様々な考え方があり得る事柄だと思うが、現在はある種の行き違いが原因で不必要に外交問題になっているようで残念である。
中国は「悪いのはA級戦犯などの指導者であって日本国民は被害者」だという。だからA級戦犯の祀られている靖国神社の参拝には反対する。「正しい人民を権力者が抑圧する」という見方が共産主義に合っているのかもしれない。先日来日した温首相も「悪いのは指導者で日本国民ではない」と繰り返していた。
この点はアメリカも基本的に同じで、「善良な国民と悪しき独裁者」という見立てが好まれる。民主主義に最高の価値を置いているから、国民全体が間違えたとは言えないのだろう。
日本国内でも、あの戦争は上層部が国民を騙して、または強制して始めたものだというのが教科書的な公式見解になってきた感はあるが、必ずしも皆が本当にそう思っているわけではない。過去の話を聞けば聞くほど、むしろ国民やマスコミの自信過剰と熱狂が政府を引きずっていった面も強かったように思えてくるのは私だけではないだろう。
日本は拙劣な戦争を行って敗れ、他国にも自身にも大変な惨禍をもたらしたのであるから、上層部がきわめて重い責任を負うのは必然である。しかし見方を変えれば、彼らは日本全体の責任を負い、象徴として最後に犠牲になったとも言える。そうした人々を後世神社に祀ることまで許されないのだろうか。彼らに責任を転嫁することが正しい反省の仕方なのだろうか。
日本では先の大戦の反省をよく口にする人ほど、政府や軍が加害者で一般国民は被害者だという図式で語ることが多いように思う。この図式は以前から気にかかっている。政府や軍のために酷い目に遭った話は多いが、その大半は終戦近くのものであり、開戦前から反対だったという話はあまり聞かない。だがそのような惨禍を招いた原因は、終戦間近の行動ではなく、開戦前、または満州事変や日中戦争の頃にあったはずだ。その頃の日本社会はどのような雰囲気で人々はどのように考えていたのだろうか。
また、中国やアメリカが指導者の責任を強調するのは、一種の思いやりや外交儀礼でもあるのだと思う。敗北した相手国の国民全部を悪く言ってしまっては戦後処理の収拾がつかなくなる。しかし、その見解を日本人自身が信じ込んでよいものか。
過去の過ちを上層部のせいにして自らは被害者だと思う国民と、過去を自らの責任と考える国民と、外国から見てもどちらが信頼できるだろうか。そしてもともと靖国参拝は後者の考え方と親和性が高い。
そう考えると、中国などがこれほどまでに参拝に反対するのは少々不可解なことである。たしかに参拝派の中には先の大戦で日本は正しかったと考える人もいるし、また「靖国参拝は戦争への道」と唱える人もいるので、その辺から懸念が生じた面はあろう。
元来これは日本国内の問題である。日本人自身が過去の大戦への姿勢を大筋で集約し、自信を持って説明できるようになれば、外交問題としての靖国問題はおのずと消滅するだろう。そして諸外国も賛同する中で誰もが靖国神社に参拝できる日が来るはずだ。
重要なのは、外国の意見を無批判に受け入れたり、反対に開き直ったりすることではなく、日本人自身の問題として先の大戦について評価を下していくことではないかと思う。
中国は「悪いのはA級戦犯などの指導者であって日本国民は被害者」だという。だからA級戦犯の祀られている靖国神社の参拝には反対する。「正しい人民を権力者が抑圧する」という見方が共産主義に合っているのかもしれない。先日来日した温首相も「悪いのは指導者で日本国民ではない」と繰り返していた。
この点はアメリカも基本的に同じで、「善良な国民と悪しき独裁者」という見立てが好まれる。民主主義に最高の価値を置いているから、国民全体が間違えたとは言えないのだろう。
日本国内でも、あの戦争は上層部が国民を騙して、または強制して始めたものだというのが教科書的な公式見解になってきた感はあるが、必ずしも皆が本当にそう思っているわけではない。過去の話を聞けば聞くほど、むしろ国民やマスコミの自信過剰と熱狂が政府を引きずっていった面も強かったように思えてくるのは私だけではないだろう。
日本は拙劣な戦争を行って敗れ、他国にも自身にも大変な惨禍をもたらしたのであるから、上層部がきわめて重い責任を負うのは必然である。しかし見方を変えれば、彼らは日本全体の責任を負い、象徴として最後に犠牲になったとも言える。そうした人々を後世神社に祀ることまで許されないのだろうか。彼らに責任を転嫁することが正しい反省の仕方なのだろうか。
日本では先の大戦の反省をよく口にする人ほど、政府や軍が加害者で一般国民は被害者だという図式で語ることが多いように思う。この図式は以前から気にかかっている。政府や軍のために酷い目に遭った話は多いが、その大半は終戦近くのものであり、開戦前から反対だったという話はあまり聞かない。だがそのような惨禍を招いた原因は、終戦間近の行動ではなく、開戦前、または満州事変や日中戦争の頃にあったはずだ。その頃の日本社会はどのような雰囲気で人々はどのように考えていたのだろうか。
また、中国やアメリカが指導者の責任を強調するのは、一種の思いやりや外交儀礼でもあるのだと思う。敗北した相手国の国民全部を悪く言ってしまっては戦後処理の収拾がつかなくなる。しかし、その見解を日本人自身が信じ込んでよいものか。
過去の過ちを上層部のせいにして自らは被害者だと思う国民と、過去を自らの責任と考える国民と、外国から見てもどちらが信頼できるだろうか。そしてもともと靖国参拝は後者の考え方と親和性が高い。
そう考えると、中国などがこれほどまでに参拝に反対するのは少々不可解なことである。たしかに参拝派の中には先の大戦で日本は正しかったと考える人もいるし、また「靖国参拝は戦争への道」と唱える人もいるので、その辺から懸念が生じた面はあろう。
元来これは日本国内の問題である。日本人自身が過去の大戦への姿勢を大筋で集約し、自信を持って説明できるようになれば、外交問題としての靖国問題はおのずと消滅するだろう。そして諸外国も賛同する中で誰もが靖国神社に参拝できる日が来るはずだ。
重要なのは、外国の意見を無批判に受け入れたり、反対に開き直ったりすることではなく、日本人自身の問題として先の大戦について評価を下していくことではないかと思う。