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フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ロラン・バルト『明るい部屋』(3)

2015年12月09日 | 外国語学習

[注釈]
*son partage : partager には「共有する」という意味とともに、「分割する」という語義もあります。これが形容詞化すると、Les avis sont partagés sur ce point. 「この点に関しては意見が分かれている」という意味になります。ですから、ここのpartageも、tensionのあとですから「分裂」と読めます。
*anmnèse : 精神医学、心理学の文脈では「既往症・既往歴」となりますが、ここでは「忘れていた、抑圧されていた記憶内容が意識に回帰すること」(Dictionnaire culturel en langue française)でいいのではないでしょうか。
[試訳]
 こんなふうに、私たちより少しだけ先んじて生きた人の人生には、その独自性において、「歴史」の緊張そのものが、その分裂が孕まれている。「歴史」はヒステリックなのだ。つまり、私たちがそれを見つめる限りにおいてだけ「歴史」は構成されるのだが、それを見つめるには、私たちはそこから排除されていなければならない。今生きている存在として、私は「歴史」とは対照的なものであり、それゆえ私ひとりの歴史のために、「歴史」を否認し、台無しにしてしまう(私には「証人」を信じることができないし、少なくとも「証人」になることはできない。ミシュレは、言ってみれば、彼の生きた時代についてなにも書けなかったわけだ)。私が生まれる前に母が生きた時代は、そうしたものであり、私にとってはそれが「歴史」であった(それはまた歴史的に私の最も関心のある時代である)。どんな想起も、私自身を拠り所にその時代を垣間見されることは決してできはしない(それこそが想起の定義だろう)。でも、子供である私をひしと抱きしめている一枚の写真を見つめると、私の中でクレープデシンの柔らかな肌触りや、白粉の香りが目覚めるのだった。
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 misayoさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。いかがだったでしょうか。2011年に読んだp.105. の章番号28.まで、年を跨ぎそうですが、バルトを読もうと思っています。次回は、p.103. donc totalement fausses. までの試訳を25日(水)にお目にかけます。
 ところで、以前お話しした伊藤比呂美編『石垣りん詩集』(岩波文庫)を読んでいます。戦前・戦中・戦後を金融機関に勤める女性労働者として生き、日本の「家」に絡め取られながら家族を支えた、石垣りんという女性の、それこそ「歴史」が、直裁な、真摯な、命を伴った言葉とともに蘇ってきます。伊藤さんの解説とともに、パラパラといくつもの詩篇を追うだけでも充実した読書となります。また機会があれば是非一度手に取ってみてください。Shuhei


ロラン・バルト『明るい部屋』(2)

2015年11月25日 | 外国語学習

[注釈]
*Pour <<retrouver>> ma mère,(…)il faut que, (...)je retrouver sur quelques photos (...)les objets (...)une chaises basse (...)les panneaux de raphia (...)les grands sacs (...). その蘇生は限定的であったとしても、日々の暮らしに組み込まれた具体的なモノの方が、母のよそ行きの姿よりも、かつての母を返してくれる、ということでしょうか。 

[試訳]
                          26

 これらの写真の多くの場合、「歴史」によって私は写真から切り離されていた。「歴史」とは、ただ単に私たちが生まれていない、あの時代のことではないだろうか。母が身にまとっている装いの中に、私は自分の非在を読み取っていた。母のことを思い起こすことになるのは、それからずっと後の話なのだから。親しい人が「見たこともないような」装いをしている姿を見ることには、一種の驚きがある。ここに1913年頃の写真がある。母はトック帽を被り、羽根飾りをつけ、手袋もして、袖口と襟首からかすかに下着も覗いて、都会の娘のような盛装をしている。優しく、純朴な母の目とは不釣り合いな「シック」な出立ちでいる。「(趣味の、流行の、服飾の)歴史」にとらわれた、こんな母の姿を見るのはこれ一度きりだった。つまり、その時私の関心は母から離れ、もう廃れてしまった装飾に向けられていた。そう、装いは廃れるものであり、それは愛した人のもう一つの墓となるのだから。それが、ああ、束の間であり、その蘇りを長く止めておくことはできないにしても、母を「見出す」ためには、それからしばくして、何枚かの写真の中に、母が整理箪笥の上に置いていたこまごまとしたもの、象牙のコンパクト(私はその蓋の音が好きだった)や、切り子細工のクリスタルの香水瓶、そして、今私のベッドの傍らに置いているローチェア、あるいはまたソファーの上に母が掛けていたラフィアの日除け、そして母お気に入りの大きめのバッグ(その使いやすそうな形は、「ハンド・バッグ」といったブルジョワのアイディアには相応しくなかった)を、見つけなければならないのだ。
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 shokoさんをはじめ、フランスで暮らす人々はどこか気持ちを張り詰めて日々をお過ごしのことと思います。1日も早く平穏な日々が帰ってくることを願いながらも、ここ日本に暮らしていても、もうしばらくは晴れやかな、穏やかな時間は取り戻せないのではないか、という不安も拭えません。
 それでも、<<Je suis en terrasse.>>, <<Sommes-nous en guerre ?>>, <<Vous n'aurez pas ma haine.>>といったパリで暮らす人々の言葉に、野蛮なイデオロギーや暴力に抗する、嫋やかで健やかな力がまだ充分残っていることを感じ、かすかな希望に胸が満たされます。
 三つ目に挙げたのは、今回の惨劇の遺族となった方のFacebook上の言葉ですが(日本の報道でも触れられた方も多いと思いますが)、改めてここにAntoine Leirisさんの言葉を紹介しておきます。是非一読してみてください(ページの下の方に全文が掲載されています)。
http://www.franceinfo.fr/actu/faits-divers/article/antoine-leiris-les-terroristes-n-auront-pas-ce-qu-ils-cherchent-se-tiendra-debout-745965
 それでは、次回はp.102.までの試訳を12月9日(水)にお目にかけます。


ロラン・バルト『明るい部屋』(1)

2015年11月11日 | 外国語学習

[試訳]
ロラン・バルト『明るい部屋』
                                        25.
 
 さて、母が亡くなってまだ間もない、十一月のある日の夜、私は写真の整理をしていた。母を「また見つけられる」と思っていたわけではない。人かげが写った「これらの写真、その人にせいぜい思いをはせるほどにも、その人のことを呼び起こしてもくれない写真」(プルースト)に何も期待などしていなかった。私にはわかっていた。喪の最も酷薄な特徴のひとつであるこの宿命によって、映像に訴えかけても詮のないこと、母の面立ちを思い出すこと(丸ごと私に呼び出すこと)はけっしてできはしないだろうと。だから、母親の死後ヴァレリーが願ったように、「自分ひとりだけの、母についてのちょっとした書きものを記して」おきたかったのだ(おそらく、そうしたものをいつか書くことになるだろう。もし印刷物になれば、少なくとも私の名が知れている間は、母の記憶も持ちこたえることだろう)。それに、すでに世に出た写真—そこにはランドの砂浜を歩く若い母が見えるし、あまりに遠く、表情までは見えないけれど、母特有の足の運び、健康、溌剌とした姿が「見出される」—を除けば、母が写ったこれらの写真については、気に入っているとさえ言えなかった。だからそれらを凝視しようともしなかったし、その中に没入していたわけでもなかった。それらをただ並べてみたが、一枚として本当に「いいもの」はなかった。写真としてもよくなかったし、生きいきとした顔を蘇らせてもくれなかった。いつか友人たちにそれらの写真を披露する機会があったとしても、それが友人たちになにかを物語るとも思えなかった。
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 今回も試訳だけお目にかけます。また不明な点があれば、遠慮無くお尋ねください。Mozeさん、大切な指摘ありがとうございました。指摘されて初めて、自分の未消化、モヤモヤとした感じに気づかされました。まだ昭和の頃、大学の二年次に教室でテキストとして読んだランボーの詩でした。以下で読めます。
http://poesie.webnet.fr/lesgrandsclassiques/poemes/arthur_rimbaud/le_dormeur_du_val.html
 変な喩えですが、朝の通勤途中に見知らぬ女性から、朝頬張ったご飯粒が左頬についているのを指摘されたような気分です。ちょっと恥ずかしいような、救われたような、うれしいような…。
 詩つながりで言うと、乗換えの忙しい時の通勤電車で、昨年夏に亡くなった、バイデガー研究者でもあった木田元さんの『詩歌遍歴』(平凡社新書)を読んでいます。最終章ではランボーが扱われていました。木田先生に導かれて、立原道造の詩に久しぶりに再会しました。近いうちに段ボール箱から彼の詩集を拾い出してこようと思っています。
 それでは、次回はp.101. sac à la main. までを読むことにしましょう。25日に試訳をお目にかけます。Shuhei
 


「私たちもあの子を見殺しにした」(3)

2015年10月28日 | 外国語学習

[試訳]
 怒りの声を上げる前に、今一度、砂浜に横たわり、深い眠りについたあの子の目をまっすぐ見つめてみよう。あんなに華奢な体つきでも、両手はまだ赤ん坊のようにぽっちゃりとしている。浜辺でぐったりとした顔はおだやかでも、肺は海水で膨れ上がっている。最後にもう一度だけあの子の恐怖を想像してみよう。あの子は闇の中、冷たい、まっ暗い海に落ちた。流されまいともがいたけれど、ついには海の底に飲み込まれてしまった。海水が彼の肺を最後にはいっぱいにしてしまうまで、喘いでいたはずだ。そして、罪深い無関心から私たちを目覚めさせ、多くの人々を人間的に揺り動かしたのだった。今問われているのはもう怒りではなく、人々が同胞に抱くべき、人間愛の、連帯の覚醒である。男たちの、女たちの、子供たちの命が賭けられているのだから。
 目下集団的な無関心と他人事のような憤りが冷たく渦巻く21世紀が、諦めと冷酷の世紀となってしまわないよう、立ち上がろう。もう何人のアイラン・クルディが海に沈んでしまったのだろう。ヨーロッパが立ち上がるまで、いったいあと何人の犠牲者が必要なのだろうか。虐げられたこの人々を私たちが助けることができなければ、難民問題を解決できなければ、21世紀の私たちの文明は、取り返しのつかない形で、人の道を失ってしまいかねない。
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 misayoさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。今回も、ぼくから付け加えることは何もありません。試訳を読んでまた不明な点があれば、お尋ねください。
 西アジア・中東から欧州を目指す人々の難民問題は、解決の糸口すら見つからないまま、フランスを含めヨーロッパは冬を迎えました。ひとりでも多くの人々に温かい食事が提供されることを願うばかりです。
 そんな中、残念な報道がありました。
http://www.directmatin.fr/monde/2015-10-08/japon-un-manga-sur-une-jeune-refugiee-syrienne-fait-polemique-713017
 先日朝日新聞でも遅れて報じられた内容ですが、苦難に耐えている人々の本当の痛みにまったく想像が及ばず、そんな人々がわすかばかりの援助に縋ろうとすることすら許せない人々が、この日本にもいるのです。残念なことです。
 ところで、先日、ある医学研究者が、度あるごとに再読する書物として茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)をあげていたのが目に留まり、ぼくもこの年になって同書を読んでみました。扱われている詩の豊かさと多様さは言うの及ばず、茨木さんの語り口がなんとも魅力的でした。奇遇ですが、伊藤比呂美さん編であらたに、石垣りん詩集が岩波文庫から出ました。これも是非読んでみようと思っています。
 年内に読むことをお約束したロラン・バルトの文章ですが、週末までには皆さんのもとにお届けします。Shuhei


「私たちもあの子を見殺しにした」(1)

2015年09月23日 | 外国語学習

[注釈]
 *<>qu'est devenue la mer Méditerranée ? : qu'=que であることに注意してください。
 *les délocalisations : 為替相場の変動に伴い、人件費・材料費などを抑制するために製造拠点を海外に移すことです。
 * nos canettes de coa : グローバル企業であるコカコーラが製造する清涼飲料水は、人々とは対照的に、やすやすと国境を超えることを象徴しています。

[試訳]
「私たちもあの子を見殺しにした」
 あの子はアイラン・クルディといった。私たちがあの子を無関心という濁った海で死なせたのだ。私たちは、身の中に残っていた人間性の一部を捨て去って、たった三つのあの子を「海辺の墓地」となった地中海に打ち捨ててしまったのだろうか?
 私はここで様々な国とヨーロッパに怒りの叫びをぶつけたい。現下の難民問題に直面して、諸国家と欧州には即座の反応はなく、推移をただ座視している。また長期的に数十年とられてきた政策を見れば、要するにそこには人間的な思慮が放棄されてしまっているからだ。私たちの国境は、グローバル化した経済と国際的な金融にとっては穴だらけで、その二つして常に社会的な不平等を押し広げている。また、国内産業の空洞化をむしろ後押しするライバル企業にとっても、国境は次第に開け放たれつつある。その一方で、戦火に追われ、ほとんどすべてを失った男たち、女たち、子供たちだけに、国境の内側に残されたものが押し付けられてるいる。人々は商品よりもぞんざいに扱われ、国境に避難民は打ちづけにされ、その一方で私たちが飲む缶コーラは足止めされることもない。人を人とも思わないこうした逆説に私たちはどう耐えてゆけばいいのだろうか?
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 いかがだったでしょうか。実は、太平洋戦争当時、いわゆる「外地」で暮らしていた600万人の日本人の多くが、敗戦後シベリアや満州で「難民」となったのでした。前者に関しては、ここでくり返し取り上げた小熊英二『生きて帰ってきた男』(岩波新書)に、後者については、最近出された、澤地久枝『14歳 満州開拓村からの帰還』(集英社新書)に詳細な証言が綴られています。戦後70年を生きた著者が「私」という主語によって回想する語りは取らずに、満州で難民となる顛末が、「少女は...」という主語によって、あの時代思春期を生きた少女の感覚そのままに生き直されています。
 「戦後70年」を特集した雑誌『現代思想』(8月号)誌上で、おもに先の著書をめぐって小熊英一と対談した、同学年の近現代史家原武史がこう語っていました。自分たちが、近親の戦争体験者から直接敗戦の証言を聞ける最後の世代であり、そうした証言に謙虚に向き合う責任が、自分たちの世代にはある、と。これが世代をまたぐと、つまり、祖父母の体験となると、どうしても一種のロマン化が忍び込むため(例えば安倍現首相の祖父岸信介へのこだわり)、残された時間は実に少ないと。これも大変興味深い対談でした。
 さて、次回は、ちょっと少なめですが、de toute urgence ? までの試訳を10月7日にお目にかけます。Shuhei


フレデリック・ヴァームス『誰かを思うこと』(3)

2015年07月29日 | 外国語学習

[注釈]
 *elle relève… de la vie sensible qu'elle dérit. : このrelever は prendre, ramasser ce qui est contenu dans qch の意味、つまり、「見つける、指摘する」の意でしょうか。すると de la vie sensible のde la は部分冠詞となります。
   
[試訳]
 この見事な試論によって、フレデリック・ヴァームスは哲学のひとつの書き方を確立した。それは書くことにおいて、感受される命を明かし、記述する。エコール・ノルマルで教壇に立ち、ベルグソンの著作も編纂し、現代フランス哲学も研究する著者は、ここではもう研究者として、また理論家としてのみ語っているわけではない。それらとはちがった領域で、繊細であると同時に親しみやすく、かといってありきたりのエピソードなども見られない、一種の私的な省察日記において自らを語っている。もちろんそこで読者はルソーから、スピノザ、ウィニコットを経てドゥルーズに至るあらゆる思想家に出くわすことになる。といってそこには、しゃちほこばった、これ見よがしの衒学的なところは微塵もない。いかめしい台座を持たない哲学は、様々な意味で、文字通りに他者に思いを馳せている。
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 misayo さん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。それにしても通勤電車で制服の子供たちの姿が稀になってからのこの暑さには参りました。もうすでに音をあげています。いよいよ日本の暑さの質が変わってきたのか、年々歳々こらえ性がなくなってきたこの身体のせいなのか。
 明日大阪の北のはずれの大学での補講が済めば、愛知と大阪を行き来する日々からはしばらく解放されます。暑さを言い訳にせずに、まとまった読み書きにしばらく励むことにします。みなさんも、どうかご自愛ください。9月13日までに新しいテキストをお届するつもりです。Shuhei


フランス語読解教室II あたらしいテキスト

2015年07月01日 | 外国語学習

 Chers amis,

 次回のテキストとして Roland Barthes のものを予告していましたが、ちょっと準備が間に合いませんでした。「教室」もしばらくお休みにしている形になっていますが、あらためて、昨年末に出版された Frédéric Worms <<Penser à quelqu'un>> (Flammarion)の書評を読むことにします。

 みなさんには、毎回Cciを使ってメールをお送りしていますが、どうしてだか、あるいは当然なのか、送信済みのメールが残りません。みなさんのメールアドレスがわからなくなっています。それで、あらためてみなさんのメールアドレスを下記までお知らせしてもらえますでしょうか。また、Cciを使っても送信履歴の残るやり方をご存知でしたら、是非教えてもらいたいと思っています。

 shuheif336@gmail.com

 ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします。

 Shuhei

 

 

 


Emmanuel Todd <<Qui est Charlie ?>> (2)

2015年06月17日 | 外国語学習

[注釈]
* Après l'outrance de la démonstration, place à… : la démonstration は1月11日のデモ行進のことです。place à...「つぎは…の出番だ」という成句です。
* Tout la panoplie de la laïcité… y est sagement déclinée. : la panoplie とは、この後のDroit au blasphème以下の事柄を指しています。つまり、宗教というものに懐疑的な「ライシテ信者」が掲げるリベラルな主張です。その偽善をトッドが批判、論破している、ということではないでしょうか。
* comme <<une bonne chose>> : このニュアンスも、トッドの著作に当たってみないとなんとも言えません。まったく自信はありませんが、以下のように解釈しました。また他のご意見があれば聞かせてください。

[試訳]
 例えばカトリックの両親から生まれたフランソワ・オランドは、「ゾンビよろしく蘇ったカトリック教義を完全に体現しているように見える。」なるほど社会党は「主観的には」反人種主義ではあろうが、「客観的には外国人排斥集団である」とトッドは断言する。実際「社会党はフランス国民から移民の子供たちを排除している」のだから。要するに、あの日抗議の声を上げた人々の中核をなしていたマジョリティーの表現と行動には、完全な乖離があるということである。
 
 「新たなライシテ・ヒステリーと闘う」
 閑静な街の嫌イスラムから、打ち捨てられた郊外の反ユダヤ主義まで、この不平等な「新しい共和国」を構成する著名人の責任は重大だ。ではどうすればいいのか。それもひとつの宗教にすぎない「ライシテというあらたなヒステリー」と闘わなければならない。それがイスラムを犠牲の山羊にし、「マホメットを戯画化する義務」を説いているのだから。熱狂したデモ行進のあとには、終局としての教会一致会運動がやってくる。トッドが懸命に闘っている新共和国主義の構える「開かれたライシテ」という武器一式は、見事に矛先を逸らされている。冒涜の権利、国家によって保証されている表現の自由、移民の同化、イスラムの「積極的統合」…。多くの人にとって嫌イスラムの象徴とみなされている、学校におけるヴェールの禁止でさえトッドにとっては、逆説と矛盾を免れない「結構なこと」となるのである。トッドの数々の糾弾は、つまるところ共和主義の純粋な教理問答集へと向かう。さあそろそろ、著者が課した疑問に答えなければならない。「シャルリーとは誰なのか?」それはエマニュエル・トッドだ。彼自身はそのことを知らないだろうが。
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 misayoさん、Mozeさん、shokoさん、訳文ありがとうございました。今回は、ところどころ難しかったですね。
 shokoさん、パリ便りありがとうございます。ぼくも昨夏、二週間足らずの滞在でしたが Mensuel を購入し、気にかかっていたパリ周辺の町をいくつか散策しました。歴史と伝統の街パリもいいですが、風と緑を満喫するなら、少しパリを逃れるのもいいものですね。ぼくはそういう周辺が好みです。
 さて次のテキストですが、今年生誕100年のRoland Barthes のテキストを読もうかと考えています。
 実は今高齢の縁者の具合が悪く、ちょっと先の予定が立ちません。申し訳ありませんが、あたらしいテキストはもうしばらくお待ちください。Shuhei


Emmanuel Todd <<Qui est Charlie ?>> (1)

2015年06月03日 | 外国語学習

[註]
*Lyon et ...Marseille : リヨンは「カトリックの古き土地」であるのに対して、地中海に面したマルセイユは、フランス本土の外から移り住んだ人々や、その二世・三世が多く暮らす都市として知られています。
*C'est cette <<oligarche de masse>>...qui s'est indignée, :この箇所は少し見通しづらいのですが、あの日抗議の声を上げたのはまた、以下のような人々ではなかったか、とトッドは批判の目を向けているわけです。

[試訳]
 「大衆による寡頭政治」
 この書物は、「シャルリー事件」以降の私たちの社会のイ デオロギー的、政治的権力メカニズムの理解に向けての促しであり、ライシテ教団において「自らを欺く」国民の「宗教的危機」を、理論的に、手厳しく分析したものである。街頭で抗議の声を上げた人々が、意識の上では、寛容のために行進をしたことを、もちろんトッドは否定しない。けれども多くの人を動かしたのは、「目に見えない価値」の現実のあり方ではなかった。あの日人々にとって重要であったのは、と著者は続ける。「まずなによりも社会の力、支配のひとつのあり方を確認することだった。」つまり、あの日人々を駆り立てたのは、「弱者が信じる宗教に唾する権利が何をおいても必要だ」と、通りに馳せ参じた、社会上層に位置する「白人種フランス」の現実であり、理論において明言しなくとも、その振る舞いにおいて、無意識において、不平等なフランスの現実であった。
 それというのも、「今日共和国を標榜する諸勢力は、その本質において共和的ではないのだから」と著者は説く。リヨンでの大規模な行進とマルセイユの慎ましやかなそれとの隔たりが明らかにするように、1月11日通りを埋め尽くしたのは、社会上層に位置するカトリックの古きフランスの住民たちだった。抗議の声を上げていたのは、恵まれない人々が社会的に隔離されても、若いイスラム教徒たちがあたかも流刑されるように郊外のゲットーに追いやられても痛痒を感じない、「こうした大衆による寡頭政治」であった、と著者は強調する。
 地理学に依拠しながら、人口統計学者の著者は主張する。カトリック教会の衰退にもかかわらず、生きながらえている「周辺のカトリック的サブカルチャー」が、それと気づかないままに、人々の行動を決定し、そして、不平等な「ネオ共和国」の到来をも促してもいると。その影響下で、ヨーロッパ単一通貨という「容赦のない神」が、キリスト教神学に取って代わってしまった。というのも、マーストリヒト条約は、フランス革命からではなく、カトリシスムより、またヴィシー政権より私たちにもたらされたものだからだ。社会党が右傾化してしまったのもまた、カトリック的サプカルチャーの影響による。
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 masayoさん、shokoさん、mozeさん、訳文ありがとうございました。
 紹介されているトッドの主張は明快です。世界の耳目がフランスに集まったあの日、表現の自由の擁護をかがげて通りで抗議の声を上げたのは、謂わば「本流のフランス」であり、そうしたフランスの姿が、実は本来尊重されるべき「支流のフランス」を踏みつけにしていないか、といったことだと思います。でも、Le Monde掲載のこの書評は言葉使いは平明ではありませんね。次回はもう少しやさしく読めるのではないでしょうか。
 shokoさん、mozeさんがおっしゃる通り、またお時間の許す限りで、パリ便りを届けてください。楽しみにしています。どうかお元気でBelle saisonを楽しんでください。本邦は、いよいよ梅雨入りですね。
 それでは、次回はこの文章の最後 il ne le savait pas. までを読むことにします。17日(水)にいつものように試訳をお目にかけます。Shuhei