飯山水害「なぜ皿川は氾濫したのか」の2

2021-06-19 12:33:55 | 日記

さて、前のページでは台風19号襲来時の飯山地方の河川の危険度分布、カラーパターンを確認しました。それで、その時に飯山地方の実際の浸水状況はどうであったのか、河川事務所が報告しています。

令和元年東日本台風(台風第19号)による千曲川・犀川出水状況 : http://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/bousai/shussui/20191012kouzui/sokuhou.pdf

上記資料の25ページに飯山地方の浸水した場所が赤く色付けされ識別できるようになっています。

それに対して飯山市が公表した浸水場所は以下の資料の後ろから2ページ目にあります。

令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】 : https://www.city.iiyama.nagano.jp/assets/files/senryaku/press/1028iiyama.pdf

一目で飯山市の報告が大幅に過小報告になっている事が分かります。特にひどいのは戸狩、広井川樋門から南側の広いエリアが浸水した事が飯山市は報告していない事です。

同様にまた、柏尾橋の下流、右岸側の浸水は報告されていません。そうしてまた同様に宮沢川の氾濫も無視され、報告されていません

飯山市の報告は以上の様に「相当に信頼性がない」という事が分かります。


飯山地方の洪水の危険度分布との関連

前ページで確認したように千曲川、樽川、広井川はカラーパターンを確認する限りでは相当にあぶない状況でした。

千曲川は静間バイパスの北と南で氾濫、それから川面地区で氾濫しました。カラーパターンの予測があっていた事になります。

樽川は幸運な事に氾濫は起こりませんでした。

そうして広井川も広範囲にわたって氾濫した様に見えますが、ここのエリアは日光川樋管のゲート半開きによる千曲川からの逆流の影響が含まれますので、単独で広井川が氾濫したのかどうか、判別がつきません。

また戸狩の今井川遊水地を含む場所が氾濫した様にみえますが、カラーパターンでは今井川は紫パターンまではいっていません。この部分も日光川樋管からの千曲川からの逆流の影響があったとおもわれ、今井川単独で氾濫したのか疑問が残ります。

そうして危険度分布では川を流れ下る水量としてはそれほどに危ないとはなっていなかった宮沢川と皿川が氾濫したのでした。

さてこれは一体どうしたことでしょうか?

宮沢川と皿川に共通する事

いちおう宮沢川と皿川を対象にして話をすすめます。両方ともに西の山に降った雨水の影響を受けます。そうして最終的に千曲川に流れ込みます。その流れ込む場所には樋門が設置され千曲川の水位上昇に伴い、支流側にバックウオーターの影響がでてきて支流の水位が上昇し、支流氾濫の危険が想定される場合は樋門のゲートをおろして排水ポンプによって支流の水を千曲川に排出する事になります。

宮沢川樋門は確かにゲートを降ろしました。そうして準備した排水ポンプを稼働させた模様です。だが排水ポンプの排出量が十分ではなかった為にその場所では支流の水が宮沢川と千曲川堤防に挟まれた、田畑の部分にあふれ出しました。

皿川はどうだったのでしょうか?皿川もまた千曲川の水位上昇にしたがってバックウオーターの影響がでてきて皿川の水位が上昇します。

問題はその次の状況です。皿川の水位が上昇し、樋門入口のトンネル上端をこえてそれをふさぐほどになった時に、今までは千曲川に流れ出していた皿川の水が流れださなくなりました。

そうして急速に皿川の水位が上昇し始めたのでした。皿川上流からはそれなりの流量で水が流れ込みますから、千曲川に排出されない水はどんどんとその場所に溜まりこみ、皿川ダム湖を作り出していきます。

そのダム湖の上限は上流にある英岩寺橋上流まで千曲川堤防から550mの距離を持ちます。

その様にして皿川ダム湖に溜まりこんだ水が13日の2時15分に左岸、有尾側に越水し始めたのでした。

そうしてまた同じころに皿川右岸堤防とJR線路との交差する部分から越水が始まりました。

これが皿川が氾濫した当時の状況です。

さてそうなると「なぜ急に今まで流れ出していた皿川の水が千曲川に流れ出さなくなったのか?」という事になります。

仮説その1:それで河川事務所はこういうのです。「それは皿川樋門のゲートを操作員が降ろしたからだ」と。(注1)

仮説その2:それに対して当方の主張する所は「バックウオーターによって皿川の水が千曲川に流れ出さなくなった」と言います。

仮説その2はしたがって「皿川樋門は開いていた。ゲートは降りていなかった。」とも主張しています。

いずれにせよ、皿川が氾濫した原因は

原因その1:「皿川の水が千曲川に流れ出さなくなって、その場所に水が溜まりこみ、皿川ダム湖をつくりだし、ついにはあふれた」という事になります。(注1)

原因その2:水がたまってきた時に「排水ポンプによる皿川の水を千曲川に排出する作業を行わなかった」ので皿川の水はあふれ出したのでした。(注1)

ちなみに「仮説その1」を採用した場合「なぜ排水ポンプ車を皿川に事前配置してから樋門のゲートを下げなかったのか?」という「非常に大事な、常識的な疑問」がわいてきます。

そうしてその疑問に対する答えは今の所、飯山市あるいは河川事務所のいずれからも提示されていません

その様に排水ポンプを事前準備してから樋門・樋管のゲートを降ろす、というのは常識でありゲート操作の基本的な手順です。

実際に宮沢川樋門、日光川樋管、今井川樋管ではその様な「事前の排水ポンプの準備」がなされておりました。(注2)

おだての排水機場と広井川樋門は自前の備え付けの排水ポンプを持ちます。

さて、ではどうして皿川樋門のみ、排水ポンプの事前準備なしで樋門を閉めたのですか?

「仮説その1」を採用した場合はこの疑問に答える必要があります。

注1: 皿川ダムが満杯になってあふれる直前の画像。橋の横を通してあるパイプのすぐ下に水面が来ている。パイプに取り付けられた矢羽根が左端に一部写っている。 : https://archive.fo/8BoDL 

同じ場所の昼間の画像、皿川橋の歩道の上からパイプごしにダム湖水面を写したと思われる。 : https://archive.fo/UIiXi

この写真を撮った後皿川はすぐに越水しこの方はその事を市役所に通報しました。: 写真にあるコメントー>10/13 02:15皿川の高水福祉会側に越水が始まったので市役所に通報 :  https://archive.fo/lEUqK

この時には排水ポンプ車も樋門操作員も樋門操作室の明かりも確認できなかった、と証言されています。同様にして「12日の21時から皿川樋門に出向いて警戒していた、とされている樋門操作員および樋門操作室の明かり」は13日の1時にも確認出来なかった、とこの方は言われます。

この方のガレージが皿川越水場所のすぐそばにあるために1時にも皿川の様子を見に来ていたのです。だがそのときも皿川樋門周辺はまっくらで、皿川橋の街路灯の明かりのみがついていたのでした。そうしてこの場所からは皿川樋門操作室がはっきりと見通せるのです。 : https://archive.fo/8OtKY 

さてこの年の翌年7月にも千曲川増水がありました。その時のこの方の投稿記事です。 : https://archive.fo/TiPQw :下から1枚目と2枚目に今回の状況の写真があります。一枚目は警戒中の車の写真、そして2枚目は皿川樋門操作室の2つの窓に灯る明かりです。

この記事にある様に「台風19号、千曲川増水、皿川氾濫の時にはこのようではなかった」と証言されています。

そう言う訳で、2つ目の重要な質問が提示されます。

「仮説その1」で登場する「ゲートを1時44分に下した」とされる樋門操作員は皿川樋門で12日21時から監視業務に従事し、そうして本当にゲートを降ろしたのですか? なにより操作員は1時44分に皿川樋門にいたのですか?

追記 :河川事務所が提示してきた「委託樋門操作員提出の皿川樋門操作報告書」。: https://archive.fo/NOD6b :そこには操作員が12日の20時55分から警戒態勢に入った、と明示されています。そうしてゲートを下げた時刻が13日の1時44分。さてそうであれば12日の21時から13日の2時過ぎまでは皿川樋門操作室に明かりが灯っていた事になります。

さてその明かり、どうして皿川の水位を確認されにたびたび皿川を訪れていた楽農家さんによって確認されなかったのでしょうか?

この件詳細については、以下の記事も参照願います。

・その12・お話にならない河川事務所の回答 その2
三度現場確認されたが、樋門操作室に灯っている明かり、そうして活動中の樋門操作員を見る事はなかった。
「1時44分に樋門を閉めた」と河川事務所が主張している樋門操作員は13日にはその場所にはいなかった。

注2:戸狩地区 日光川樋管、今井川樋管、広井川樋門についてのポンプ車の事前配備および追加配備状況については以下の記事を参照願います。

・その10-1・今回初めて排水ポンプ車の事前準備なしで皿川樋門を閉じました。
『「千曲川堤防に危機が迫っているので皿川樋門を閉めた」と主張する河川事務所の説明には相当な無理がある。
そうして当方の主張は「皿川樋門は閉じられなかった」であり、河川事務所の主張とは真逆です。
今回の飯山水害の悲劇は「妥当な水防計画を飯山市が立てる事ができなかった」という事にすべて起因しています。』

そうして宮沢川樋門については飯山市議さんの取材によって事前に排水ポンプが準備されていた事が分かっております。

追記:なぜ河川事務所は「樋門を閉めた」と言いたいのでしょうか?飯山市がたてた水防計画に従って「皿川樋門は開けっ放しだった」とは言わないのでしょうか?

それはこの皿川樋門を閉めたり開けたりする権限は河川事務所にあるからです。

そうであればいかに飯山市が「今回も皿川樋門は開けっ放しで、ポンプ車の事前準備はなし。」と決めて河川事務所とその事について事前合意していたとしても前半部分は河川事務所を拘束できません。あくまで樋門の開け閉めは河川事務所の判断、決定によるのです。

そうしてあの超大型の台風19号襲来時に樋門を開けっ放しにしておく河川事務所があったとしたら、それはまったく常識では考えられない存在、そんな事があってそれが原因で水害が出たとしたらとんでもない非難が河川事務所に向かう事になります。

それにくらべれば「樋門は閉めたが飯山市には連絡しなかった」と公表した方が、確かにそれでも非難はされるでしょうが、非難の程度は段違い、という事になります。

そうであれば何としても河川事務所は「樋門は閉めた」と言う事になります。

ちなみに後半の「ポンプ車の事前準備はなし。」という飯山市の判断には河川事務所は基本的に従う様です。そういうわけで皿川樋門にはポンプ車は事前配備されませんでした。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧