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マーサの昔話

デジカメでの景色や花、動物などの写真
海外体験談、今日の一品、糖分控えめ?なおやつ等‥‥‥

真珠腫性中耳炎の日記  (5)

2009年05月15日 | M Ear Cholesteatoma 
                     入院日記(1)

2007年 11月19日(月)
 朝、8時20分、もこみち先生が「お早うございます。耳の入り口の綿球だけ
交換しましょうか? 」「は~い。」まるで、気分は女子大生。 取り出された綿球は
しっかり血がついていた。 新しい綿球を入れてもらって、ガーゼ無しの耳当て
だけになる。 すかすかして、何か、不安。カバー代わりのガーゼ入れて欲しい…
 11時からシャワーに入る。 又、一日暇なので、あっちこっち、うろうろ。。。
 
 5時30分、会社の同僚2人が、ロイスダールのクッキーセットを持って
お見舞いに来てくれた。 昨夜、「私は花粉症だから、花は要らない。 おいしい
ケーキ持って来て~。」とメールを送ったのだ。 ケーキは生ものだから、日持ちが
しないので、少しずつ食べれるクッキーにしたそうだ。 食事の時間だったが
夕食を置いたまま、3人、デイルームへ行き、会社の話で盛り上がる。

 2時間も話し続けていて、面会時間終了になり、二人を送りに詰め所の前を
通った時、急に二人が立ち止まり、ある人に視線がーーーもこみち先生だった。
 「ええっ、速水もこみちそっくりやな。 Drか? 」「似ているでしょう!私の担当医よ。」
「ええなあ。私も、ここへ通院するわ。」「どこが悪いの?」「咽喉の調子が悪いねん。
今度、外来行くわ。」「あのDrは、未だ、お若いから、外来デビューは未だなの。
今は、手術ばかりなんよ。」「まあ、残念。」もこみち先生が、こちらをちらっと見た。

 「逢いたかったら、又、見舞いに来てよ。」「もう、退院やろ。」「エヘッ、多分ね。」
 「取り合えず、裏門まで送るから。」後ろ髪惹かれるように帰って行った。
 夕食を持って、デイルームへ行く。 レンチンして、100万ドルの夜景? を
見ながら食べる。 暇なのは嫌だけど、たまには骨休みもいいのかも。

(朝食)
 ご飯・麩の味噌汁・ブロッコリーとカリフラワーのサラダ・海苔ふりかけ・牛乳
(昼食)
 ご飯・焼肉(牛肉、玉葱、人参炒め)コーンとピーマン添え・キャベツ、人参
 ハムのマヨネーズ和え・しいたけ、若布の吸い物
(夕食)
 ご飯・おでん・ほうれん草と油揚げのおひたし

11月20日(火)
 朝、8時35分、もこみち先生から呼び出しコールがある。 綿球交換。 血は
付いていなかった。 10時からシャワーに入る。 鏡を見ると、頬に肌色のテープ
みたいのが付いていたので、手術の時に貼ったのかと思って、思いっきり剥がす。
 「Ouch! 」自分の皮膚であった。 ナースステーションに行き、ナースにバンド
エイドを貼ってもらう。 夕方5時より、部長診察があった。同じ病気のチビッ子達も
小児病棟から来て、並んでいた。 私はチビッ子の後だった。 皆、ガーゼ交換で
あまりの痛さに? 女の子は皆、泣いていた。 私も泣きたい心境だった。

私の番が来て、部長の横に もこみち先生が微笑みながら立っていた。部長は
「肩の力を抜いて!」「はい。」と言いながらも、硬直状態。 耳の中を薬で濡らして
そっとそっと一枚ずつガーゼが抜かれたが、全く痛みはなかった。「顔のバンソーコは
どうした? 」「テープと勘違いして剥がしましたら、自分の皮膚でした。」と周りの
先生達が、下を向いて笑っていらした。 一番笑っていたのは、外来の主治医でした。
 今日又一人、退院したので私一人になる。 個室だ。今日は、思いっきり寝れる
と思っていたら、大小の耳鳴り音(キーン)で一晩中眠れなかった。

(朝食)
 ご飯・麩と若布の味噌汁・大根と若布のサラダ・海苔ふりかけ・バナナ・牛乳
(昼食)
 ご飯・豚肉のソテー、ブロッコリー添え・白菜の浅漬け・ひじきの煮物
(夕食)
 かやくご飯・鮭と油揚げの吸い物・ほうれん草と白菜のおひたし


 
 
  

 

真珠腫性中耳炎の日記  (4)

2009年05月14日 | M Ear Cholesteatoma 
            
               入院日記(1回目)

2007年 7月16日(金)
 朝、8時45分、もこみち先生が様子を見に来てくださった。「どうですか? 」
「夜中に、少し痛みが出てきて眠れなかったので、痛み止めを飲みました。」
「未だ、痛みますか? 」「昼間は、話しているので、痛みは感じないのですが
安静にしていると、結構、耳鳴り、痛みが気になります。」「そうですか。あまり
気になって、眠れないようでしたら安定剤用意しますので。」「有り難うございます。」
 「今日からシャワーOKなんで、耳のガーゼ濡らさないように入ってください。」
 「もう、いいんですか? 嬉しい。じゃ、早速今から、予約をしに行きます。」
 「では、又」で詰め所へ戻られました。 いいねいいね朝から、もこみち先生が
挨拶に来てくれる。今日で、3日連続だ。 向かいの奥さんは、手術後、1回しか
部屋に来なかったと言っていた。 あのドクターは、有名なDr.だから、毎日は
来ないと思う。 でも、手術してもらっただけでも私には、うらやましく思える。

 10時にシャワーへ行く。 首から下だけ洗った。 5時30分過ぎ、旦那が
フルーツとりんごヨーグルトを持って来てくれた。 Thank you so much!
 夜中、腰痛の為、看護師さんに、湿布を張って貰う。 点滴終了です。

(朝食)
 全粥・焼き鮭・キャベツときゅうりの温野菜・麩の味噌汁・のり胡麻ふりかけ・牛乳
(昼食)
 全粥・クリームシチュー・大根としめじの和え物・ブロッコリーとふかしジャガイモ  
(夕食)
 全粥・鮭の蒸し物・ほうれん草と人参の和え物・豚肉、白菜、わかめ入りうどん

11月17日(土)
 朝11時に看護師さんが、洗髪してくれて、すごく気持ち良かったんだわ。 髪を
ドライヤーで乾かし終わったところに、ちょうど、もこみち先生が来てくれた。
「耳のガーゼ交換しようか? 」と言って下さって、先生のエスコート? で診察室へ行き
換えて頂く。 グッドタイミング~。 土曜日曜はシャワー無しなので余計に暇です。
向かいの奥さんが、昼に退院したので、話相手が居なくなり、寂しい。午後2時
兄と旦那と息子が来た。 マンゴジュースを買ってきてくれた。  デイルームで
2時間程話して、兄のおごりで3人外食に出かけた。 いいなあ。私は、昨日、移動
図書館で借りた新書のイギリスの本を読む。 TVは、夜中に衛星放送でヨン様の
大王四神記 が放送されていたので、片耳にイヤホーンをして見る。

(朝食)
 ご飯・若布の味噌汁・鮭の煮物・梅干し・大根とキャベツのつけもの・牛乳
(昼食)
 ご飯・大根とねぎの吸い物・かれいのから揚げとほうれん草のベーコン炒め
 はんぺんと小芋生麩の煮物
(夕食)
 ご飯・すき焼き・鯛焼き(餡入り)・大根ときゅうりの千切り和え物

11月18日(日)
 手術後からの抗生物質の点滴のせいで、ずっと下痢状態。 ナース曰く「お腹の
いい菌まで、死滅させているので、どうしてもゆるくなるのよね。」一応、下痢止めを
一週間分持ってきてもらう。 窓側のおばさんも、めまいの原因が不明のまま退院。
 でも一週間後又、眼科の手術で入院だそうだ。 お忙しい。とうとう2人になった。

 10時30分、もこみち先生が来てくれた。 昨日もびっくりしたけど、今日は
休みで来られないと思っていたのに、カーテンさっと開けて「00さん、おはよう
ございます。今日は、どうですか? 」「あっ、先生お早うございます。 先程
看護師さんに整腸剤を頂きました。」「抗生物質の点滴の副作用だね。 個人差が
あるけど点滴が終わったら、徐々に下痢は止まると思いますので、少し我慢かな。」

「仕方ないですものね。」「明日、ガーゼ交換します。 火曜は部長診察の日なので
多分、中のガーゼを抜かれると思います。 そのガーゼが、乾いてぴったり耳の
壁についているので、取る時、少し痛いかもしれません。」「先生、私痛いのは
イヤです。 麻酔して剥がして下さい。」「そんなに怖がらなくても部長は、すごく
上手だから、安心して下さい。」「そんな事・・・」「ええ、何か? 」「入院した日
部長先生に見て頂いたのですが、あまりの痛さに20分位じんじんして痺れて
いたので、正直、術後のデリケートな皮に張り付いたガーゼを取るのを想像した
だけで、ああ、先生、めまいが・・・」 「00さんって、面白い人だな。」

 「先生、本当に怖いです。 どうか、部分麻酔をお願いします。」って
私は先生をじっと見て訴えました。もこみち先生も、私の目をじっと見て
ありません。我慢するしかないです。 でも、私が側におりますので。
  その一言が、どれだけ、私に安心感を与えてくれたことか。 
   心温まるお言葉を、本当に有り難うございました。

(朝食)
 ご飯・麩の味噌汁・キャベツときゅうりの温野菜・ふりかけ。牛乳
(昼食)
 ご飯・揚げさばの冷製野菜あんかけ・ひじきと豆腐の和え物・白菜ときゅうりの漬物
(夕食)
 ご飯・八宝菜・中華ポテト・春雨、キュウリ、ツナの酢の物

真珠腫性中耳炎の日記  (3)

2009年05月13日 | M Ear Cholesteatoma 
                 入院日記・手術(1回目)

2007年 11月14日(水)
 朝、洗面を済ませてから、体温・血圧・脈拍のチェックをする。 手術へ行く前
トイレに行く。 術着に着替えて、7時半に最初の注射、8時に2本目の注射。
 8時10分位に旦那が来てくれた。 意識朦朧状態。8時45分位にベッドに
寝たまま手術室へ運ばれて行く。 「横に移動しますよ。」と言われて皆に抱き
かかえられて手術台に乗る。 それからほとんど、記憶がなく、途中で側頭骨を
ドリルで穴を開けられている時、振動のせいか、一瞬意識が戻り「あっ、今ドリルで
穴開けてる。」と思った。先生の話し声も聞こえていたけど、内容までは覚えていない。

 それから又、意識がなくなり(これ幸い)今度、看護士さんが「術着脱がせて
いる時に目が覚め、寝たままパジャマに着替え、又、自分のベッドに移動して頂いて
部屋に戻る。 戻って来た時、旦那がいて「今何時? 」と聞いたら「12時。」と
答えたから、手術は予定通り3時間で済んだのだと思った。 携帯で痛々しい顔面
ミイラ女の写真を撮ってもらう。 無事生還したから一応「ピース」サインである。

 それから、又、眠ったらしく、今度、気がついたときは夜の6時だった。 旦那が
ずっと側にいてくれたようだ。「今日は食事無しで、寝るだけですから、もう
帰ってくれていいよ。」「そうやな、又明日、夜に来るわ。」と言って帰る。

 その後、もこみち先生が来られて「真ん中の骨が溶けていて、結構、真珠腫が
散らばっていたけど、きれいに掃除しましたよ。 顔面神経は全く傷ついていなくて
良かったけど、来年、再発の有無の確認と聴力改善の手術をするからね。」
 「・・・はい、解りました。 どうも有り難うございました。」

 8時頃、切開した所が痛み出してきて、痛み止めを入れた点滴をしてもらう。
 口がやたらに渇くので、看護師さんが、大きな綿棒を冷たい水で濡らしたものを
口に含ましてくれた。 夜中にお小水をするのに、ベッドに浅いおまるの様な物を
置かれたが、どうしても出ないので、歩いてトイレに行きました。 本当は、手術
当日歩いてはいけないらしい。 でも、無理なものは無理だから仕方ない。
 そのまま朝まで寝てしまう。 抗生剤の点滴は翌朝まで続きます。

11月15日(木)
 朝7時の検温36.4度。 採血・血圧チェックする。止血バンドがうっとしい。
 顔は洗えないのでふくだけ。 歯をきれいに洗って、ベッド上で朝食を、いいね。
 完食というか、全然足りない。 お粥じゃ回復しないぞ~。向かいの若奥さんが
私の食器を持って行ってくれた。 二人で、一時間ほど話していたら、8時45分
もこみち先生が来て下さった。「昨日、言った事覚えてますか?」「聴力改善の
手術は1年後に2回目ですよね。」「きれいに掃除したから再発は大丈夫だと
思いますけど。」「どうも、先生、有り難うございました。」「では」で去られた。

向かいの若奥さんが直ぐやって来た。「超カッコイイ!主治医ですか? 速水もこみち
似てるね~背も高いし、奥さんいいじゃない。イケメン先生に耳触られて羨ましい~」
「やっぱりそうよね、もこみちさんに似てるよね。 私も、小奇麗にしなくっちゃ。」
「ええ~」でも、このミイラ女のままじゃどうしようもない。きついバンドのせいで
無かった所に皺ができているし、指で、触りまくっていたら、バンドが外れかけた。
それを見た看護師さんが、耳マスクに変えてくれた。 随分楽になった事。
 どれだけやんちゃな私。

抗生物質の点滴が朝と夕方の2回、痛み止めの内服薬が始まる。

(朝食)
 おもゆ・かつお粉の味つけふりかけ・麩と豆腐の味噌汁・牛乳
(昼食)
 おもゆ・味噌汁・山芋と豆腐の和え物・玉子豆腐(温かい)
(夕食)
 5分粥・玉子と三つ葉の吸い物・白身魚と海老のすり身のあんかけ・キャベツ
 玉子そぼろ(シイタケ・青菜・人参入り)

真珠腫性中耳炎の日記  (2)

2009年05月12日 | M Ear Cholesteatoma 
                  入院日記(1回目)

2007年 11月13日(火)
 10:00 2階の受付に行く。 他科へ入院される患者さんも沢山集まっていた。
 10:30 名前を呼ばれ、耳鼻科病棟のある最上階に案内される。 患者数名と
その家族も一緒だった。 ナースステーション前で、体重を量り、病室へ案内される。
 私の部屋は南西の角でした。 4人部屋で廊下側。 新しい病院なので清潔感があり
設備も整っている。 広々とした部屋には洗面所・ウォッシュレットも付いているし
環境は申し分ない。 自分のベッドの横には、TV(衛星放送有り)・冷蔵庫
セキリュティーボックス・大小のロッカーも付いていた。

 ベッドの枕もとの上に名前が書いてあり、主治医のところを見ると、何と外来の
ドクターの名前が無かった。 全く知らない医師の名前が、ふと不安がよぎる。
 同室の方に、あいさつをする。 窓側の人は一人が真珠腫で具合悪そうなおばさん
もう一人は、めまいで入院。 私の前の若奥さんは真珠腫で、手術後5日目でした。
 その人と気があったので、初日にメール交換して、色々話を聞く。 その奥さん
Aさんも外来の医師と名が違っていたらしい。 私のドクターだった。 Aさんは何と
初診から僅か1ヵ月で手術だったそうな。 しかも、一回で終わりらしい。

 私の場合、何と初診日から4ヵ月もかかったのに、この差は何だろうと思った。
 「AさんのDr.は、日本でも、有名なDr.だから良かったわね。 安心じゃない。」
と言うと、「でも手術後、一回しか来られなかったわよ。」と不満気に言われる。
 それだけ急に手術を要したのだから、普通、重症患者と思ってしまうが、一回で
終わりだそうだ。 まあ私があれやこれやと詮索しても所詮、医師の言われた通り
従うしかないのである。

 二人で話していると、看護師さんが「別部屋で幾つか質問があるので来て下さい。」
と言われ、血圧・血液中の酸素量、病歴があるかとか、他質問され、昼食を
デイルームで摂った後、耳周りの毛剃りを2Fの理容室にて行って、4時からシャワーを
20分で済ませた後、担当医から話があるので、部屋で家族と待機するようにと
言われる。

 時間もお昼だったので、食事を摂りに行き、2Fで耳周りの毛剃りをしてもらい
1050円と髪をくくるゴム代50円を払う。ファミマで、週刊誌とお菓子少々買い
図書室へ行ったり館内ウロウロする。 部屋に戻って、シャワー室へ。 雀の行水。
20分じゃ、足りないっつうの。 部屋へ戻って、髪乾かしていたら、旦那と息子が
来てくれていた。 3人でディルームで待っていると、部長診察があるとの事。

 沢山の患者が、診察室の前に集まっていた。 私が、呼ばれた時、耳鼻科の先生方
皆、いらっしゃって、部長診察を見ていた。 外来のドクターが側に来られて症状を
説明して下さり、部長先生が耳を診察されたのですが超痛くて、涙がポロリ出ました。
「両方か? 」と言って、又、同じように器具入れてごそごそ。 あまりの痛さに
20分間ジンジン痺れてました。

 それから、30分後に若いイケメンの医師に名を呼ばれ、家族と一緒に手術説明。
 「明日9:00からの手術になります。 手術は耳の後ろを5~7cm程度切開し
鼓室の肉芽や真珠腫の清掃を行います。次に音の再建を行います。鼓室の状態により
手術を2回に分けて行うことがあります。 その場合は、一年後に2回目の手術を
行います。 側頭骨をドリルで穴を開けて開き、筋膜を取り出し、鼓膜の穴を塞ぐ
為の材料とします。 手術は、局所麻酔で行います。」

 「何か、ご質問は? なければここに署名、捺印をお願いします。」急に、質問と
言われても、「宜しくお願いします。」しかございません。 部長先生も入って
来られて、「千人に一人位、術後感染とかで命の危険にさらされる方もいますが…」
3人一瞬ドキッ・・・「まあ、大丈夫でしょう。」それだけ言われて、部屋を出られ
ました。 説明をして下さったイケメン先生は 私の手術の担当医で、手術には
部長先生ともう一人の医師も同室されるので少し安心?

 イケメン先生は、私の耳を見たいと言うので診察室へ再び行く。 お手柔らかに。
見ただけなので、何も、痛くは無かった。 びくびくでした。 この先生、誰かに
似ていると思ったら、速水もこみちでした。 これから、もこみち先生という事に
します。 手術控えて、怖い反面、私なりに、何か楽しみを見つけたようでした。
 何の話や全く。 夕食後以降は水しか飲めません。 寝る前は睡眠薬を飲んで熟睡。

(昼食)
 牛肉、ごぼう、玉葱の炒め物・緑豆としらすの和え物・ご飯
 人参とアスパラのサラダ・味噌汁
(夕食)
 きのこの炊き込みご飯・白身魚の焼き物・大根下ろしときゅうりの和え物・吸い物
 

 

真珠腫性中耳炎の日記  (1)

2009年05月11日 | M Ear Cholesteatoma 
                 手術前の通院日記

 私の持病となってしまった真珠腫性中耳炎、世間ではあまり聞いた事の無い
病名ですが、知らずに放置しておくと、命をも脅かす事もある怖い病気なので
ここに、記録を残したいと思います。 私は、陽気で前向きな性格なので
本当は怖い病気なのですが、なるべく楽しく? 綴っていきたいと思います。

2007年 6月25日(月)
 朝、耳から血清耳漏が出る。(赤色じゃなくて茶色に近い)数本の綿棒で耳掃除
すると、浸出液が止まった。 痛くも何ともないので、普段通り、出勤する。

7月7日(土)
 2週間、同じ症状が続き(朝方だけ、耳垂れが出る。)毎日、残業をして9時に
帰宅するのが、当たり前の会社であり(この時は、国家公務員で事務してました。)
 会社帰りの通院が不可能な為、土曜に開いている耳鼻科を探し、通院する。
 症状を話して、耳掃除をして頂く。 いきなり、見たことも無いような耳垢を
見る事になる。 普通、耳垢と言えば、私の場合、花かつおの様な薄い皮だった
のですが、先生が、時間をかけて取り出してくれたのは、硬い5mm位の塊であった。
 脱脂綿に載せて下さったのを見て、思わず「これ、何ですの? 」耳垢じゃない。
 足の裏にできる様な硬い皮の角質が固まりになっている様な茶色の塊。 
 家族に見せたかったのでもらって帰る。

7月14日(土)
 通院。先生が耳の浸出液の検査をしたいと言われていたが、朝、耳掃除した為
液が止まっていたので、採取できず、耳に薬をつけて終わり。 先生は、「一度
大きな病院で、見てもらったほうがいいかも知れませんね。」 「ええっ、大きな
病院って、私、何か変な病気なんですか?」「癌とかじゃないですから、そんなに
急がなくてもいいですけど、暇なときに一度、精密検査をした方がいいと思います。」
「・・・解りました。」耳鼻科で、精密検査なんて何なの? ショックで悩み込む。

7月19日(木)
 息子の三者面談で昼から会社を早退する。 その後、耳鼻科へ行って急がなくても
いいと言われたけれど、悩んでる自分が辛いので、紹介状を書いて頂く。

7月20日(金)
 紹介された病院へ行く為、会社に午後から出勤すると電話して9時前に紹介先の
病院へ行く。 2時間待って診察。 私の主治医は、日本の耳鼻科ですごく有名な
ドクターでした。ドクターに耳の中の画像を見せて頂き、「真珠腫性中耳炎です。
5段階の内、3段階位の所でしょうか。 残念ながら、両耳の治療が必要です。
 この病名はあまり、知られていませんが、結構、怖い病気です。 この状態では
外来、薬等では治癒できません。 手術以外、治療法がありません。CT検査の日と
手術日を予約しますので、いい日を選んでください。」と淡々とおっしゃられた。

 「ドクター私、毎年、花粉症でいろんな耳鼻科で、鼻も耳も見て頂いたのですが
一度も耳が悪いとは言われた事が無いんです。 どうして、急にこんな事に・・・」
 「・・・でも今回、見つかったから良かったじゃないですか。 お礼をしないと
いけませんよ。 私からも手紙を書きますので、今度、通院した時に先生に渡して
下さい。」と言われ、手紙入りの封筒を頂き、病院を後にする。ドクターの診察は
待っている患者が多い為、すごくスピーディでした。 20分位で終わったので
帰り、ドクターからの手紙を届けに、最初に行った耳鼻科へ行き結果報告する。

8月14日(火)
 10:20 X線CT検査。11時から、CTのフイルムを持って、耳鼻科外来で待つ。
11時30分に診察。 フイルム見ながら説明されるが、鮮明じゃないのでよく
解らない。 ドクターが言うのには、左右2回ずつ計4回の手術が必要だと言われ
又、ショックを受ける。 1回ずつにして欲しいと言うが、私の場合は、2回の
手術が適するとの事。 1回目は、耳漏の停止、鼓膜穿孔の閉鎖、鼓室の清掃を
主な目的とし、中耳の病気を取り除き、更に、可能であれば聴力の改善も行う。
 と言っても、この時点ではとてもよく聞こえていたので、聴力は良かったのです。
 健康診断でも、いつも正常値なのに、手術故の聴力落ちは免れないだろう。
 そして2回目は、真珠腫の再発の有無を確認し、問題なければ、聴力改善の為
耳小骨連鎖の再建をするとの事。 先ずは、耳漏のある左の耳から手術になる。

10月23日(火)
 9:00 朝食抜きで、手術前の健康診断。胸のレントゲン・肺機能検査・採血
心電図・検尿・聴力検査が済み、ドクター診察で、耳以外は健康体なので、手術は
受けられます。 入院する日は、風邪等引かないようにして下さいとの事でした。





 





 

これが本当の真珠夫人  

2009年04月07日 | M Ear Cholesteatoma 
 今日、2年前から持病になってしまった中耳炎の診察に行った。 病名は
真珠腫性中耳炎 です。 この病気は、慢性中耳炎の一種で、ひどくなると
顔面神経を侵されて、顔がゆがんだり(麻0さんみたいな感じ? )めまい、ひいては
頭の方に進んで、命をおびやかすこともある怖い中耳炎のことです。

 ちょうど2年前、夏のある日の朝、左の耳から水のようなものが流れる感じが
したので、慌てて起きて、綿棒で掃除したのです。 すると、茶色い液のようなのが
ついてまして、5本でその液は止まり、通勤もしていました。 毎日残業続きという
理由もありましたけど、痛みは無かったものの、さすがに同じ状態が2週間続いたので
土曜日に開いている病院に行ったのです。 そこで、医師は病名は語らず、紹介状を
書くから、大きな病院で精密検査をした方がいいと言われたのです。

 会社を休んで紹介された病院に行き、この病名を告げられたのです。 
 しかも最悪な事に両耳が侵されていて、耳垂れの出ている方から、手術という事になり
すごいショックを受けました。 何故、ショックなのか、私は、年に1回、花粉症の
治療でいろんな病院に通院していたのです。 当然、耳鼻科ですから鼻、耳、咽喉と
3ヵ所診察されるのです。 私は、小学校のときにプールの水が耳に入り、中耳炎を
やっているので、(その時も完治するまで通院しました )先生に、「 私の耳、大丈夫
でしょうか? 」と毎回、聞いていたのですが、どのDr.も、何も言われませんでした。

 この病気は、長い年月をかけて、進行していくので、急にはならないのです。
 もっと早くに見つかっていたら、手術までしなくてもすんだかもしれないのにと思うと
今まで通院してきたのは、「何なの? 」ってなる訳です。 でも、インターネットで
知ったことですが、耳鼻科によっては、耳の中を見る顕微鏡が違っていて、最新の
電子顕微鏡ですか? 名前解りませんけれど、それでないと、真珠腫があっても
解らないそうなのです。 私みたいに原因が無いのに、いきなり耳垂れが出たとか
そんな症状が出てから、大きな病院に行ったとしても、哀しいかな、手術は免れないと
いうこともあるのです。

 次回は6月2日に側頭部のCT撮影(3回目の手術前の検査)がありますので
その時、又、報告することにしましょう。 
 真珠腫性中耳炎について、もう少し詳しく書いておきます。

 滲出性中耳炎を繰り返したりした結果(私はそうではなかったが…)陥凹して
袋状になった鼓膜が、鼓膜の中の壁とくっついたり、奥深くの空洞へ徐々に
入り込みます。 この袋の中に角化した鼓膜の上皮が重なって溜まっていきます。
 そうやってできたものが、真っ白で真珠のようだから「 真珠腫 」と呼びます。
 陥凹した袋の中のカスは、やがて炎症を引き起こし、鼓膜を障害します。
 白血球等の炎症細胞の放出するいろいろな酵素やサイトカインと呼ばれる物質が
鼓膜上皮を増殖させたり、まわりの骨を破壊吸収します。 
 こうしてまわりの骨や組織を破壊しながら大きくなっていくのです。