映画「教祖誕生」
監督:天間敏宏。原作:ビートたけし。出:萩原聖人、玉置浩二、ビートたけし。93年
若い男がなんとなく宗教団体に付いて行っていつのまにか教祖にされてしまうという話。ビートたけし原作で「ソナチネ」の頃で交通事故を起こす前なんでかなり雰囲気が怖い。本当にこの人の脚本って興味深い。
萩原聖人が田舎に帰省してると船で宗教団体に出会う。町では彼らが路上でデモンストレーションを行っている。爺さんを教祖としていてビートたけしが言う「この教祖様は水の上を歩いたり、10分息を止めたり何でも病気を直したりします」。そこに車椅子に乗った婆さんと孫が出てきて足を直してもらう。教祖様が手をあてると電気が走って何でも治ってしまうのだ。そして偉い人との対談集を売ったりしてる。彼らはそうして全国をちんどん屋のように周るのだ。ビートたけしってフェリーニ大好きっ子だから旅芸人に影響があるんじゃないかな。この人は何かでフェリーニ映画はソープランドみたいなもんと言ってたんだけど、この映画にもちゃんと登場する。
萩原が電車に乗ってるとさっきまで足の悪かった婆さんが走ってるのが見える。何をやってるんだこの団体はと何となく興味を持つ。虚構の世界に生きてる彼らに魅入られてしまうのだ。「ブリキの太鼓」のオスカルが小人サーカスを見て自分自身の鏡像を見てしまったかのように。オスカルは鏡(あの映画だとガラス)の中の違った分裂的な自分を受け入れられなかったんだ。そして萩原は教団に入れてもらう。
教団はビートたけしと岸部一徳が仕切っている。教祖は浮浪者の爺さんを拾ってきてお飾りに過ぎないのだ。教祖は夜になると酒ばっか飲んでる。威圧的なたけしに「お前なんて罰が当るぞ」と言うも当ててみやがれこのジジイと殴られてる毎日。そんな教祖を玉置浩二は本気で崇拝している。正確に言えば教祖じゃなくて教えというか何かから逃げるかのように教団を崇めてる。「ディスタンス」での遠藤憲一みたいな感じで人間はなぜ醜いのかってことに区切りがつけなくて、こういう人は結局醜い自己に向かってしまう。
みんなでカモの金持ち一家にお祈りに行く。ガンで死にそうな爺さんを助けてくれと頼まれ、教祖は本気で救えると思い込んで懐に入れてる電流を流してしまう。あっけなく死んで逃げる準備をしてるとその家の嫁は感謝してくる。安らかな眠りをありがとうございます教祖様。お金なんて要りませんよ心(=金)だけで十分です。こんなのは建前で本音は殺して頂いてありがとうございます、これは遺産の一部の口止め料でございますっていう。教祖は酒を飲みながら金の受け渡しを眺めている。
教祖は段々と頭にきて暴走。本部で開かれる宗教の大会ではナチス式の敬礼をしてる。あいつはどうしようもないなと言ってるたけしの後ろの壁には家系図のような写真が並んでる。おいおい象徴教祖制はまずいぞと。このシーンはテレビの地上波じゃ放送できなそうでいかにも映画という展開だ。この浮浪者はクビ。そして新教祖は利用しやすそうな萩原聖人に決定。
以下ネタバレ
教祖よりも教えが大事なのだ。教祖なんてのは置物に過ぎず、教えは金を生み出すからだ。教祖が象徴で教えは法なのか。早速たけしは新しい教祖をキャバクラやソープに連れて行って手なずける。しかし萩原は鏡の中の虚構な自分を見つめて、真剣に教団に来る信者たちを見て目覚める。滝に打たれたり断食もして修行してる。たけしが来て「断食で神様になれるんなら山で遭難したやつらはみんな神様だな」と言う。確かにその通り。
目覚めてしまった教祖は本当に体の悪い婆さんを直してしまう。彼に自覚を持たせるために信者がわざとやったのか、本当にパワーが授かったのかまったくわからないのがまたうまい。工場で作らせた仏像をみんなで梱包する。仏像は教団の手でちょっと綺麗に包装されれば数万円に化けてしまう。たけしが女に二股をかけていて三人で向き合ってる。この構図は内職させてる家族と浮気するオヤジで悲しいほどの下町な光景。言う事聞かないと容赦なく殴る。ついにキレた玉置は仏像を焼いてしまう。ここら辺が廃仏毀釈というか難しいんだ。ゴダールか何かの映画での焚書のように人間が作る文化なんてのはすべてが無に帰す。
セックスによって救われる女とたけしに唆された玉置がやってる。おれの女に手を出しやがってお前なんてクビだ出て行けと怒鳴られてナイフを取り出す玉置。逆にたけしに刺されて死んでしまう。教祖は言う「罰が当ったのだ。あなたは人を傷つけてしか神に近寄れないのだ」。祭りによって祀られてたはずの教祖はたくさんの信者に祀られていく。
”祭り”でのちんどん屋集団だったのが、中にテキ屋みたいなたけしが混じってて面白い。この映画はずっとシニカルに続くんだよね。これは現代とは違った描き方で興味深かった。
★★★
監督:天間敏宏。原作:ビートたけし。出:萩原聖人、玉置浩二、ビートたけし。93年
若い男がなんとなく宗教団体に付いて行っていつのまにか教祖にされてしまうという話。ビートたけし原作で「ソナチネ」の頃で交通事故を起こす前なんでかなり雰囲気が怖い。本当にこの人の脚本って興味深い。
萩原聖人が田舎に帰省してると船で宗教団体に出会う。町では彼らが路上でデモンストレーションを行っている。爺さんを教祖としていてビートたけしが言う「この教祖様は水の上を歩いたり、10分息を止めたり何でも病気を直したりします」。そこに車椅子に乗った婆さんと孫が出てきて足を直してもらう。教祖様が手をあてると電気が走って何でも治ってしまうのだ。そして偉い人との対談集を売ったりしてる。彼らはそうして全国をちんどん屋のように周るのだ。ビートたけしってフェリーニ大好きっ子だから旅芸人に影響があるんじゃないかな。この人は何かでフェリーニ映画はソープランドみたいなもんと言ってたんだけど、この映画にもちゃんと登場する。
萩原が電車に乗ってるとさっきまで足の悪かった婆さんが走ってるのが見える。何をやってるんだこの団体はと何となく興味を持つ。虚構の世界に生きてる彼らに魅入られてしまうのだ。「ブリキの太鼓」のオスカルが小人サーカスを見て自分自身の鏡像を見てしまったかのように。オスカルは鏡(あの映画だとガラス)の中の違った分裂的な自分を受け入れられなかったんだ。そして萩原は教団に入れてもらう。
教団はビートたけしと岸部一徳が仕切っている。教祖は浮浪者の爺さんを拾ってきてお飾りに過ぎないのだ。教祖は夜になると酒ばっか飲んでる。威圧的なたけしに「お前なんて罰が当るぞ」と言うも当ててみやがれこのジジイと殴られてる毎日。そんな教祖を玉置浩二は本気で崇拝している。正確に言えば教祖じゃなくて教えというか何かから逃げるかのように教団を崇めてる。「ディスタンス」での遠藤憲一みたいな感じで人間はなぜ醜いのかってことに区切りがつけなくて、こういう人は結局醜い自己に向かってしまう。
みんなでカモの金持ち一家にお祈りに行く。ガンで死にそうな爺さんを助けてくれと頼まれ、教祖は本気で救えると思い込んで懐に入れてる電流を流してしまう。あっけなく死んで逃げる準備をしてるとその家の嫁は感謝してくる。安らかな眠りをありがとうございます教祖様。お金なんて要りませんよ心(=金)だけで十分です。こんなのは建前で本音は殺して頂いてありがとうございます、これは遺産の一部の口止め料でございますっていう。教祖は酒を飲みながら金の受け渡しを眺めている。
教祖は段々と頭にきて暴走。本部で開かれる宗教の大会ではナチス式の敬礼をしてる。あいつはどうしようもないなと言ってるたけしの後ろの壁には家系図のような写真が並んでる。おいおい象徴教祖制はまずいぞと。このシーンはテレビの地上波じゃ放送できなそうでいかにも映画という展開だ。この浮浪者はクビ。そして新教祖は利用しやすそうな萩原聖人に決定。
以下ネタバレ
教祖よりも教えが大事なのだ。教祖なんてのは置物に過ぎず、教えは金を生み出すからだ。教祖が象徴で教えは法なのか。早速たけしは新しい教祖をキャバクラやソープに連れて行って手なずける。しかし萩原は鏡の中の虚構な自分を見つめて、真剣に教団に来る信者たちを見て目覚める。滝に打たれたり断食もして修行してる。たけしが来て「断食で神様になれるんなら山で遭難したやつらはみんな神様だな」と言う。確かにその通り。
目覚めてしまった教祖は本当に体の悪い婆さんを直してしまう。彼に自覚を持たせるために信者がわざとやったのか、本当にパワーが授かったのかまったくわからないのがまたうまい。工場で作らせた仏像をみんなで梱包する。仏像は教団の手でちょっと綺麗に包装されれば数万円に化けてしまう。たけしが女に二股をかけていて三人で向き合ってる。この構図は内職させてる家族と浮気するオヤジで悲しいほどの下町な光景。言う事聞かないと容赦なく殴る。ついにキレた玉置は仏像を焼いてしまう。ここら辺が廃仏毀釈というか難しいんだ。ゴダールか何かの映画での焚書のように人間が作る文化なんてのはすべてが無に帰す。
セックスによって救われる女とたけしに唆された玉置がやってる。おれの女に手を出しやがってお前なんてクビだ出て行けと怒鳴られてナイフを取り出す玉置。逆にたけしに刺されて死んでしまう。教祖は言う「罰が当ったのだ。あなたは人を傷つけてしか神に近寄れないのだ」。祭りによって祀られてたはずの教祖はたくさんの信者に祀られていく。
”祭り”でのちんどん屋集団だったのが、中にテキ屋みたいなたけしが混じってて面白い。この映画はずっとシニカルに続くんだよね。これは現代とは違った描き方で興味深かった。
★★★
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます