(1)きょうの西の空です。
1.4時頃:
2.6時頃:
きょう、この辺はおおむね曇りで、さほど暑いということはありませんでしたが、夕方から雲が動きました。
(2)昔、国広正雄さん担当のNHKテレビ英語講座の中のあるスキットで、
”Routine is the same.”〔日常の仕事は同じ/毎日やることは変わらない〕
と聞こえたセリフがあって、よく思い出します。
いま、私の日常はまさにこれです。
(3)中学生の何年の時だったか、担任の先生が通知表に「評価は、まわりの人との相対評価で決まるから・・・」というようなことを書いてくれたことがあります。
自分なりには一所懸命やっているつもりが、淡々とやっているように見えたのでしょう。
しかし、私は、試験は、満点を目指すというよりも、80点より下でなければいいと思ってました。悪くても、75点以上なら「仕方ない」と思うくらいで、気にすることはなかったと思います。
これは、80点でもまだ残りの20点分は勉強する余地があるわけですが、だれでもやりたいことはありますし、あれもこれも満点みたいなのは、かえって使えないものです。実際、そういう「秀才」が多いでしょう?
(4)これは、父親の影響があるかもしれません。
というのは、父と話しているとき、父が、「満点取らなくてもいい」、「どんな簡単な試験でも間違いをすることはあるから、80点より上ならいい」、といっていたのをよく覚えているからです。
実際、それで、父に「それじゃあ、80点以上取ったら、その点数分だけお金くれる?」と訊いたら、OKとなり、小テストも含めてなんでも、81点なら1円、90点なら10円、100点なら20円という計算で加算して小遣いをもらいました。
(5)脱線しますが、父から聴いたことで、今でも新しいノートを作う時に思い出すことがあります。
父が、ノートを使い終わったから新しいのを買うお金をくれるように言うと、祖父はノートを見せろといい、白いところがあると、すぐにはお金をくれなかったそうです。
そういう不都合な思い出があるためか、父は「ノートはぜいたくに使え」と言いました。
時代のせいもあるでしょうけど、父は、自分が嫌だと思ったことを、私にはさせまいとしていました。自由にさせてくれました。しかし、その父が私に真っ向から怒ったことが2度あります。
(6)一度は、小学校5年頃のことです。
私が、少し彫刻に興味を持って、お面を作りました。
板を削っただけという程度の単純なものでしたが、それに絵の具で色を付けて、さらにニスを縫ると光沢が出て、サイケデリックな感じのものでした。自分なりに納得したので、みんなに見せて、帰りにそれを被って家に入ると、その日に限って父が早く帰ってきていました。
それを見るや否や、カンカンに怒ってその場で、鉈で粉々に割ってしまいました。
(7)もう一回は、中学2年の時のことです。
中間試験が終わって、のんびりとテレビを見ているところへ父が帰ってきました。
早く帰ってきたのは、パチンコで負けたからに違いありませんが、入ってくるなり
「なにしてるんだ」
と不機嫌そうに聴きました。それで、
「試験が終わったから休んでいるんだ」
と答えると、
「試験が終わった時こそ、やる所がよくわかるはずだだから、それをやれ」
と殴り掛かってきました。
私はとっさにそれを避けて逃れ出て、その日は、人目がつかないようにあちこちと移動して夜明かしをしました。
(8)あれまあ、何を話してましたか?
そうです。 ”Routine is the same.”でした。
私の毎日はいまこれです。
でもね、これって大事なんですよ。
たとえば、一滴一滴でもやがて穴をあけるでしょ?
つまり、質的変化が伴って新しい事態が生まれるのです。
(9)捨てるほどの身はありませんが、やらなければならないことをいくつも抱えています。
このブログ、出来はともかく、きょうはまだ「No.200」です。
行雲流水、〽・・・のみもとに近寄らん
ごはんですよ~:秋川べり
この先もこの調子。では・・・
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