしない限り、何が正しいか決められない傾向があるように思う。エリート主義や独裁につながりやすい考え方だから、ファシズムや共産主義のような不幸な道に進みやすいようにも見える。これに対して、幸福や快楽もまた曖昧な概念ではあるが、道徳に比べればわかりやすく、民主主義と市場経済という現代の価値観との相性もよい。

それでは人は、どのようなことを幸福と感じるのだろうか。私が思うに、結局、個人や社会のためになること、言い換えると個人や社会が生き延びるために有用な行いが、真の幸福をもたらすようになっている。つまり「生き残ること」が「幸福」や「正義」なのだ。身も蓋もないようだが、社会進化論(社会ダーウィニズム)という呼称もあることを最近知った。

人間を含めてすべての生物は利己的だ。これは個体の利益だけを追求するということではない。人間や生物は自分に近い他者を助ける性質があるから本質的に利他的でもある。ただ自分に近い者を差し置いて遠い者を助けることはない。人は普通、他人より家族を、他民族より自民族を、動物より人類を助けるものだ。まして人類に敵対する病原菌の繁栄を願う者はいない。

こう考えると利他性は利己性の一種である。だから、自己を含む共同体(家族、村、会社、国、人類など)も含めた、いわば「拡大された自己」を考えたうえで「人は利己的である」と考えたほうが、一貫していてわかりやすいように思う。

逆説的なようだが、そうした「利己的」な行動こそ正義であるとも表現できる。これは自分自身だけを優先するという意味ではない。真に「利己的」に振舞うなら、むしろ「我が身を捨てて世のため人のために尽くす」ほうが社会の存続にとってよい場合もある。だから結局、利他性もまた正義なのではあるが、世間やマスコミでは利他的すぎる発言をしながら利己的すぎる行動を取る人が目につく。我々はもっと自らの利己性について反省しなければならないと思う。

『これから正義の話をしよう』を読んで ~ 市場原理

2011-02-07 13:21:47 | 経済制度
前回からの続き)

本書の1つの議論は、お金で買ってはならないものがあるか、ということだ。刑務所の民営化、代理母、腎臓売買、傭兵、生徒の点数を上げた教師にボーナスを払うこと、アメリカの市民権を売ること、などを例にとり、「市場の道徳的限界」について論じるべきだと主張されている。

たしかにこれらは議論すべき問題だが、しかし「市場」の問題なのだろうか。

ボランティア団体が現れて、刑務所の運営を引き受けましょう、警察や消防をやってあげましょう、と言われたとしたら、どうすべきか。簡単に彼らの申し出を受けるわけにはいかないだろう。彼らが刑務所を適切に運営できるかわからないし、警察権を委ねるなどとんでもない。こう考えると、この問題の焦点は、お金で売買してよいかどうかではなく、そもそも重要な行政を一団体に委ねてよいかどうかにあることがわかる。

代理母や腎臓売買についても同様だ。有償なら駄目だが無償ならかまわないという話ではない。それ以前の何かが問題になっているのである。

傭兵の例も同じだ。この問題は、卑近な例で言えば、街を清掃を町内会の全員で行うべきか、それとも一部の有志か業者に委ねるべきか、という選択に似ている。第一義的に問題となっているのは、そうした仕事をお金で買ってよいかどうかではなく、市民の義務を全員参加で果たすべきか、それとも一部の人に任せてよいかということなのだ。

生徒の成績を上げた教師に教師にボーナスを払うことは、著者のいうとおり、市場に関わる問題だろう。ただ、これがいけない理由は私には見つからない。実際に予備校や私立学校で普通に行われていることでもある。そのことに釈然としないのなら、それはテストでの点数稼ぎが本当に価値あることなのか疑問だからではないか。その点については私も大いに同感だ。

市民権の問題だけは、たしかに著者が意図するような市場化・お金の問題だと思う。移住希望者を選別しなければならない場合、何を基準にするのか。政治的亡命や人権救済のケースを除けば、移民の可否は現在、お金、資格、専門知識の有無、経歴などで総合的に判断されている。それをお金だけの判断に変えてよいものかどうか。乱暴なようでもあり、かえって公平なようにも思える。これについてはよくわからない。

以上、本書が市場の問題として例示している論点を考えてみたが、結局その多くは市場の問題ではないように思える。昨今の日本でも安易な市場主義批判が流行っているが、何が本当の問題なのか、よく考えるべきだ。

『これから正義の話をしよう』を読んだ感想を二回に渡って書いてみた。この本の意見に対して否定的なことばかり書いてしまった感があるが、この本は(よくある「高尚な」哲学書のように)抽象論で逃げることなく、各論点を具体例ではっきりと示してくれるので有意義だ。お勧めの本だと思う。

固定資産税は建物より土地に

2011-01-23 23:58:15 | 経済制度
普通の人にとって、固定資産税がかかってくる代表的な資産は、土地と建物だろう。だが、なぜ建物に固定資産税がかかるのか、私にはよくわからない。

建物に固定資産税をかける意義はあるのか。土地という有限の、いわば国民の共有財産を所有すなわち独占使用する者が税金を払うというのは、もっともなことである(むしろ今の税率では低すぎると思う)。しかし建物は所有者が自分(の金)で造り出したものだ。同じ金を消費してしまえば税金はかからないのに、なぜ建物だと毎年税金がかかるのか。

建物に固定資産税をかける理由として私が思いつくのは、建物が日照や眺望をさえぎり、そこが空き地や森林である場合に比べて周囲の環境に負荷をかけているから、というものだ。しかし今の固定資産税がそのような考え方に基づいているとは全然聞かない。そういう理由なら、建物の固定資産税率は土地のそれより低くなりそうなものだが、実際には土地だけに軽減税率があるので、建物の固定資産税率のほうが何倍も高い。

(おそらく、土地については、以前から高額の土地を持っているか相続した人が高い固定資産税を払いにくい場合があるのに対して、高額な建物を最近建てた人は一般にお金があると考えて、そうなっているのだろう。取りやすいところから取ろうということだろう。)

建物の固定資産税が高いと経済に悪影響がある。日本は今でも比較的簡単な木造アパートが多いが、その理由の1つは鉄筋コンクリートのマンションより固定資産税が低いことだ。高くても長く使える建物を建てるより、なるべく安い建築を繰り返すほうが有利である。つまり建物の固定資産税は土地の高度利用を阻害し、安普請の建築を奨励し、街並みを雑然とさせる

また、大都市と田舎では、土地の値段は全然違うが建物の建設費はあまり変わらない。だから土地の安い地方でも建物には東京と大差ない固定資産税がかかる。土地の固定資産税ばかり軽減すると、東京など高地価地域だけが優遇されることになる。つまり建物の固定資産税は地方を衰退させる

建物の固定資産税は全廃または軽減し、その分(またはその分以上に)土地の固定資産税率を高めたほうよいように思える。

デフレと既得権

2011-01-19 00:59:51 | 経済制度
デフレはなぜ悪いのか。デフレは既得権を助長するからだ。その結果、社会が固定化して不効率が温存され、最終的には全員が貧しくなる。もちろん国際競争力と国力も低下する。

持てる者にとってデフレは悪いことではない。黙っていても貯金の価値が増えていくのだから。ところが貯金の少ない人や住宅ローンを抱えている人にとっては、デフレは逆風だ。一般にデフレは、貯金の多い高齢層に有利に、貯金の少ない若年層に不利に働く。

企業においても同じことが言える。借金の少ない老舗企業より、借金の多い新興企業ほどデフレだと苦しい。だからデフレは、企業の入れ替わり、社会の新陳代謝を阻害する方向に働く。過去の遺産に頼る人や企業はデフレの恩恵を受けるが、これから頑張る人や企業には厳しい。

反対に「庶民にとってはデフレがよく、金持ちにとってはインフレがよい」という意見もあるが、「消費税は庶民の敵」という考え方と同様、錯覚だと思う。物価が下がるのは嬉しいだろうが、そうすれば必然的に企業や自営業者の売上げも落ち、勤め人の給料も下がる(法規制があるため正社員の給料は下がりにくいが、その場合は今の日本のようにツケが失業者に集中することになる)。お金の価値が上がるのがデフレなのだから、素直に考えて、庶民よりお金持ちにとってよい話であると思う。「インフレ政策で貯金金利が下がるのは困る」という意見もよくあるが、それはご自身がちょっとした「お金持ち」だからである。

今の日本にはインフレが必要だ。これほどデフレが続く国は世界でも珍しい。政策で左右しにくい実質経済成長率とは異なり、インフレ・デフレは政策の問題だ。日銀の責任は大きい。

日本の法人税は実際には低い?

2010-07-07 21:09:52 | 経済制度
共産党の折込広告に法人税40%は高いといいながら実はソニー12% 住友化学16%しか払っていないと書かれていたので興味を持ち、どうせ誇張だろうと思いつつ(失礼)調べてみると、意外にそうとも言い切れないことを知った。

税率が低い理由として、同党は、研究開発減税、租税特別措置、外国税額控除を挙げている。

外国税額控除を理由に挙げるのはおかしいと思う。これは、外国の法人税率が低い(だから外国で活動する多国籍企業の平均税率も低い)というだけのことだ。「外国に出て行けば税金が安くなるのだから日本の法人税率は高くても我慢せよ」とでも言いたいのだろうか。

だが研究開発減税は問題だと私も前から思っている。減税規模は年間総額6,000億円程度あり、10兆円前後(5~15兆円ほど)の法人税収と比べて無視できない規模である。

租税特別措置にはナフサへの免税措置3.8兆円を筆頭に住宅ローン減税0.8兆円など総額5.2兆円もの減税規模があるそうで、すべて法人税がらみというわけではないが、これらも巨額だ。

共産党は「だから法人税を減税するな」というわけだが、それより、研究開発減税や租税特別措置こそ廃止されるべきだろう。こうした恣意的な政策減税は資源の配分をゆがめ、比較優位のない労働や投資を増やして日本の競争力をそぎ、効率と環境を悪化させ、利権政治を増やし、官僚機構と国家権力を肥大させ、国民を貧しくするものである。

2011/1/18追記:ナフサの免税は外国でも広く行われており、日本だけ課税すると企業の国際競争力がなくなるとの意見があるようで、それはそれでもっともなことだ。だがそれなら、国内のナフサの免税を廃したうえで、外国のナフサ免税の恩恵を受けた外国製品に相応の関税をかけるのが理想的だ。そうすれば環境負荷を合理的に減らすことができる。もちろん、関税をかけると言ったら貿易相手国が反発するだろうが、根拠ある主張を続けていれば最後は通るかもしれない(日本は哲学に基づく主義主張が不得意なようだが)。同様に、環境税による国際競争力の低下についても、関税をかけて相殺することができるのではないだろか。

消費税と法人税引き下げ競争

2010-07-05 20:22:01 | 経済制度
政府は「法人税引き下げのために消費税を上げるのではない」と主張しているが、法人税・所得税と消費税のトレードオフがあるのは暗黙の了解事項だろう。先日書いたところでは、法人税+所得税と消費税はほぼ同じ効果を持つようだ。

法人税+所得税が高くて消費税が低いのと、その逆と、どちらがよいか。先日は国内要因だけで考えて消費税が高いタイプのほうが少しよいと考えたが、海外取引まで考えた場合はどうなるか。

日本では法人税と所得税が高くて消費税が低く、EUではその逆だとしよう。その場合、所在地と販売先の関連性が低い製造業、特に輸出産業は、どこにあっても消費税の負担は変わらないから、法人税の低いEUに置くのが有利になる(実際にはEUは企業の社会保険料負担が大きいから日本と大差ないとの説もあるが、ここでは無視する)。

では小売店やレストラン、観光業など、販売先が所在地と一致する業種、つまり輸出がない産業はどうか。日本では消費税が低いが、その分だけ法人税+所得税が高い。消費税=法人税+所得税だとすると、小売業や観光産業は損得なしである。

観光客にとってはどうか。第三国の人が海外旅行するとき、消費税の低い日本と消費税の高いEUのどちらがよいか(税金が安く済むか)というと、これはやはり日本のほうがよい。消費税の低い国は観光客を呼び込めるだろうから、観光産業にとっては消費税が低く法人税・所得税が高いほうが(客が増えるから)有利である。

結局、輸出産業にとっては消費税が高いほうが有利で、外国人も客になるような観光産業にとっては消費税が低いほうが有利、一般の国内産業はどちらでも同じ、ということになりそうだ。通常、人より商品のほうが移動しやすいから、観光産業より輸出産業のほうが重要な国が多いだろう。それなら消費税が高く法人税と所得税が低いほうが有利だと思われる。

現在の国際的な法人税引き下げ競争は度を越している感がある。将来的には各国で税率の協定を結ぶなどの対策が必要ではないかと思うが、現状で漫然と低い消費税と高い法人税・所得税の組み合わせを続けるのは、外国に税金をプレゼントし続けるようなものである。

(ただし消費税では累進課税ができないから、消費税の比重を高めるなら所得税の累進率を強めなければならない。給付付き全額控除が必要になるだろう。)

納税者番号制と売上のクロスチェック

2010-06-18 12:06:58 | 経済制度
管首相は以前、納税者番号制の導入に積極的な発言をしていたが、ぜひこれを進めてもらいたい。かつては納税者番号制が「軍国主義につながる」などとわけのわからないことを言う政党があり、また「所得を把握されたくない」という脱税予備軍のような意見も公然と語られていたが、ようやく世論も導入に前向きになってきたようだ。

今の制度では、売上の計上漏れや副収入の申告漏れが多い。取引記録を付き合わせれば簡単に発見できるはずだが、今の税務署はそうしたクロスチェックをほとんどやっていない。納税者番号制を導入し、さらに電子的な記帳を(奨励金などつけて)普及させていけば、各者の支払いと収入をつき合わせて効果的にチェックできるようになる。

脱税がらみの地下経済(アングラ経済)の規模は日本で10兆円とも20兆円とも言われ、実際周囲でも100万円程度の規模なら結構ありそうに見える。売上のクロスチェックによる税収効果は大きい。消費税を上げる前に公正な社会を目指すべきである。

政府発行の電子マネーを

2010-06-17 19:20:00 | 経済制度
スイカやエディなどの前払い式電子マネーが普及してきているが、そろそろ日本政府自身がそうしたものを発行(または既存の民間電子マネーを統合)すべきではないか。

そうすれば

  • 規格の違いによる不便がなくなる。

  • 小売店等の売上が捕捉されてクロヨン問題が改善される。

  • 会計帳簿も家計簿も正確に簡単に付けられるようになる。(小遣いの使途が家族にバレるのは困るという人もいるだろうが、そういうものだけは今までどおり現金で払えばよい。)

    電子マネーで買い物したら0.1~1%くらいのポイント(消費税還付など)が付くようにする。そうすると皆が電子マネーを使いたがって一気に普及するだろう。企業や商店の売上げを捕捉しやすくなり、政治家への寄付金などは電子マネー経由を義務付ければ透明になる。つまり日本がより公正で透明な社会になる。セキュリティやプライバシーが問題になるだろうが、メリットのほうがずっと大きいはずだ。

    政府はやるべきでないことをやりたがることが多いが、政府がやったほうがよいこともある。電子マネーの発行はその1つだと思うのだがどうだろうか。

  • 政府による成長戦略というおかしな発想

    2010-06-08 20:42:52 | 経済制度
    政府はもっと成長戦略について語れという意見をしばしば聞くが、そのような発想はよろしくない。特に「的を絞った」とか「選択と集中」といった言葉が付いているなら最悪だ。

    そもそも政府に成長戦略を決めてもらうというのがおかしい。資源の配分を政府が決めることになるから共産主義の発想だ。成長戦略を主張する論者の多くが比較的市場重視しているようなので不思議なことである。

    政府が名目成長率を高めることはできる。名目成長率をどうするかは政府や中央銀行の重要な仕事だ。だから成長戦略を執れというのが「もっと名目成長率を高めよ」すなわち「もっとインフレ傾向にせよ」という意味なら理解できる。

    しかし政府が事業をやったり産業界を方向付けることで実質成長率を積極的に高めようというなら見当違いだ。そうした考え方の根底には政府が国民・市場よりうまく事業を選択・運営できるという発想があるが、それが正しくないことは、今更言うまでもなく、ソビエト連邦など多くの失敗が示すところである。

    「バラマキでは効果が出ないが、的を絞った成長戦略なら効果が出る」という意見をよく聞くが、逆である。数値目標をクリアするだけなら補助対象を集中すれば簡単だが、そんな点数稼ぎに価値はない。ごく限られた人だけに特別なモノ・サービスを提供して自己満足する政策が昔から多いが(たとえば優良な住宅の提供や各種モデル事業への補助)、こうしたやり方は社会の資源配分をゆがめて不効率であるうえに不公平で、申請や認定の事務が増えて政府の肥大と無駄にもつながり、何もいいことはない。そういうことをすると国民全体は貧しくなる。おそらく行政組織が自己を拡大できるということ自体が、このような政策が蔓延している一因なのだろう。国民も見かけ倒しのアメに騙されている。

    一部の製品をエコと認定して補助金を出す政策がたくさん行われてきたが、たいがい数年で終わりになる。このような政策の結果、最も費用対効果の高い省エネ対策より補助金が付く対策が優先されてしまう。商品の需要が不必要に変動して設備・人員の稼働率が不安定になるし、欲しくないけれど補助金が出るから買おうという無駄遣いが誘発される。まったくエコには逆効果である。それより適正な環境税をかけ、あとは市場に任せるべきだ。

    住宅、情報、研究開発など他の多くの分野でも似たようなことが行われている。政府の主導した研究開発で優秀な成果が出たものがどれほどあったのだろうか。政府が育てた優良企業がどれほどあるのだろうか。あまり検証されていないところを見ると、実績に乏しいのではないか。だとしたら、政府部門に優秀な人材と巨額の資金があることも考えると、政府の成績は非常に悪いことになる。国民もそのことに早く気付くべきだ。(ただし金融・保険だけはそうも言えない気がするが。)

    今の日本の産業政策は、行司が自分で相撲をとりたがっているようなものだ。政府は(国内においては)プレーヤーにならずに審判とルール作りに徹するべきである。

    関連:「使ったら貰える」政策の愚研究開発減税は必要なのか