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政治・経済に関する雑記

なるべく独自の視点で、簡潔・公平に書きたいと思っています。

相続格差

2010-02-08 14:39:55 | 格差・再配分
鳩山首相は「労働なき富」という引用について、行き過ぎたマネーゲームや金融資本主義のことを言ったのであって自らの贈与問題は含まないと述べたそうだ。随分と強引な解釈だが、たしかに我が国では首相と同様、相続の格差より所得の格差ばかり問題にする風潮があるようだ。

しかし、いつの時代も不平等の根源は贈与・相続だ。貴族も大地主も財閥も、相続がなければ成立しない。格差を問題にするなら、派遣労働を禁止したりするより、まずは相続について考えるべきである。

戦後の日本では経済的格差が少なかったが、これは敗戦によって資産がいったんリセットされたからだ。戦前の貯金や国債は千倍を超えるインフレによって紙くず同然になり、株は暴落し、農地解放で地主は土地を失った。いわば皆がゼロから出発したから、しばらく相続格差があまり生じなかったのである。

ところが平和な時代が続いた結果、今では全国の相続額は毎年80兆円にも達するようになった。しかし相続税は極めて低く、6千万円位まで無税である。普通の人が働いて貯めるには一生かかる金額だ。さらに多くの特例もあるから、都市部では数億円くらい無税で相続できることもある。それだけあれば一生働かないで食べていけるだろう。

この状況が続けば国民間の格差が拡大・固定化されていくのは目に見えている。今まで深刻な格差が生じなかったのは、資産格差がまだ十分に蓄積していなかったからだ。このままいくと日本も徐々に、欧米や戦前日本のような真の格差社会になっていくだろう。

関連:低すぎる相続税

バラマキは悪いことか

2008-11-12 19:50:31 | 格差・再配分
麻生内閣の先日の定額減税は「バラマキ」と言われないように高額所得者を外すかどうかで迷走したようだ。納税者番号制がないおかげで所得の把握が難しく、「高額所得者の辞退を期待する」という(私にはまともとは思えない)政策になるようだが、それはさておき、そもそも「バラマキ」政策とはどういうもので、何が悪いのだろうか。

全世帯への子供手当てや全農家への所得補償、今回の定額減税のような、広くお金を配布する政策がバラマキと言われがちだ。これに対して、投資減税、研究開発減税、大規模農家に絞った所得補償、起業支援など、的を絞った政策はバラマキとは言われにくい。そして、バラマキでない政策がよい政策だとの暗黙の了解がある。

だが本当にそうなのか。

一般に、的を絞った政策にはコストがかかる。誰を支援すべきか判断するために官僚の仕事が増える。支援される側も申請書を書いたり陳情したり、社会全体には寄与しない行動に時間を費やす羽目になる。制度が複雑化し、もらえる人ともらえない人の不公平感も生じる。

また、的を絞った政策は恣意的になりがちだ。投資減税や起業支援など内容がよく変わるが、よく変わるのは存在意義に欠ける政策だからだろう。フリーターを正社員として雇った会社に数十万円支給するという先日の政策、英会話学費の補助、今も続く高額ソフトウェア購入費の補助など、いずれも思い付きのような政策である。太陽発電やコンポストなど環境関連の購入費補助も流行っているが、その運営のための人件費に比べて効果はどうなのか。

こうした補助があると、当然「あまり必要ないが補助金が貰えるのだからやろう」という人が増える。無駄遣いの典型だ。補助を与える側は仕事と権限が増えて嬉しいかもしれないが、これらの補助金には社会全体では経済活動をゆがめて価値の低い行動に人々を誘導するという大きな問題がある。

それに比べて、広くばら撒く政策はシンプルで弊害が少ない。たとえば、低所得者を支援するなら、細かい支援策を連ねるより、負の所得税を導入するほうがよい。子育て家庭を支援するなら、企業や託児所を補助するより、すべての子育て家庭に手当てや控除を与えるほうがよい。環境を保護したいなら、特定の商品の購入に補助金を与えるより、環境税を導入するほうがよい。企業を支援するなら、特定の企業だけに「きめの細かい」支援を行うより、法人税を下げるほうがよいのではないか。

激変緩和措置は必要かもしれないし、どうしても自分でうまく決定できない人たちには選択肢を縛る政策も必要かもしれない。しかし基本的には、国民の行動を決めるのは政府ではなく国民自身であるべきだ。

きめの細かい支援政策といえば聞こえはよいが、確固とした理由がなければ弊害ばかり多くなる。いわゆる「バラマキ政策」のほうが、低コストかつ平等で、国民自身が使い方を決められるのだから、むしろ優れているのではなかろうか。

消費税は逆進的か

2008-07-18 15:50:46 | 格差・再配分
よく消費税は「逆進的」と言われるが、本当だろうか。

「逆進的」とはどういうことか。以前は、累進率のある所得税に比べて低所得者に負担感が重いというくらいの意味で漠然と使われたこともあったが、最近は、稼ぎに対する税金の比率が低所得者ほど高くなるという意味で使われることが多いようだ。

消費税は使った金額に比例するから、比率は一定と考えてよさそうなものだが、実際には低所得者のほうが高額所得者より消費性向(稼ぎのうちどれだけを使うか)が高いから、低所得者のほうが稼ぎに対して高率の消費税を払うことになる。谷垣財務大臣も消費税が「逆進的だという指摘は事実」と認めたらしい。

だがこの考え方は的を得ていないのではないか。消費しなかった稼ぎは貯蓄になるが、貯蓄もいつかは消費税を払って使わねばならない。あまり気付かれていないようだが、消費税は現在の貯蓄の価値を低下させるのである。

海外で使えば日本の消費税はかからないから、海外でよく消費する人ほど得すると言えるかもしれない(もっとも海外では日本以上に消費税が高いことが多いが)。また自宅の家賃や土地購入費など、消費税がかからない支出が多い人は得である。ただ、こうした影響は限定的だ。

やはり消費税は稼ぎにほぼ比例した税金であり、累進的でも逆進的でもないということになる。累進率のある所得税よりは低所得者に厳しいが、かといって国民年金の掛け金のように逆進的というわけでもない。

消費税が誰に厳しいかというと、むしろポイントは貯蓄の多さである。ここ20年ほど、所得税は下がり、消費税は上がる傾向にある。そうすると高額貯蓄者は、過去に高い所得税を払って貯蓄したお金を、今度は高い消費税を払って使わねばならない。税金を二重取りされるようなものだ。だから消費税は高額貯蓄者に厳しく、文字どおり「金持ち」冷遇の側面がある。

結局、消費税増税は低収入の高額貯蓄者(たとえば貯金の多い高齢者)に厳しく、高収入の低貯蓄者(たとえばローンを抱えた中堅世代)に優しいといえるだろう。

年金、失業保険、生活保護、所得税の統合

2008-07-09 10:53:14 | 格差・再配分
年金、失業保険、生活保護は同じものを目指しているのだから、本来は一本化されるべきではないか。これらはどれも所得の再配分機能の一種と言ってよい。アンラッキーにも所得が低かったり失業したりした場合に、裕福な幸運な人々からお金を回してもらおうという主旨である。そういう保障があればお互い安心だ。

しかし現在は、同じ目的なのに制度が分立しているために、失業保険と生活保護の狭間で保障を失う可能性があったり、年金と生活保護ではどちらが得かという問題が生じたりする。また制度が多ければ官庁の事務コストが増える。国民の目が届きにくくなり中にはいい加減な組織も出てくる。会社や個人事業者にとっても、申告や支払いの事務が複雑になって余計な手間を強いられる。それによって産業競争力が低下する。制度の乱立は不公平で不効率なのだ。

そこで、所得の再配分機能は全部所得税に統合したらどうか。そうすれば上のような問題が解消し、また所得の再配分のあり方が明確になって、国民が判断しやすくなる。

この場合、負の所得税を導入する必要がある。つまり所得が低い場合は所得税を払うのではなく逆に貰えるようにする。たとえば月収15万円なら所得税をゼロとし、それを超える人だけが所得税を払う。それ未満の人は給付が貰える。無収入なら月に10万円、月収5万円なら7万円、月収10万円なら4万円などと給付額を決める。

このとき働いて稼ぐほど税引き後の実質収入が増えるようにするのが肝要だ。現在の日本では、配偶者控除や生活保護で見られるように、働いても実質収入が増えないとか、さらには働いたほうが税金や社会保障が増えて実質収入が下がってしまうケースがある。こうした逆転現象は人々から働く意欲を奪うだけで何のメリットもなく、現在の制度はこの点で劣悪と言ってよい。所得再配分制度が分立しているから、このようなことにもなるのだ。

制度を統合すると、たとえば退職後の高齢者と、失業中の人と、働いていない若者は、みな同じ制度から、現在の年金、失業保険、生活保護に相当する給付金を受け取ることになる。収入が同じなら基本的に支給額も同額である。

実際には、高齢者と単に働きたくない若者が同列で扱われてよいのかといった問題がある。この点はあらかじめ調整しておく必要がある。たとえば高齢者や障害者と、それ以外の働こうと思えば働ける人には、異なる所属税率表を適用し、所得が少ないときの給付は前者が多く後者が少ないようにする(所得が多いときの税率は同じでもよいと思うが)。

家族を抱えて失業した人と、単に働かない独身者が同様に扱われてよいのかという問題もある。だが子供の扶養については、本来は児童手当の増額で対応すべき問題だと私は思う。配偶者の扶養については、社会で面倒を見る必要はないだろう。

以上のような整理が現実の政治で可能かどうかはわからないが、考え方としてはこうあるべきではないかということで書いてみた。

社会保障を保険制度で行うという矛盾

2008-07-08 10:00:32 | 格差・再配分
保険というものは「掛け金を払った者だけが恩恵を受けられる」という制度である。社会保障の根幹を成すべき年金と健康保険がそうした「保険」の考え方で成り立っているのは、おかしくないか。

現在の日本の制度では、掛け金を払わなければ年金を貰えないし、健康保険も受けられない。掛け金を払わなかった人は排除される。そんな制度が社会保障の名に値するのか。実際それでは困るので、これらの保険は強制加入になっている。だが強制加入の保険とはいったい何なのか。加入するかどうかを選択できないなら、その実態は保険というより税金である。

実際、すでに年金や健康保険は税金であるかのように運営されている。たとえば次のような現象がある。

  • 余裕のある組合から資金難になった組合にお金を流すことがよくあるが、本当の保険であればあり得ないことである。
  • 健康保険では掛け金と給付の対応関係が明確ではなく、健康保険の掛け金は所得によって変わるのに、受けられるサービスは変わらない。これも健康保険がすでに累進課税の税金として運用されていることを示している。
  • 所得が低い人は掛け金が払えないため、免除される場合がある。本当の保険であれば掛け金が払えなければ加入できないはずだ。

    このように実態は税金であるのに、保険であるとの建前を維持しているため、無用の混乱が生じている。たとえば、上記の組合間の資金移動が毎回問題になる。低所得者の掛け金免除の基準があいまいで問題が多いことは、昨今の社会保険庁のニュースでもよく指摘されている。また、年金掛け金の不払いが多いのは、保険なのだから入らなくてもよいはずだとの気持ちがあるからだろう。保険という建前からすればもっともな面がある。

    国民年金の不払いが多いのには、収入によらず皆同額だという理由もあるだろう。同額だと所得が低いほど保険料率が高くなる。所得税は累進的であるのに、国民年金が逆進的であると、制度が複雑化して不公平になる。たとえば現在の制度では、所得が最底層の人が支払う税率(ここでは税金と社会保険の、所得に対する比率)は、もう少し所得が多い人の税率より高くなる。また年金や健康保険には掛け金の上限があるため、上限の下に位置する中堅層の限界税率が、上限を超えた高額所得者の限界税率よりも高くなる場合がある。こうした逆進現象は、自然な累進課税制度であれば起こらないことだ。

    実際は税金でなければならない年金と健康保険が、保険であるという建前になっているため、不効率と不公平が生じている。将来は年金と健康保険と税金を統合すべきだろう。そして、以前「国民皆年金は定額支給にすべき」でも書いたが、給付を過去の所得によらない定額として、社会保障としての性格を明確にすべきである。

  • 日雇い派遣の禁止

    2008-06-18 20:42:35 | 格差・再配分
    先日、舛添厚労相が日雇い派遣を禁止する方向で考えたいと発言した。インターネットでこの問題を検索してみると、厚労相に賛同する意見が比較的多い印象である。大変残念なことだ。

    禁止で最も被害を受けるのは、日雇い派遣で働いている人達自身である。日雇い派遣が禁止されれば、現にその形態で働いている人の職場が失われる。他の形態で就業できたとしても、選択肢は狭まっている。平均的には、現在は他の形態より好ましいからこそ日雇い派遣で働いているのである。それが禁止されれば事態は悪化する。

    日雇い派遣で働く人のために日雇い派遣を禁止しようというなら、日雇いで働いたこともない人の意見ではなく、現に日雇い派遣で働いている人の意見を最大限尊重すべきだろう。彼らにアンケートを取ったら、禁止に賛成する人がどれほどいるだろうか。

    なぜ禁止したいのか。今回の提起は秋葉原の無差別殺人事件がきっかけだというが、とってつけたような理由で話にならない。職業差別の感すらある。グッドウィル等の違法行為も影響したと言われる。だが違法行為があったら禁止するのであれば、日本のすべての仕事を禁止せねばならないだろう。(真っ先に業務禁止になるべきは官庁だろうか?)

    派遣会社のマージンが高すぎて労働者が搾取されているのではないかとの意見もあり、これは私も個人的には同感なのだが、なぜマージンが高いかといえば、がんじがらめの法律で派遣の使い勝手を悪くしているからである。無意味な規制が多いほど、派遣会社の手間が増えてマージンが厚くなる。ついでに過大な利潤を潜り込ませる余地も拡がる。雇う側でも面倒が増えて支払いが少なくなる。払いが減って中間マージンも増えるのだから、労働者の取り分は二重に減る。一般的に考えて、規制を強化すれば派遣労働者の収入は減るだろう。

    派遣やバイトを縮小して正社員を増やそうという考え方があるが、これも陥穽だと私は思う。

    現実に日雇いや不定期の雇用が必要とされる仕事は多い。官庁や大企業はその傾向が少ないから疎いのかもしれないが、多くの中小企業やお店などは常時雇用だけではやっていけない。全国民を常時雇用にするには、計画経済に移行するしかないだろう。働く側も皆が常時雇用を望んでいるわけではなく、不定期の仕事を望む人も多いのである。いわば相思相愛の関係にある不定期雇用の雇用主と労働者の間を他人が無理に引き裂こうというのは、誰のためにもならないことである。

    問題は非正規雇用にあるのではない。非正規雇用の労働者の待遇が不当に低いとしたら、その理由の1つは、非正規雇用を減らそうとする見当違いの規制のためであり、もう1つは年金・健康保険・失業保険などにおける正規雇用との理由なき不公平のためである。非正規雇用で働く人のためを考えるのであれば、非正規雇用を圧迫して減らそうとするのではなく、上の2点を改善する方向に進むべきだ

    年金や社会保険は、早急に全国民共通の制度にする必要がある。弱者救済を大きな目的とする制度が職業ごとに分立しているのはおかしなことだ。こうした弱者救済・セーフティーネットにかかわる制度は、規模が大きいほどよい。そのほうが制度が安定し、職業や住所による不公平が生じないからである。(地域ごとに分立させるのもよくないだろう。)

    以前も書いたが、働き方によらずに平等に福祉を享受できる制度に早く変えていくべきである。

    人材派遣の規制

    2008-01-16 19:14:42 | 格差・再配分
    先日、人材派遣がらみでグッドウィルに業務停止命令が出されたが、それをきっかけとして「人材派遣業界をもっとちゃんと規制しろ」という論調がまた増えたようだ。もともと、派遣という働き方は本来望ましくないもので、正社員化を進めるのが正しい方向だとの意見も多い。

    だが私はそうした考え方には以前からまったく反対だ。逆に人材派遣で一生働いても問題ないような世の中にすべきだと思っている。規制派は人材派遣で働く人のためだという。だがそうした規制が、人材派遣という働き方の価値を損ない、結局は人材派遣で働く人の収入を低下させているのである。

    現在は人材派遣に対する規制が多い。たとえば次のようなものがある。


    1. 派遣スタッフは最大1~3年程度しか継続して使えない。だからせっかくいい人が来てくれて仕事を覚えて貰っても、期限が来たら契約解除しなければならない。これでは派遣先企業にとって使いづらいから、結局、企業は派遣スタッフに多くの報酬は払わないだろう。

    2. 派遣スタッフを一定期間(たとえば1年)以上継続して使った企業は、そのスタッフが望んだ場合、正社員として雇わなくてはならない。正社員化を希望しない企業にとっては、そのようなリスクのある派遣スタッフに高い料金は払いたくないだろうし、派遣の利用そのものを止めるかもしれない。そもそもこの規定は、派遣社員より正社員がよいという考え方に基づくものだ。

    3. 派遣スタッフには契約外の仕事をさせてはならない。たとえば編集業務で契約したスタッフにお茶くみやお使いをさせてはいけない。程度問題だが、こんなことまで法律で一律に決める必要はない。これも派遣の価値を低下させるだろう。

    4. 派遣先企業は派遣スタッフを直接面接して選んではならない。無意味な話だ。企業は直接面接もできない人間を重要な仕事のために雇うだろうか。

    5. 港湾運送業務、建設土木作業、警備、製造工程では派遣スタッフを使ってはならない。危険な仕事だからということになっているが、おそらく本当の理由は既得権者の意向だろう。作業の内容を理解したうえで、それでも働きたいと望む派遣スタッフに門戸を閉ざす理由はないはずだ。


    現在、人材派遣会社のマージンは30%以上にもなるようだ。派遣先企業が時給2000円を払っても派遣スタッフが貰えるのは1400円ということである。社会保険料の負担があるとはいえ、このマージン率は高すぎるように思える。もっと低マージンの人材派遣会社が伸びてほしいものであるが、なかなかそうならないのは、やはり上に上げたような規制にあるからではないか。たとえば派遣先企業はスタッフと長期的な契約を結べないから、派遣会社に強く依存せねばならず、派遣会社側も手間がかかる。またスタッフは派遣先企業に直接面接して貰えないから、スタッフの情報を握る派遣会社が有利になる。

    人材派遣にはよい面がある。働く側は時期や場所を選んで働ける。いろいろな仕事で経験を積める幅広いスキルが身に付く(派遣やアルバイトは正社員に比べて技術を習得しにくいという常識があるが、少なくとも私の経験ではそんなことはない)。繁忙期の成長企業で働けることが多いので刺激的だ。雇う側は多忙なときだけ雇えるのでリスクがなく、したがって正社員より高い給料を払うことも可能だ。短期の雇用では互いに相手がちゃんとした人・企業かどうか不安だが、中間の派遣会社が過去の信用情報を管理していればその点も安心だ。

    こうした派遣の形態でずっと働く人がいてもよいはずだ。人材派遣を無理に抑制して正社員を増やそうとするのではなく、人材派遣にかかわる無駄な規制を撤廃して雇う側にも雇われる側にも使い勝手のよい制度にしていくべきだろう。そうすれば派遣先企業が払う料金が高まるとともに、おそらくは人材派遣会社のマージンも低下して、現在の正社員と派遣社員の収入格差もなくなっていくに違いない。

    関連項目 日本の所得格差
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    国民皆年金は定額支給にすべき

    2008-01-08 20:29:34 | 格差・再配分
    先日の日経新聞に基礎年金(月額6万数千円)を全額消費税で負担しようとの案が載っていたが、よい考えだと思う。現在でもすでに基礎年金の3分の1~2分の1は税金で賄われており、社会保険方式は事実上崩壊している。国民年金の実質的な未納率は5割に上り、またもし保険を払わなかったとしても、結果的に生活に困窮すれば結局は(基礎年金より高額な)生活保護が受けられる。

    本来、強制加入の国による年金は、老後も最低限の生活を保証することに最大の意義があるはずだ。したがって、払った人しか貰えないという社会保険の考え方にはもともと無理がある。掛け金を払わなかった人間は老いたら野たれ死ねばよいといわけにはいかないからだ。

    年金徴収のコストも問題だ。現在は徴収員が何度も出向いて支払いをお願いするようなことが行われているが、そのために多くの経費がかかっており、まったくバカバカしいことである。徴収を税と一本化すればこの経費は大きく削減できる。余談だが、国税と地方税も徴収は一本化すべきだ。都道府県税で集めて国税分を上納してもよいし、国税局で一括徴収して地方税分を各地方に分配してもよい。そうすれば行政の経費を削減でき、国民も二度手間がなくなって助かるだろう。

    日本の年金制度が複数分立しているのも問題だ。先日、運営難の国民年金に厚生年金から資金を流したことを日経新聞は非難していたが、これは仕方ないと私は思う。むしろ複数の年金制度があること自体が問題なのだ。強制的な年金の目的が一定の老後生活を万人に保障することにあるのならば、独立採算や自助努力の考え方は、ここに限って妥当ではない。401kのように自分で積み立てて自分で運用するという考え方も同様に無理がある。そういうものは任意加入のオプションであるべきで、国が強制的に行う必要はない。

    それから25年以上加入しないと年金を貰えないというのも大変おかしな話だ。なぜ「1年以上」くらいにできないのか。そうしても現在はコンピュータがあるので大きな経費はかからないはずである。

    最後に、強制的な年金の支給額が人によって異なるのはまったくおかなしことだと思う。これは現役時代の収入の差を老後まで持ち越すことを強いる制度である。格差を固定化・再生産する制度であると非難されても仕方ないだろう。強制加入の国の年金がそのようなことをすべき理由はまったく思い付かない。そういう種類の年金は、自由参加・独立採算・自己責任の制度であるべきで(もちろん民間が提供してもよい)、国を挙げて保証する国民全員のための年金がそこまでやるのは、政府の肥大化と利権の複雑化を招くだけである。厚生年金(の所得比例部分)は任意加入にすべきだ。

    現在の月額6万数千円の基礎年金ではちょっと足りないから、10万円くらいに上げるとよいと思う(消費税にすると数%分のコストになるが)。強制的な社会保険という考え方は無意味だから廃止して、税金に一本化する。財源については相続税環境税、固定資産税をもっと活用して貰いたいが、これは別問題だから当面は消費税でも仕方ないか。もちろん今まで払われた分について事後的に制度を変えるわけにはいかないが、今後の分についてはそうして貰えないかということである。

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    低すぎる相続税

    2007-10-24 20:29:57 | 格差・再配分
    福田内閣になってから財政再建がよく話題になっている。消費税の増税がその話題の中心だが、相続税がもっと注目されるべきではないか。

    2004年の日本全体の相続税課税価格は10兆円で、そのうち相続税として納付されたのは1兆円だった。1992年は19兆円と4兆円だったからかなり減ったようだ。資産デフレが進んだことと、最高税率が70%から50%に引き下げられたことの影響だろう。

    だが本当の相続金額はこんなものではない。10兆円というのはあくまで相続税がかかる「課税価格」であって、実際に相続される遺産の総額は毎年およそ80兆円と言われている。納税額は1兆円だから実効税率はわずか1.25%にすぎない。

    ちなみに近年の民間給与所得の総額は約200兆円で、それにかかった所得税等(国+地方)の総額は25兆円ほどであったから、こちらの実効税率は12.5%である。法人所得は50兆円で税金は17兆円ほどだった。表にすると下のようになる。

     金額税額税率
    民間給与所得額 200兆円 25兆円 12%
    法人所得額 50兆円 17兆円 34%
    相続額 80兆円 1兆円 1%

    ※上の金額は統計から得た2000~2006年あたりの数値。多少不正確かもしれません。

    いずれにしても相続税率だけが異常に低いことがわかる。なぜ自分で働いた給与にかかる所得税より、生まれでほぼ決まってしまう相続遺産にかかる相続税のほうが低いのか。まったくおかしなことと言わねばならない。

    現在の相続税制では、子供2人の場合で7000万円の基礎控除があるうえ、居住用の土地は240㎡までなら8割控除される。子供2人で親の遺産を相続した場合、金融資産だけで1人あたり3500万円、大都市に土地があれば場合によっては総額1億円以上の資産を得ても無税なのである。これだけの額を真面目に働いて稼いだらいくらの税金がかかるだろうか。

    このところ格差もよく話題になるが、この観点からも相続税は最大の論点になるべきものである。歴史的に見ても、格差の拡大や階級化に最も大きく寄与したのはおそらく相続なのだ。格差を問題にするマスコミや野党は、ここにもっと焦点を当てるべきだろう。

    80兆円という額は、ほぼ日本の国家予算(一般会計)に相当する。仮に相続税を100%にすれば他の税金をすべてなくすこともできるわけだ。そこまで極端なことをすると弊害のほうが大きくなるが、少なくとも20~30%程度までは実効税率を上げるべきではないだろうか。

    以前は相続税が高いという人が多かったが、あれはほとんど錯覚である。相続税収がピークであったバブル期でも実効税率はおそらく2%程度だったろう。遺産相続をした人の中で実際に相続税がかかった人の比率は毎年わずか数%以下である。相続税は以前から大多数の人には無縁の税金であり、多くの人にとっては所得税や消費税が上がるより相続税が上がるほうが痛みが少ない。たとえば仮に基礎年金を全額税負担にすると消費税を12%程度まで上げる必要があるという話があるが、相続税の実効税率を20%程度にすることによっても、単純計算では同様の税収が得られるのである。どちらが望ましいだろうか。

    配偶者や親への相続はある程度優遇されてよいと思うが、子孫への相続を優遇するのは社会を不当に固定化するだけだ。公平性の上からも、また現実の財政の観点からも、相続税を上げることは喫緊の課題だと私は思う。遺産を残す側にとっても、人生の最後にそうやって社会貢献するのは悪くないことではないだろうか。

    昔の江戸っ子のように宵越の金を持たないというのは現代では無理だろうが、せめて「世代越し」の金は多く持たないようにしたいものである。

    関連記事:相続税(事業承継税制)
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    日本の所得格差

    2007-10-12 19:01:57 | 格差・再配分
    1年ほど前に、日本の相対的貧困率が先進17カ国中米国に次いで2位であるとのOECDの発表を見て驚いたのだが、その後この問題について少し調べてみた。

    各種統計を見ると日本の相対的貧困率が高いのは事実のようだ。この「相対的貧困率」とは、中位の生活をしている人の半分以下の所得しかない人の比率のことなので(日本の2000年の値は約15%)、大富豪がいるかどうかはあまり関係なく、中位と下位の差が大きいかどうかで決まる指標である。

    統計を見ると、日本は他国と比べて所得の上位と中位の差は少ないが、中位と下位の差は大きいことがわかる。たしかに日本の高額所得者は諸外国と比べると大したことはなさそうだが、正社員とフリーターの差や、熟年層と若者の差は大きい感がある。

    もう1つ興味深い点として。日本は他国と比べて(税や社会保障による)再配分前の所得格差は小さいが、再配分後の所得格差は比較的大きいということがある。考えてみれば日本では、個々人への直接的な保障より産業や地域への補助や公共工事によって社会的再配分を行おうとする発想が強いから、これも実感どおりである。

    昨今いわゆる格差が問題になっているが、諸外国と比べたとき上の2つの傾向があるので、その是非を考えてみなければならないだろう。

    中位と下位の差が大きい原因は、いまだに社会が固定化されているからではないか。同一企業に長年勤めた人が優遇される反面、新参者は冷や飯を食わされる。たしかに長年勤めている熟練者の方が一般に生産性が高いと考えられるが、現在の格差はそれで説明できるレベルをはるかに超えている。男女の給与格差が大きいのも同根で、出産や子育てのために一度会社を辞めると必要以上のハンディキャップを負わされる傾向がある。

    この格差はおかしいから非正社員を正社員化しようとの論調が多いが、どうだろうか。従来のいわゆる正社員ばかりの世の中になってしまったら、雇用が固定化され、働く人も雇う人も束縛されて不自由になる。常勤の長期雇用という従来の正社員の雇用形態に縛られない働き方がもっと認められるべきだし、今後は実際そうなっていくはずだと私は思う。それが働く側と雇う側の双方にとって幸せだからだ。そのためには、新参者や中途休職者が必要以上に差別されない流動的・開放的な社会にしていかなければならない。

    税や社会保障より産業の助成や公共事業が大きな役割を担っているという側面についてはどうか。これには、皆が誇りを持って働き自分で稼ぐことができるという点ではよい面がある。だが欠点も多い。産業の助成や公共事業の多くの部分は、本当に助けが必要な人には届かず、豊かないわゆる「既得権者」に流れてしまうだろう。さらにそのような産業助成は経済をゆがめ、無駄な仕事が増えたり必要な仕事に人が回らなかったりして、結局は社会全体が貧しくなるという根本的な問題がある。

    両面を考えると、今後は日本でも税や社会保障による直接的な保障に比重を移すべきではないか。現時点では、妙な制約の多い生活保護を除くと、直接的な所得補助はないに等しい。また税制も中流以下の所得階層で負担があまり変わらないので、中流に優しく下層に厳しい設計になっている。以前から時々話題になる「負の所得税」がよい解決策ではないだろうか。最低限の保障だけは自然に受けられる社会になってほしいものである。

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