神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.145 『測量』の「書評」のこと 

2024-04-19 17:18:57 | 勝記日記
(1)もう一昨日になりますが、日本測量協会の機関誌『測量 The journal of survey 地理空間情報の科学と技術測量』(2024年4月号)が送られてきました。(以下では副題を略して『測量』とします。)

   

(2)『測量』が送られてきたのは、88ページ以下の書評欄「Survey Library」に『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎をきずくー』の書評を山岡光治氏が書いてくださったからです。 
 山岡氏は、長く国土地理院の技官として勤務され、退職後はゼンリンに勤務され、さらに、地図の楽しみ方を知ってもらいたいと、『地図を作った男たち ー明治の地図の物語』(原書房)、『地図に訊け』(ちくま新書)、『地図を楽しもう』(岩波ジュニア新書)などの著書が多数ある人です。著書はわかりやすく、すでに測量関係では知られた人です。
 その山岡氏が、『神足日記』について注目してくださったのは次のところでした。

(3)まず、私は『神足日記』の編纂にあたって、「解題を導入部として日記本体を直に読む努力をしてもらう」ことがこの日記を最も生かすことになると思って編纂しました。ですから、できるだけ私見は述べないようにし、理解に役立つ資料や説明を付けました。そのことを山岡氏は次のように書いてくれています。
 「本書は、・・・御料局の測量事業に関わる部分を主に報告するものである。神足勝記と御料局の業務をたどるには、704ページ、約80万字に及ぶ本書を一々読み解くことになる・・・」
 そうです。あれほど面白い日記もそうはありません。それを私が読み砕いてしまっては、エキスを伝えられたとしても、いちばんよいところを奪ってしまうと考えたわけです。「大変でも、読破してほしい」、この一念です。
 そのために編纂にあたっていくらかの工夫をしましたが、それについて、次のように書いてくれています。
 「そこには、公務出張のようす、日々の公私の出来事、広範な人との出会いなども淡々と記述する日記に沿うばかりでなく、関連文献や史料を基にした追記編集が適宜・適切になされて理解を容易にする配慮がある。」

(4)「配慮」が「適宜・適切」であったかは、今後も検討していくつもりですが、読者には読む努力求め、その努力をする人が一人でも二人でも出て来ることが、この分野の研究を先に進めることになる、その確信が自分にはあります。山に登り切った人だけが見られる世界です。
 山岡氏はそれについても書いてくれました。
 「・・・著者が解題でも述べるように、「これまでは外から観察していた御料局とその事業を、内側から生き生きとした動きとして見られるようになり、現場の目線で考えることができる」研究者には必須の一冊となっている。」
 そうです。情報公開法によって研究者は研究姿勢を改めなくてはならなくなりました。これまでは、資料の制約から、どうしても手に入り易い高官や著名人の書き残したものから断片的に推測する方法しか取れませんでした。しかし、いまは違います。明治天皇の手許書類まで閲覧請求をすることができます。研究者は、高所からでなく、現場の目線でとらえ直す必要に迫られる時代に入りました。そして、そこで自分の居場所を見失わない学問的方法論が要求される時代になっているのです。一級資料を見て二級三級のレベルにならない努力が求められています。前より格段に大変な時代になっているのです。  

   

(5)ところで、いただいた『測量』4月号は「令和6年能登半島地震」の特集号になっていました。さっそく巻頭の2論文を拝読、興味深く読みました。
 ひとつは、私の専門の財政学から見た公共事業費の在り方の件です。
 従来のゼネコン型の大規模公共事業ではない、災害多発国日本の国土保全としての公共事業をどう形成すべきか、このことをもっと考えるべきと思いました。
 もう一つは、この国の研究体制です。
 よく、対米従属・大企業優先といわれますが、また軍事ばかり突出した予算編成がなされていますが、主権者である国民福祉と科学研究にもっと力を入れ、それに裏付けられた環境整備や国土計画が必要となっていますから、それに早く気付くべき時だということです。
 これまでの災害に続いて今度の地震もその警告になっている、これは明らかです。

 おっと、またまた脱線。長くなりました。

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.144 これを好機に

2024-04-19 04:02:20 | 近況
(1)例の化石発見以降、ふだんやりつけない探索と収集に4日も連続で通っているうちに、ついに生活が朝方に変わりました。生活習慣を変えることはなかなかできないことなので、これを好機に生活を変えてようかと思ってます。今日はこれが結論です。

   
    新緑:葉が照り輝く夏が好きです

(2)家から多摩川までは、自転車で花見をしながら行っても20分程度です。行きは下り、帰りは多少の登り坂になるとはいえ、たいしたことはありません。電動自転車でなくとも、まったく気になりません。
 それよりも、笹をかき分け、草を削り、土を少しずつ削っていくという発掘作業は、ふだんボールペン・万年筆を握るとか、せいぜいキーボードをたたく程度の「重労働」しかしていないものにとって、思いのほかキツイ労働です。ハンマーとスコップを交互に持ちかえて作業を続け、汗をかいてそれが眼鏡に落ちて見えなくなるなどということは、まずないことです。おかげで、左右の手は握ると少し腫れぼったい感じがしますし、右手の親指の付け根は、疲労のために骨折したのではないかと思うほど痛みます。

   
    かわいい かわいい

(3)でも、この作業、きついというのは終わってみてのことです。やっているときは、実は楽しく、無心になってやってました。実際どこに何が埋まっているかわからないわけですから当然です。
 前にも書きましたが、小学5年の時には、石器・埴輪・石器探しで朝から晩まで飛び回っていました。
 石器は南の山の上の一帯、埴輪はチョット奥の一帯、化石は三名湖という貯水池の東のはげ山、というようにどこにでも「遊び場」がありました。
 見つけた石器や埴輪などは、たいしたものはなかったですが、だいぶ前に藤岡市の郷土資料館に寄贈して、いまはもう手許にありません。化石は、たいがい小さな巻貝や木の葉ばかりでしたからほとんど持ち帰ることはしませんでしたが、手のひら大の虫か貝の化石が見つかって、それは地元の美九里西小学校へ寄贈しました。
 そういうことを経験しましたから、しかも今度は7~8㎏もある大きなものが見つかったのですから、久しぶりに童心にかえり夢中になりました。

   
     朴:夕闇近く
(4)ところが、ついつい夢中になってふだんやりつけないことをやったために疲労困憊してしまい、夕食後はいくらもしないで眠りこんでしまうようになりました。おまけにそれが4日も連続しましたから、ついに早寝早起きの生活に変わってしまいました。まあ、健康生活に戻ったわけです。
 ちなみに、自分が早起きをしだしてわかったことがあります。それは、それまでうちのカミさんはずいぶん早起きだと思っていましたが、実はそれは誤りで、じつに朝寝坊をしている、ということです。夫唱婦随ですかなあ。じつに良妻。
 これまで長らく、帰宅して夕食を済ませ、ニュースを見て、それからが自分の時間、そして、なにかを調べたりまとめる作業をしていると、手が離れないために夜遅くまで起きているということになりがちでした。そしてそれはそれで結構楽しいものでした。
 これまでは、山へ行くとか、調査に出る時だけムリして朝型になるということでしたが、しかし、この際、年のこともあるし、早起きすると山などへ出るにも都合がよいので、しばらくはこの生活を続けようかと思っているところです。
 さてまあ、何時まで続くかはわかりませんが・・・。
 
   
    朴蕾:仰いで
 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.143  お詫びかたがた

2024-04-18 03:51:13 | 多謝
(1)昨日は「羊頭狗肉」みたいなことになってしまい、申し訳ありませんでした。
 書き始めるといろいろなことが浮かんできて、それをどんどん書いていくと、あれもこれもとなって、かつ量が多くなり、結局どこかを削る〔割愛する〕しかなくなります。別にそれで問題ないわけですが、ところが、とりあえずのつもりで書いておいたタイトル〔標題〕の訂正を忘れてしまった、これが昨日の顛末です。だいぶ前に番号だけの時がありましたが、あれも同類です。

    

(2)ところで、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIG)の刊行から4ヶ月が経過しました。
 この間、日本林業調査会や関係者のご尽力のおかげでだいぶ知られてきたようですが、そしてそれが図書館の蔵書検索で判明するようになってきました。ウレシイかぎりです。

 たびたび書いてきましたが、このブログは『神足日記』の刊行を知っていただきたいということのために始めたものです。
 ブログとしては、いまだに、UUとかPVにどんな意味があるのかも、カテゴリーとかハッシュタグの機能などもほとんど理解していませんで、ただ、書き残したいこと、思いついたことを書き綴っているだけです。それでも、内容の重複を避けるチェック〔点検〕や、内容の補助や目の保養で入れた写真の重複を避ける工夫をやりながら、少しずつ書いてきましたが、これを自分用に打ち出したものがすでにファイル〔簿冊〕3冊になりました。毎日のことなので、推敲も十分ではないし、写真との連結も理想通りにはいきませんが、まだいくらでも書けるでしょう。というよりも、ものぐさなので迫られないと考えない・・・。まあ、ハジカキになりそうですが・・・。

   

(3)先日、『神足日記』を読破したと来た人がありました。
 その人としばし、神足の人なりとか、事業や足跡、御料地の意味について話しましたが、最後に質問されました。
 「あれは、全部を自分で入力したのですか」
 と。それで、
 「冒頭の「刊行に寄せて」と「奥付け」のほかは全部自分で入力したものです」
 と答えましたが、これは本当です。
 私は、もともと、日記全文、回顧録、そのほか関係文書類、どれも読み飛ばしということなく記録しています。記録がないのは、読む必要がないと判断したものか、まだこれから読む予定のものということです。下読みは別として、正確に読み取りするとなれば、そうしないとわからなくなってしまい、あとから使いものにならないからです。

   

(4)「解題」のどこかにも書きましたが、読んでいてわからないものは、いちいち全部を検索しました。いまは、むかしと違って非常に研究に便利になってきています。「むかし」という意味は、「ここ20年くらい」のことといってよいと思いますが、パソコンが普及して検索機能が向上する前は、図書館でカード検索していました。このカード化されていることとか、索引が作成などされていること自体が大変便利なものですが、パソコンはその比ではありません。
 ともかく、わからないと感じたことはすべて検索しました。ですから、そこそこに知っていることで検索漏れということはありえますが、それはともかく、同時に、収集した文書は可能なかぎり盛り込みました。

     

(5)おそらく、この本を使えば、作家なら小説でも戯曲でも歴史に残る大作が書けるでしょう〔能力ある作家ならば、です〕。これは、全部を読み入力したものとして請け合います。必要なら、概要を説明もしましょう。
 それから、研究者なら、とくに修士課程とか博士課程のように、やたらと期限を迫られている人なら、それはそれとしてなおさら、1年かけてじっくりこれをお読みなさい。読んで、自分で調べたことと併せてテーマ〔課題〕を検討したなら、いくらでも論文が書けるはずです。できないなら、研究者をやめるか、ほかの分野へ移りなさい。
 なら、自分でやればよいではないか、ということにもなりそうですが、自分には、作家の希望もないし、もっと先へ行きたいという願望の方が強く、ここにとどまっているわけにはいきません。ここが自分の「損な性分」と思いますが、「自分でわかったと思ってしまうと、もうそこにはとどまれない」で、先を急ぎたくなってしまうのです。嗚呼。

   

(6)この先は、ひとえに資金力に掛っていて発表できるかどうかわかりませんが、すでに、情報公開法制定以前にいちど作成した統計書も作り終え、年内には『神足日記』に続く調査が完成し、来年には調査結果の入力もできるでしょう。そうしたら、あと20年かけてそれを文章にまとめ上げたい。「まとめ上げたい」とは、「墓標を建てる」ということです。もはや時間勝負に入りました。
 オット、やっぱりカネ次第です。資本主義ですからねえ・・・。
 〽ケ・セラ~・セラ~

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.142  これも思い出すこと

2024-04-17 03:48:58 | 先生
      朴:中空に

(1) 昨日の「か行変格活用(か変)」、なんだっけという人もあったことでしょう。
 自慢話になりますが、いまでも活用語の変化などはよく覚えています。
 たとえば、助動詞の種類は「き・けり・ぬ・つ・たり・けむ・たし・・・」、そして「き」の変化は「(せ)・〇・き・し・しか・○」などでした。
 これについては、誰でもそれなりに苦労して覚えるわけです。皆さんの中には、もう思い出すのイヤという人もあることでしょう。もちろん、私も苦労しました。でも、私の場合は、その最初はカルチャー・ショックみたいなことでした。

(2)というのは、富岡中学へ転校して最初の時間がいきなり英語のテストでしたが、国語の最初の時間が文法だったからです。
 転校生して最初は一人一人が新しい先生ですから、どんな先生かと待っていると、50代くらいの、眼鏡をかけて少し禿げ上がった学者風の先生でした。その先生がギッと睨んでから開口一番に言ったのが、
 「付属語で活用があるのは何ですか」
 でした。
 私はチンプンカンプン。キョトンとしてまわりの人を見ました。しかし、だれも手を上げるようすがありませんでした。それを見て先生が、
 「助動詞ですね」
 といって、授業に入りました。
 この件は、自分にとっても懐かしい思い出です。
 ついでに、ほかの例を紹介しましょう。


     来客あり

(3)高校の時に、これも国語の時間のことですが、突然、先生が
 「漢語で、水を形容したものにはどういうものがありますか」
 と問いかけました。
 「さらさら」とか、「ちょろちょろ」とか、こういうふだん使っている「和語」はすぐに思い浮かびますが、「漢語」となるとなかなかないものです。
 そこで私が「滔々」を上げると、一同感嘆の声をあげました。
 でも、この感嘆は、私がスゴイからではなく、当時はほとんど誰でも知っていたことなのに、気付く人がなかったからです。
 当時、「イムジン河」という歌がすでに流行っていてその中で
 「イムジン川水清く 滔々とながる・・・」
 と歌われて、たいがい知っていたはずだからです。
 この歌は、1957年に当時の北朝鮮で発表されましたが、それを1968年に日本のザ・フォーク・クルセダーズが歌ってヒットしたものです。
 なお、今日、検索してみたところ、ずいぶん詳しい経過も書かれていることがわかりましたから、興味がある人は検索してみてください。なつかしいですが、ここでは略します。
 しかし、私が感動したのは、先生が「うーん」と言ってちょっと考えてから「滔々」を黒板に書いて「こうでしたね」と言ったところです。この先生は「高橋?悦治」、通称「えっちゃん」と呼ばれていたかと思いますが、力のある先生で、伊東静雄門下とのことでした。

(4)もう一つ、これは高校の英語の時間のことです。どういう脈絡かは覚えていませんが、河野先生といったか?、先生が「偏見」は英語でなんと言いますか、聞きました。
 これは、すぐにわかりましたから、「prejudice」と即答しました。
 多分、映画にもなった、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見(pride and prejudice)』を読んでいるかと試されたのかもしれません。

   
    朴:葉もよし 

(5)最後に、悲しい思い出です。
 美術の先生、もう名前を忘れてしまいましたが、停年間近の高齢の先生でいつも校庭のバラの絵を描いていて、通称「とおるちゃん」と呼ばれていました。
 ちなみに、とおるちゃんの後任?となって赴任されたのが、富岡中学校でお世話になった井田淳一先生でした。先生は身長が190㎝先生はあろうかという長身で「韋駄天」と呼ばれてました。175㎝の私から見ても見上げるほどの先生が、群馬あたりの古民家をめぐって絵に残す活動をされて知られた人だということを、大学院生になって群馬県立文書館に閲覧に行ったときに展示会のポスタ―を見て知りました。
 話があらぬ方へ行きましたが、先生から見てどうも私は指しやすいようで、突然、「オオサワ、after allってどういう意味だ」と。
 これに即答できず、「結局」に冷や汗をかきました。
 では。
   
    夕照:中神駅
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

No.141 発音が変 

2024-04-16 03:34:46 | 言葉

 

 このごろは、日本語の発音が変です。
(1)まず、アナウンサーの発音がときどき変です。これは、NHKでも民放でもそうです。
 たとえば、まず「前線」についてです。
 1.「前線」のように、単独で用いる場合。
 2.「前線が近づく」のように、文の一部として用いる場合。
 3.「梅雨前線」のように、ほかの語と結合して用いる場合。
 4.「梅雨前線が近づく」のように、文の一部として用いる場合。
 この4つは、1・2と3・4では発音が違いますね。知り合いに、これを中国語の四声の影響だという人がいますが、それはともかく、3・4のように「梅雨」と「前線」結合することによって後ろに着いた「前線」の語調が変わります。こういうことはあるのですが、では、これを「全線」と比べてみてください。
 4.「全線」のように、単独で用いる場合。
 5.「全線で運転中止」のように、文の一部として用いる場合。
 6,「全線が近づく」と4.に似せて言った場合。
 この4~6は同じですが、どれも1~4とは同じにはなりません。
 ところが、あるアナウンサーは「全線」を「前線」と発音していました。
 つまり、「前線で運転中止」と言っていたことになります。これだと、戦場かどこかでの話しになりそうです。

 
  昭和記念公園

 以下では、例を挙げるだけとし、細かい説明は略します。
(2)NHK語学講座の例:
 1.「探す」を、「性〔さが〕す」とか、「騒がす」みたいな発音をしてました。
 これは、いちどだけうっかりそう発音したというのでなく、すべての場合でです。以下でも、揚げ足取りをするわけではありません。
 
 2.講師の質問に対して、答えを作るための参考文のことを指して、ときどき「かいとうする文」と発音。しかし、これが「解答する文」なのか「該当する文」なのかわかりませんでした。
 ハングル講師は、日本語を上手に話す人でも、語頭の濁音は治りきらないようです。

 3.「よんで」の意味 
「本を読んで」のように「~を読んで」を「呼んで」と発音していました。

 4.このほかは略。なお、いまの語学講座は、有効な番組と思いますが、旅行志願者向けの番組と化しているので、文法事項などを親切に説明しているようでいて、深みがないように思います。ともかく、日本語の発音で問題アリと思います。

   

(3)電車の自動音声による駅名アナウンスはムチャクチャ。これは論外。
 ついでに、ネイティブを使ったアナウンスも、勇ましいばかりでウルサイのがあります。
 それから、最近は車掌がそそくさと英語で説明します。しかし、練習もしていないと思ってしまうほどへたくそで、いやだけどやっているのが見え見え。やるからには、初等英語はやっているはずですから、きちっとすべきと思います。
 とはいえ、昔の電車と違ってドアの上に表示されますから、「余計なアナウンスは騒音」と思いますがどうでしょうか。

   

(4)ところで、うちのカミさんはバイリンガルです。スゴイでしょう。
 え!何語がわかるかって?
 東京弁と上州弁です。
 50年前、お披露目として群馬の親族と会食しました。その折に、叔父が気を使ってカミさんにあれこれと話しかけてくれました。
 ところが、カミさん、正調の上州弁を話す叔父が何かを聞くごとに「わからない」とこちらを向きます。それで、当時は私が通訳したわけです。
 まあ、あとからカミさんにが言うには、私と叔父が話しているのを聞いていたら、ケンカしているのではないかと思ったというのですから、相当のカルチャーショックだったようです。
 ちなみに、カミさん、いまでも正確には聞き取るのが難しいようです。というのは、ときどき、私が言うことを正確にやれてない時があります。

   

(5)「日本は単一民族」なんてバカなことを平気でいう人が今でもいるようですけど、言葉だってかなり複雑ですよ。ちょっと一例をあげましょう。
 「来ない」はどう読みますか?
 「来る」は、文法の時間にカ行変格活用(カ変:「こ・き・く・くる・くれ・こよ」)と勉強しました。これによれば「こない」となります。
 ところが、正調の上州弁では「きない」と読みます。
 高校の時の文法の時間のことです。前の方の席の人が先生にそっと、
「ない」は未然形に付くはず。でも、群馬では「きない」というのに、文法表の未然形に「き」はない・・・。
 すると、先生曰く
 上州弁は文法的に間違っている・・・。

では、ここで。
 

 


  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする