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without a trace

ヤマザキ、フリーターを撃て!

白鯨

2006-10-25 03:45:37 | 映画
 55年。タイトルそのまんまの白い鯨を追う海の男たちの話。海と戦い、鯨と戦い、どう見ても戦闘映像はミニチュアでミニチュアとも戦う熱すぎる男たちの映画。女はセリフさえないという、もはや男塾としかいいようがない。監督はジョン・ヒューストン。ヒューストンと言えば、1本しか見てないので何ともいえないんだけど、男たちが何かにとりつかれたように戦って必ず散っていくらしい。ちょいスコセッシ系だ。

 とある孤独な男。彼は家族も金もない、体一つしかない人間。孤独な人間が目指すのは海である。なぜならば海は自己の鏡だと彼は言う。そして海の町のパブへたどり着くのだ。ここいらにはわけのわからないむさくるしい男たちで一杯だ。ホテルは相部屋で南の島からアメリカに遭難してきた男が一緒。彼はミイラ化した人間の生首を売り歩き、アヘンを吸いながら帰ってくるという熱すぎる男。彼らはすぐに意気投合して一緒にクジラ漁船の乗り込むのだ。

 漁船の船長はグレゴリー・ペック。彼は白いクジラに襲われて義足となっている。夜しか船に顔を出さない、クジラの骨を義足にしているというまたもや毎日骨太キャラ登場である。この船に20人くらいのちょい悪たちが乗り込んでいく。海の男といえども、陸に帰れば母ちゃんが待ってるものだがここにはそんなものは存在しない。海が家族であり、お帰りなさいませご主人様なのだ。

 以下ネタバレ


 クジラを捕まえてすぐに解体。脂肪を煮ることで得られる鯨油を取って儲ける。しかし船長の目的はただ一つ。自分の足を奪った白いクジラをぶち殺すのだ。神は一人、船長も一人、貴様ら言う事を聞けと白いクジラを執拗に追っていく男たち。船長にとっては金など問題ではなく彼が言うには「世の中の存在はすべてが仮面だ。その奥にある人間の根源的な内面を追ってやる」というなんだか意味不明な、要するに仕返しという哲学を抱えている。それに金とロマンに巻き込まれていく男たち。

 
 船長は足の切断という事で強制的に去勢のような形。父性と神を同一視のようにしていて、自分が神となると真剣に考えている。普段の生活など、自分の目的のための準備にすぎない。一人泳いでクジラに向かい散っていく。ミニチュアのクジラと戦って死んでいくというまるで負けの美学のようだ。それでも彼は勝ったのだ。戦って散っていくのが彼の目標だから。
 ★★★

マシニスト

2006-10-24 01:34:42 | 映画
 主役のクリスチャン・ベイルが30キロ近くも減量して不眠症の男を演じた映画。監督は「ワンダーランド駅で」のブラッド・アンダーソンという事で見た。かなり雰囲気は変わっていてサスペンス調。クリスチャン・ベイルが誰といても異様に痩せてるので嫌でも目がいってしまう。「太陽の帝国」で零戦に憧れていた少年がこんなになってしまってと驚くばかり。負け組全開の暗い映画が好きなおれとしては面白かった。

 マシニストとは機械工の事。ベイルは一年間ほとんど眠れずにどんどん痩せている。彼が誰かを殺して海に捨てている光景から始まる。彼の心の闇に迫っていくのだ。工場の主任にこき使われ、労働法がどうたら言って反抗するとブラックリスト入りさせられる暗い工場が職場だ。お偉いさんに痩せてるからと薬物検査を受けろと命令されている。不眠症という事を隠して働いているのだ。

 楽しみはたまに会いに行くお気に入りの娼婦との一夜という下流ライフ。夜は眠れないので一人テレビを見たり、読書でドストエフスキーなんかを読んでいる。毎日のように空港のカフェでコーヒーを飲んでボーっとしている。ここのくたびれ気味のウェイトレスが好きなのかはわからないが通っていて知り合いだ。

 ある日、職場で新人という見たことのない男と出会う。彼に気をとられている間に、同僚の腕を機械で切断してしまう。あいつのせいだと証言すると、そんな男はこの工場にはいないのだった。

 
 以下全部ネタバレ


 不眠症で誰も見ていない男=精神分裂とすぐに気づいてしまう。だからいかに細かい部分を見せられるか。腕を無くしたマイケル・アイアンサイドは大金を貰って辞めていく。ここの企業は組合が強いって事で労働者の解雇は難しいのがわかる。一方のベイルは家の冷蔵庫に張り紙がされていると思いこみ、誰かが自分を罠にはめようとしているのだと怒っている。自分以外はみんなが策略で繋がっていて、何かと新人の男という自己分裂が登場して追っていく。この新人は手の指を工場で切断していて、足の指を移植している。

 段々と彼の生い立ちがわかってくる。父に捨てられて、裕福とはいえない母子家庭の息子。母は死んでいて天涯孤独の身だ。家族もいなく、渇いた人間関係、渇いた街並、渇いた人生、一生這い上がれる事もない同じ労働の日々。

 空港のカフェの女は幼い一人息子を抱えている母子家庭。つまりこの幼い無力な息子は主人公自身の象徴だ。男の子も連れて一緒に遊園地にデートに。人生とは妥協の連続だという彼の言葉が聞こえてきそうだ。お化け屋敷で手足のバラバラ人形なんかを見ていると男の子はてんかんを起こして失神する。てんかんと言えばドストエフスキーでもある。無力な自分自身を助けられずおどおどするばかり。彼女の家でワインを飲んでいると、彼女と子供の写真が冷蔵庫に飾ってある。言い換えれば自分と母の写真という映像的で物理的な思い出は冷蔵庫にあるのだ。ここで問題になるのは誰が自分と母の写真を撮ったのか?父に他ならず、カメラは男根の象徴でもある。息子が父の目線になって自己の過去を追体験しているのだ。母の象徴である女とセックスはしないですぐに帰って家にあった張り紙を再び見ていく。

 工場では事故で挟まりそうになり、お前ら全員グルなんだろとわめいてクビ。腕を無くしたアイアンサイドに会いに行くと殴られる。アイアンサイドは障害となったおかげで会社から大金を貰ってリッチな生活を送っている。組合が強いのだけどベイルはクビという皮肉が描かれている。彼としては労働法がどうたら、ドストエフスキーがどうたら、貧しくて大学に行けず学歴がなくても自己を守るための知識だったんだろうが、そんなのは金を生み出さないという現実をつきつけられる。腕を無くした男は去勢でもあるので、彼に対する願望と恐怖が混じっているように見える。工場での腕の切断、遊園地でのバラバラ人形、新人男の指の移植、これらは喪失した父性を乗り越えられない男の悲しさだと思う。。

 娼婦を助けようとするというドストエフスキー的な展開。「ヴィレッジ」でのホアキンのように彼女を下に見ているのがお互いにわかっている。そしてまたもや写真で大喧嘩。ここにもカメラという男根が彼らの恋愛に介入してくる。だから彼は女性的な場所に逃げようとする。色々とあって警察に追われて穴に逃げ込まないとならないのだ。娼婦にこのクソビッチめと怒鳴るとファッキングサイコと呼ばれてしまう。マザコンであるサイコという彼女の指摘は正しすぎる。ビッチは所詮ビッチだなと空港の女に会いに行くとそんな女性は最初からいない。彼の脳内で作った母親の代わりであって、女性を母性として見ている。この脚本がうまいのは母を助けたいという彼の歪んだ気持ちがあるんだ。

 ここまでくるともう一人の自分を殺すしかない。この新人男をナイフで殺して海に捨てていく。すべてがわかってくる。自分が一年前に幼い男の子を轢いて逃げた事。その罪の意識が自分の過去に向かって、自己が分裂していった。父の視点を自己の妄想で体験して乗り越えていく。母の形見を捨て、そして彼が向かうのは警察。ようやく彼は眠れるのだ。


 また憎いのが彼はひき逃げの後に車を運転しながら自分で事故っている。ここで死んでいて彼の成仏するための旅とも取れる。悲しいのは彼が孤独を抱えながらも生きてきた生活がいとも簡単に崩れていたこと。この脚本家とB・アンダーソンは再び組んでロメロ映画をリメイクするらしく必見だね。
 ★★★★

1953年の冷たい夏

2006-10-16 03:47:24 | 映画
 87年ソ連映画。ペレストロイカの時代に作られたらしくてかなり自由。ソ連版西部劇のよう。時代はスターリンが死んだ直後の田舎の寒村。この村は人口が20人くらいで若い男は出稼ぎでいないのか貧しい。そこにクズと呼ばれる男がいる。彼は一日中働かないで川を見つめて座っていたり、じっと横になってるだけ。労働が義務の国で一人サボタージュしている。村の爺さんは言う「怠け者より浮浪者の方がマシだな」。

 クズは第二次大戦で部隊長だったが、一人だけ生き残ったという理由だけでスパイと認定される。そしてスターリン体制によって政治犯にされてここで流刑にされている。スティーブ・マックイーンに似た男でやるときゃやるんだぜ系丸出しだが、働かないで落ちたタバコを拾って吸ったりとボヘミアンな生活だ。それを見る警官は決して働かない彼に誇りの高い男だと皮肉を言っている。ルンペンは刑務所いきの国だから。

 村にたった一人の高校生くらいの年頃の女がいるが彼女は都会に憧れている。モスクワにいた彼につきまとって都会について知りたい。知り合いの爺さんが何かとお菓子をくれる意味さえもわかってない純粋な子だ。村の穢れのような彼に近づいて母親に怒られてばかり。

 スターリンが死んで犯罪者が恩赦で釈放されていく。スターリン時代に理不尽に刑務所に入れられた人間もゴロツキも一緒くたになって解放されたのだ。そこで武装した悪党軍団がこの村を占領。こんな国でちょいワルをやってる連中は人間を殺す事も死ぬ事も恐れない。村人は一箇所に閉じ込められ、警官は簡単に殺されてしまう。政治反のクズともう一人を見つけたちょいワルたちは「お前らトロツキストだな。祖国を愛してない非国民め」とボコボコ。女の子は隠されるがばれてしまい逃げ惑う。ついにクズが立ち上がるのだ。


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 悪党どもは村人に言う「国家の犬どもめ。おれは好きなだけ奪えるのだ。国家が何をしてくれたんだ!」。ちょイワルは自称ブルジョアで彼らにおれも仲間に入れてくれという男も出る始末。ちょいワルたちに政治犯だからと、どちらかというとワル側のクズともう一人は閉じ込められない。ここで体制側の村人、反体制側の政治犯(勝手にそう烙印をされた)、アウトローの軍団の三つ巴。一人頭の鈍そうな男が女の子を見つけて襲い始める。それまで村人がどうなろうが知ったことじゃないという立場のクズは立ち上がる。何をされているかさえわからないような女の子を助けていく。彼女はどこにも属してない無知な立場なんだ。

 元部隊長だったクズはなぜか簡単に武器を奪い取り敵を倒す。もう一人の政治犯もスパイ容疑を勝手にかけられていたとわかってここで初めて彼らの名前がわかる。しかし彼は殺されてクズは助かる。生き残った公務員は早速おれは職務をこなしたんだと証言してくれと工作活動。どこにも属さずに別けられない女の子も簡単に銃殺され、人間が社会で生きていく意味が重みを持つ。

 悪党どもを全員殺したクズはまた一人川を見つめてボーっとしていく。フルシチョフによって時のスターリン側のベリヤは逮捕されてクズも釈放。もう一人の政治犯の家族に死を伝えに会いにいく。息子に父は無罪だったんだと告げて去っていく。赤旗ひしめく町を歩いている彼を見つめる男。これがおそらく公安で、ここで彼が本当にトロツキストだったのがわかる。同じような汚いルンペンみたいな男にタバコの火をもらって去っていく。

 
 ソ連映画がここまで面白いとは。西部劇だとガンマンはアウトローで済むがここはソ連。お前は階級が同じじゃないかなどという会話があったりする。去っていくガンマンには忍び寄る影があるのだ。
 ★★★1/2

ヴィレッジ

2006-10-12 02:46:16 | 映画
  監督はM・ナイト・シャマラン。この映画は簡単に言えばヴィレッジ・ピープルのヤングマンがちょっとゴーウェストしちゃったという話。シャマランといえば「シックス・センス」。死んでる人が見えるという不思議っ子の話だった。あの子は他の人には見えないものが見えてしまう。それは精神の通常と異常の境でもあって映画と現実との境のようでもある。どんでん返しで映画が映画らしくなるんだよね。この映画でもシャラマン風などんでん返しがあるかっていうと、おいおいそりゃないだろって言いたくなるどんでん返し。

 このヴィレッジは人口も数十人くらいの小さな町。食事は広場でみんなで共同で食べ、金銭は存在せずに全員が労働に従事する。このヴィレッジピープルはそのまんまトマス・モアの”ユートピア”のような村。ユートピアとは日本語に言い換えれば”存在しない場所”となる。村の若い衆でホアキン・フェニックスがいて彼は母子家庭の息子だ。母子家庭出身者らしく感情を表に出さず人生を楽しめない。他にも盲目の女や知恵遅れのエイドリアン・ブロディなどがいる。目の見えない女の姉がホアキンを好きで本人に言う前に父にその気持ちを伝えている。性的にも厳格に規制されているという事が描かれていてやはりユートピア。しかもそこに障害者が混じっているんだから、血の近さも匂わせていて表と裏の異様な臭いを漂わせている。そのすべてが伏線となっていく。

 森には化け物がいて、その得体の知れない化け物と村は契約をしている。彼らに動物のいけにえを与える事によって村を襲わせない。村の年長者たちは町は恐ろしい連中ばかりで行くところじゃないと教えている。ホアキンはそれでも森の先の村に行きたくて境界の先を知りたい。彼は言葉にできないしがらみから逃げたいんだ。どの家にも開けてはいけない箱がパンドラの箱のように置いてある。階段の下に置いてあったりして「シックス・センス」だと最重要箇所でもある。箱入り子供たちは箱から出ないとならない。箱に入ってるモノよりも箱から出る方が大事なのだ。


 以下ネタバレ


 ホアキンは自分を愛してくれる女の盲目妹を好きになる。この視点は残酷だと思う。父がいないで育ったという事で彼は自分の力を有限と自覚するのが狭い共同体では難しい。彼女を不憫だと思うと同時に支配できるというのが意識下にあるはず。だから彼の力を有限にする=父性としての男根が必要となる。母は自立の女であるエイリアン系シガニー・ウィーバーという配役のうまさ。二人が愛しあうようになって知恵遅れのブロディが嫉妬。世界を視覚で見れない女が、見えても言葉として伝えられない男に愛されていた。そして男根の象徴であるナイフでホアキンは刺されていく。

 こうして盲目女とその他二人の薬を求めての町への旅が始まっていくのだ。村を飛び出し化け物の住む森で一体何が起きるのかという話。


 スピルバーグの「宇宙戦争」は地中からエイリアンが飛び出してくる。あれは過去の映画の象徴のようでそれと戦ってるように見えた。そしてこの映画ではそのエイリアンのような存在がまるで登場人物自身のようだった。シャラマン自身が演じる姿はオブザーバーや観客なんだけど資本家のようでもある。やっぱりこの監督は要注目だね。ドロドロ劇の好きなおれとしては、それでも狭い村なら「ドッグヴィル」の方が好きかな。
 シャマラン鑑賞3本目。★★★

ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン

2006-10-09 03:44:19 | 映画
 70年。監督はブライアン・デ・パルマ。これはデニーロ出演の町のゴミ掃除する「タクシー・ドライバー」やお手製爆弾をあちこちで破裂させる「ミーン・ストリート」にも通じるものがあって必見。定職を持たない青年たちの歪んだ青春という負け組全開のニューシネマ。自分たちでポルノを製作して儲けるという当時の自称映画作家たちが描かれる。以前に見た「インサイド・ディープ・スロート」のような連中。

 扉もまともに閉まらないオンボロアパートを気に入って借りるデニーロ。彼はエロチック芸術とかいう小難しそうな場所に出入りしているが、ここはポルノ映画館だ。トイレに行ってはいけない、金持ちも貧乏人も一緒、隣に座ってくる人間は手がどこかに伸びてくるなど素敵なサムシングで一杯の場所。デニーロは決して自分が住めない高層マンションの写真を一生懸命撮っている。それは男根の象徴で大きなサイズの写真にして売り込んでいる。そんなもの誰が買うのかと怒られている。同じように青年が写真を売り込んでいる「スパイダーマン2」と比べると人間の出てこない歪み具合がわかる。彼は友達にビジネスってものを教えてやると言われて金も貸してもらう。そして望遠鏡とカメラを購入して向かいのビルからマンション観察に一人励むのだ。

 芸術家気取りの多いこの地区のヒルズマンションではヌードを描いてたり、スチュワーデスの格好をさせて飛行機の飛ぶ真似をするなど意味不明なプレイのカップル、ゲバラのポスターを貼っている革命家気取りなどわけのわからないのでいっぱい。そして彼は一人暮らしの女に目をつける。彼女を望遠鏡からじっと観察して研究する。いつの間にかその女と一緒にいる自分を夢想し始めるのだった。


 以下ネタバレ

 早速スーツに着替えてうまく女の部屋に転がり込む。丸め込んでクラシック映画を二人で鑑賞して彼女の心の悩みまで聞く。女の内面も利用して、同じ男に騙されたと信じ込ませる。何度か会って仲良くなった彼は秒単位で時間まで測ってセックス計画を練るんだ。なぜならば向かいのビルからカメラを時間で自働録画セットしてるから。つまりポルノを自家製で作ってビジネスとする。女には出演料を払わなくていいし、盗み撮りで客に受けるだろうという魂胆。クラシック映画や女の内面なんてどうでもいい、ポルノ映画と金がすべて。肝心のフィルムをカメラを購入してくれた友人と見ると途中からカメラは下がっており、下の階で自分の体を黒く塗ってるわけのわからない男の裸の映像が写っている。お前はホモかバカ野郎と怒られてしまう。

 自分に向いてないとわかったデニーロは町でカメラとテレビを交換。自称映画作家なんて止めてテレビの観客に。そこに「黒人になろう」という演劇集団の募集ポスター発見。興味半分か食うためかでオーディションに。べトナム帰還兵の警察官という役を自分で即興で練りだし採用されていく。

 この集団は反大企業で過激派になりきってる。町に出て店の主人を捕まえては、貧しい国から搾取して製造された製品を売って恥かしくないのかと責めている。黒人の気持ちがわかるのか貴様らと、あちこちで白人に対して罪を知れとケンカ腰。かなりドキュメンタリー調でここが面白い。一般人と話してると横では強盗が起きていたりと、社会の皮肉が描かれている。なんだかゴダールぽい。

 彼らは「黒人になろう」という劇を始める。内容が凄まじく暴動演劇と称する。見にくるのはもちろん全員が階級の高い白人。彼らの顔を黒く塗り黒人にさせる。黒人のソウルフードを食べさせ、黒人の体を触らせ、金とバッグは没収。劇団の黒人たちは顔を白く塗り白人と化して客を二ガーと呼ぶ。金がなくなったと客が騒ぐと下で射殺。パニックになるもこれも劇の一部さと言ってると上に来い二ガーどもと。そこの金髪の二ガービッチ脱げと命令され、今からファックを見せてやる。反抗する男は容赦なくぶん殴り。裸にした時にデニーロの演じる警察が突入。もちろん悪いのはすべて顔の黒い客だ。そしてビルから逮捕だと追い出して黒人の気持ちは終わり。ヤッピーヒルズ族どもは喜んで金は劇団のもの。

 劇団員は興奮してダウンタウンにいる新聞なんかを読んでる連中を襲いに。貴様ら黒人の気持ちを知れと襲っていくのだ。終いにはヒルズマンションに勝ち組死ねと銃で武装して襲い掛かるも射殺されていく。一方でデニーロは都市ゲリラの本を読んで勉強している。ゲリラは普通の生活をして周囲から浮いてはならない。そして破壊活動を行うのだとニヤリして銃をラジオにぶっ放す。

 優秀な保険外交員になりきり、ポルノを作ろうとしてた女と暮らす。自働皿洗い機が欲しいわと裸にエプロン姿の女に男はスーツで、あの契約が取れたら買ってやるよワッハッハと成りきり勝ち組ライフ。どうやら彼女は妊娠してる。デニーロは出かけてコインランドリーにスーツなど投げ捨てて爆弾を仕掛けて爆破。ざまあみろと逃げていく。

 マスコミが来て報道インタビュー。ビルが減って犬の散歩にちょうどいいよなど素敵な付近の住民たち。精神科医が出てきて偉そうに述べている。そこにベトナム帰還兵の姿でデニーロ登場。インタビュー受けながら精神科医にお前は戦争に行ったのか?手足や頭やあそこがバラバラになっていく人間を見たのか?など怒り始める。そして彼はテレビカメラに向かって言う「やあ、ママ」。笑顔のデニーロと共に明るく終わり。この時の映像はテレビのブラウン管の枠になってて、視線はビルから眺めている。

 
 今まで見た中で最も若いデニーロだと思う。病んだ社会が人種、戦争、階級など当時の60年代の抗争の火種が見事に描かれている。彼の役柄が後の映画に繋がってると思う。この頃の映画は屈折していて素晴らしい。主義主張もこれといってなく、社会に馴染もうとしない男が簡単に反社会的になっていく滑稽さ。
 デ・パルマ鑑賞7本目。★★★★