筑後川の日本人。

明日の日本が、より良い国家になる為に。

私の尊敬する。奈良の宮司さんのブログから。頂いて。自分の人間修養の為にアップした。

2019-09-20 10:18:33 | 初心者のブログ作成

『愛の定義』 「愛の定義」とは何か? これは難しい課題だった。

いつも大きな壁にぶち当たり、本質が見えなかった。

「愛の定義」が、うっすらとわかりかけて来るのに 70年もかかった。

愛することの素晴らしさにやっと78歳にして、気が付きはじめた。

少し遅い気もするが

だが、生きている間に、気が付けただけましである。 死んでも気が付かない人は悲しい。

「愛の定義」それは、 「愛は心を受けるもの」であるということ。 「愛は尊敬」であるということ。 「愛は、あるものではなく、育てて咲かすもの」だということ。 「愛は、与え尽くして見返りなど求め無い」ということ。 これこそが原点であることが見破れた。

愛は、「顔でもスタイルや整形かそうでないかでもなく」 「お金持ちか地位があるか収入の高い低いでも

学歴でも家柄がいいかでもない」のだと言うことだ。

 

だから「愛は、自分を捨てて相手を思いやり」 「愛は、すべてを与え尽くすものだ」と気が付いた。

「愛は、自分を愛せないと人も愛せない」ことに気が付いた 「愛は、自分を愛するだけでは不十分で人も愛さなければない事」に気が付いた。

「愛は、自分も人も愛して、そして他国の人も愛さなければ本当の愛ではない」と気が付いた。

「愛は、自分も愛して、人も愛して、世界の人々も愛して そして地球を愛するようになってこそ、本物だ」と気が付いた。

「愛は、人間だけではなく、花も虫も鳥もすべての生きているものすべてを愛する事が大切」だと気が付いた。

だから「愛の定義」は一言では言い尽くせないが・・

結論としては

「自分のことは、さておいて、人にやさしくなれるように」祈ることだと気が付いた。

 

78年もかかった気が付いたこの「愛の定義」を 残りの人生で、大切にして生きさせてもらいたい。

「愛することは見返りなど求めず、与え尽くすことなんだ」という

「愛の原点」を忘れないでおこう。

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