神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.100 佐渡

2024-03-05 17:39:45 | 御料地

 これまでに何度も書いてきましたが、このブログは『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)の刊行を多くの皆様に知っていただけるように始めたものです。

 書き始める前は、「毎日は書けないけど週に2~3回なら」と思っていましたが、始めたところ、予想外にあれもこれもとテーマが浮かんできて、時間の経過を忘れて執筆材料探しに没頭することが多くなりました。そのため、棚の整理はできましたが、本来やってきたことが停滞気味になってしまいました。

 私の性分として、自分が知りたいことがわかってしまえば、「誰かに話したい」という気がないわけではないですが、むしろ「もっと先へ行きたい」という気持ちの方が強く働くようです。
 これは、論文にまとめるのが面倒なんだろうと思われるかもしれませんが、そうでもないようです。現に本5冊分くらいの統計や論文の原稿が棚積みになっていますから。
 そこで、50回目が近づいたとき、ブログをやめないにしても、毎日書くのは一区切りとして、日を置いてまとまりを付けてから投稿することを考えてみましたが、書棚を見ているうちに「いくらかずつでも書いていかないとやり残しができる」と思うようになり、動き出して、結局毎日書いて今日に至ったというわけです。毎日を締め切りとしておく方が書ける、ということかもしれません。
 
 『神足勝記日記』や神足勝記を知っていただきたいという趣旨は変わりませんが、それに便乗していましばらくは書き続けるつもりです。お時間のある方は、随時開けてみてください。 


 朴:天に

 さて、きょうは佐渡へ行きたいという思いを書いておくことにします。佐渡へ行きたいという理由はとりあえず今は4つです。

(1)佐渡御料地:
 第1は佐渡にあった旧御料地を見たい、そこが山地なら上りたい、ということです。
 次の佐渡の地図をご覧ください。
 これは『例規録1 明治31年』(宮内公文書館蔵)にある地図の模写です。
 元の図面も測量図面でなくおよその位置図ですが、その模写とはいえ、これで状態がわかります。
 緑色の所が御料地です。色が付けられない黒点の箇所まで入れると大小200に及びます。
 大きな団地は北側に集中していますが、御料地は全島に散在しています。なお、この北部の大きいところは演習林にもなっているようです。
        
 佐渡御料地は、最初は佐渡の鉱山備林として設定されますが、明治29年の三菱への鉱山払い下げの後はもっぱら御料地として経営されます。
 この鉱山払い下げにつてはいくらか研究したものがありますが、のちの御料地経営を包括した研究はまだないので、その準備のためにも廻って見たいと思っているわけです。
 また、佐渡出身の御料局職員の出身地がいくらか確認できましたから、その確認もあります。

(2)金山:
 上にも書きましたが、佐渡はやはり金山が注目されます。
 この佐渡鉱山の払い下げについて、当局が出している文書では「鉱業は設備に経費を要し、往々:収支相償はざりしを以て明治29年之を売却したり」(『帝室林野局経済概要』宮内公文書館蔵、表1の注)と片付けていますが、問題はその実証と分析なので、そのためにも現場を見立ておきたいのです。

(3)北一輝:
 北一輝については、皇室財産問題との関係では、『国家改造法案大綱』に見られる「財産奉還論」が注目されます。
 一定の金額や土地などのほかの財産を天皇に奉還するという考え方は、いまも時々そういう発言をする人がありますが、それを置いても、ドイツの社会民主党などの財政社会主義者の「土地国有化論」に類する所があり、平和国家のはずの日本の首相が、戦闘機の共同開発を国益と表明するとか、武器輸出も可能とする事態になってきていて、また戦争ほかの危機克服の時期の考え方として十分に起こりうる考え方として注目されます。
 ちょっと、取り越し苦労な感もありますが、歴史は繰り返す・・・です。

(4)最後に:
 1966年夏の「直江津のフェリー乗り場での思い」を実現したい。これは気負いではありません。私はまだ「セイシュン」真っ盛りです。
 オット、長くなりました。


 じゅくし・・・たい。





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