神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.126 春の難事

2024-04-01 01:36:36 | 近況
 
         よしやるぞー!

 きょうはもうシャツ1枚で過ごせるくらいの暑さで、一気に夏でした。
 上の写真、じつに熱い。沸き立ってきます。
 私は、ビンボー人ですから、寒い冬よりも暑い夏の方が好きです。とはいえ、季節の変わり目、これが毎年悩みです。
 花粉や黄砂は工夫次第でなんとかなりますが、この時期の睡気は、毎年のこととはいえ,本当につらい・・・。寝不足だから眠いのでなく、十分寝てても眠い。
 きょうは夕方まで、パソコンの前でひれ伏していました。

  
   釈迦堂遺跡博物館

 それでも、(山へ行くときは、時間調整して朝早く起きるようにしますが)、日ごろ夜型の生活をしていて慣れているからか、夕方からはシャッキリして、おまけに見たいテレビ番組もないので、中岡哲郎『日本近代技術の形成』(朝日選書 2006年11月)の第4章「過渡期の在来産業」を読みました。
 といっても、4章は78~173ページまでの約100ページあるうちの、10ページほどです。だいぶ前に一度読んでいますが、それでも、かなり細密な研究で、通常の『選書』のイメージでありません。文体が「です・ます調」で読みやすく、写真や図解が多いので取り付きやすい印象ですが、しかし、内容はかなり専門的です。これを読みこなせる人は、よほどの専門的な関心を持つ人(学生は一人では根気が続かないでしょう。院生は?)でしょう。
 そう感じたので「はじめに」を読み返したところ、
「第1章から第3章までは・・・メキシコの学生に向かって・・・語る形で書かれている」(4ページ)が、読者は
「そこで適された問題を念頭に、第4章以下に書かれた二つの流れのダイナミックな相互作用と発展をたどっていただくことをお願いしたい」、
「従来なじまれてきたのとは異なる「日本近代技術」像が現われてくることを約束する」
とありました。そうすると、もうこれは「通史」ではなく、最先端の学術研究書を読むイメージです。
 
 誤解されては困るのであえて書きますが、私はこの本の内容のことを言っているのではありません。
 とかくハード・カバーにして立派そうに見せて売る本が多い中で、ペーパー・バックの『選書』ではもったいないと思うのです。手にする方は『選書』として見ます。もっとも、そういうことを言ったら、あの『資本論』だって文庫化も新書化もしているわけですから、きりない・・・。
 買う側が、選ぶ前にいくらか拾い読みしてみればわかることですが、むかしはどこにでもあった普通の道具などのことですけど、でもいまは難しい。そう思います。
 私などの子供の頃には、在来の農機具や機織り機はまだ現役で使われていましたから、一見なんでもないことですが、それでもそれを技術史として克明に説明されると、なかなか取り付きにくい。それを知らない世代に克明に説明したら、それはもうかなり難事。(実際、今日読んだところでない、もっとうしろの方で、機械の説明などがありますが、本当に厄介です)。そうすると、『選書』とはなにかとなりかねない・・・。
 私も、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の刊行では、そういうことに直面しました。
 本を書くことよりも、それを理想的な形で残す〔売り物にする〕ことに苦労する。この著者もそうだったのではないか。いったいどのくらい読まれた『選書』なのだろうか。専門書は、読み捨てや読み飛ばしでなく、じっくり読むことを優先して、判の大きさなども工夫して出せることが必要ではないか。
 一番の理由は資金問題だろうと思われますが、どうも補助金の出し方なども、こういうところに配慮・目配りが足りないのではないかと思います。そういうことを思ってしまいました。春先の難事、簡単にはいかないことに首を突っ込んだかもしれません。

  

  きょうはここまでにします。


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