神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.154 棚の本 1 

2024-04-28 21:23:32 | 追憶

        舞い降りて

(1)ブログを書き始めて良かったところは、棚の本・資料・写真を漁るようになったために、棚のものが動き、棚も棚のものも生き返ってきたことかもしれません。
 棚を見ていると、雑学で耳学問を怠らなかったため、調べるといろいろなものが出てきます。それには折々の思い出がついてますから、記憶もよみがえり、活性化します。そのついでに、ブログに「記憶の棚卸し」をしておけば、カンバコへ入れるものが圧縮され、「こりゃあ、身軽でいいわい」となります。
 しかし、あらかじめお断りしておきますと、取り上げるものについて何か論評をするわけではありません。「棚にあったよ」という程度のものです。

(2)今日は、中山義秀です。
 中山義秀〔なかやまぎしゅう〕は、「厚物咲〔あつものざき〕」で昭和13〔1928〕年に芥川賞を取った作家です。その作品は中学校の国語の教材として教科書にも出て来ますから、学校で勉強したのでよく知っているという人も多いことでしょう。
 武家物の描写では定評があり、私も、いっとき、古本屋の店先に転がっていると買ってきては読んだことがありましたが、手元に残っているのは、比較的きれいな次の3冊だけです。
 【1】主要作品集
   
  新潮日本文学34『中山義秀集』、新潮社、昭和56〔1981〕年
 
 ここには、上記の「厚物咲」のほか、「テニヤンの落日」などの11作が入っています。
 
【2】自己の半世紀
   
   『台上の月』、新潮社、昭和38〔1963〕年、

 内容については、上の帯の宣伝文を読んでもらうのがよいでしょう。

 【3】評伝
   
     清原康正『中山義秀の生涯』、新人物往来社、1993年

(3)30代の後半ころ、知り合った男が気のいい呑兵衛とわかり、ほぼ毎週落ち合って、西武線線や中央線の沿線で、例外なく終電まで飲んでいました。
 だいぶ親しくなってからのことです。
 彼は国語の先生でしたが、国語の教科書を取り出して指し示しながら、
 「中山義秀って知ってる」
 と聞いてきました。たぶん、私が芥川竜之介のことをいくらか知ったふうに話してたからなのかもしれません。ともかく、
 「読むのは苦手だからね」
 とか言いながら受け取っていくらか読んでみましたが、まったく知りませんでした。それで、
 「教科書でも出てきたことがなかったね」
 と答えながら、末尾の略歴も見ると芥川賞受賞のことなどがありました。見ていると、
 「ジイさんだよ」
 と言いながら、徳利を向けて注いでくれました。

(4)それ以来、古本屋で義秀の作品を見ると買ってきて読み、そのこともあり、お父さんの哲也さん、お母さんのトシさんと一緒に草津温泉へ泊りがけの旅行をしたこともありました。
 彼とは、60代になるころまで変わることなく毎週落ち合って飲んでいましたが、お父さんとお母さんの老後の希望もあり、一家で南房総の方へ転居をしたため、縁遠くなってしまいました。

    
 

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