浅草界隈

スカイツリーの営業も順調なようで、
建設中から撮った役目もすでに終わり。
気ままに見たり聞いたり思ったりを綴ります。

霧の中のサービスエリア

2013-10-31 20:55:00 | 日記
夜明け前のサービスエリアは霧で真っ白です。
何台かのコンテナトラックとバスの姿が、
白いモヤの中に浮かんで見え、実に幻想的。
少し固まった身体を、ほぐしながら再びバスに乗ります。
次第に明るくなった窓の外に日本海が見えてきました。
何度も来たわけではないのに、
見覚えのある景色を見て懐かしさを感じました。
不思議ですよね。

重なる時は・・・

2013-10-29 15:53:57 | 日記
ここのところ忙しい日が続きます。
なにが?って・・・。たぶん・・キブンがです。
明日は仕事を早めに切り上げ、ダッシュで東京駅へ向います。
初めての深夜長距離バスです。
昔、名古屋から上高地にバスで行ったことがありましたが
リクライニングも無く、ほぼ直角状態のイスで、
しかも補助席だったような気がします。
上高地についたのは朝の6時。
川べりで持参のおにぎりと缶詰で朝食。
9月の上高地は寒かったし・・・眠かった・・・
歩きながら半分寝ていたような想い出があります。
まあ、何十年ぶりかでもっと長距離を乗ろうとするのだから
呆れられても仕方ありませんかしら???
ニューヨークへ行くのと大差ない時間ですからね。なんとかなるでしょ。
そんな緊張感でいっぱいのところに
息子から子供が産まれそうだと連絡が入り、
今朝無事に女の子が生まれたようです。
やいやいやい・・・
田舎から帰ったらそのままお祝いに行かなきゃ・・・
ZZZZZZZ・・・・・

秘密保護法案

2013-10-27 15:22:45 | 日記
『秘密保護法案』と聞いて、
10年以上も前に聞いた、戦争を体験している人の言葉を思い出します。
『最近の日本は、第二次世界大戦が起こる前に状況が似ている』と。
自衛隊の国連平和維持活動(PKO)協力法案が可決されたり
その後の個人情報保護法案の可決、
次々と繰り出される法案がそんな不安を呼び起こしていたのだと思います。
このまま行ったらまた日本は戦争を起こすのではないかと。
そういった危惧と、いくらなんでもそこまでバカなことはしないでしょ、
といった暢気な考えが入り交じり、
多くの戦争経験者は不安を肌で感じ、
戦争を知らない私達も、そんなことあってはならないと思い続けたのです。

『秘密保護法案』と聞いて、なぜか憲兵とか特効とか言う言葉を連想しました。
国が困るような情報を手に入れるような立場にいないし、
情報を渡すような相手もいないし、
直接関係あることではないのかもしれませんが
世の中には知らないところで罪に問われることもあるみたいだし
私達が知るべき情報が、この法律のもと、
隠されてしまうことも沢山あるような、
そういったことが大きな問題なんでしょうね。
10年20年かけて歴史は作られていくんですね。
選挙権がいくつあっても変えられないのでしょうか?
戦争の無い国って無理なのでしょうか?

気密性

2013-10-26 16:14:15 | 日記
先日、洗濯物を干していると非常ベルの音がしました。
高層建物がいくつも建っていると、
どこから音がしているのか迷ってしまいます。
鳴り止まないので玄関に回ってドアを開けると
けたたましい音が鳴り響いていました。
建物全体を見渡せる場所まで移動しても何も異常はありません。
いたずらか間違いか、ともかく何もなさそうなので再びベランダに出ました。
すると、今度はピンポンパンポ~ンと、お知らせの音色。
またまた玄関に出ましたがチャイムのあとは無言のまま。
非常ベルから30分ほどして、またお知らせのチャイム。
チャイムが何度か鳴って、しばらくしてやっと一言
『先ほどの非常ベルは誤報でした』
何も無かったのは良いのですが、
問題なのは非常ベルの音が聞こえないということ。
ドアを開ければうるさい位大きな音なのに
ドアを閉めて、玄関から離れるとほとんど聞こえません。
冷暖房の効果が上がるように、
エコと称して窓ガラスを取り替えたりして気密性が高まりましたが
高まりすぎて非常の際の放送が聞こえないのは困りもの。
近年は地震だけでなく、気象の変動に寄る突風や大雨、
その他様々な自然災害が起こっています。
どうしたら個人個人にいち早く情報を伝えられるか、
全ての人が携帯電話を持っているわけでもなく、
そしてパソコンを使えるわけでもなく、
玄関までスタスタ歩いて様子を見に行けるわけでもありません。
さてさて、どうしたらよいのでしょう???

一葉泉

2013-10-25 12:16:32 | 日記
台東区の竜泉は『たけくらべ』の作家、樋口一葉が住んでいたところです。
当時の一葉は荒物・雑貨・駄菓子屋をしていたけれど
上手くいかず本郷に引っ越して執筆活動に専念したといいます。
一葉記念館や一葉煎餅、や一葉も買ったという饅頭屋や
一葉の名から付けられた銭湯もありました。
ありました、というのはこの九月に閉店し取り壊しが始まったからです。
昭和30年代のお風呂屋さんということで、
入口にはペンキ絵が書かれていました。
そのペンキ絵も、雨の中作業は続けられ今は見る影も無し・・・
跡地はマンションになるそうですが
この10年、いくつものお風呂屋さんが無くなるのを見てきました。



アールデコの『廿十世紀浴場』
名前は忘れたけれど、
朝早くからお客さんの出入りする花やしき側にあったお風呂屋さん。



下町らしい風情がどんどんなくなって
ただのマンションに変わって行きます。
お風呂屋さんの下足入れが好きなんだけど。