
さよなら公演ということがなかったら、
再演がなかったかもしれない仁左衛門&玉三郎の郭文章吉田屋
当初あったリクエストに応えて、という文言が消えたとはいえ、
圧倒的要望の多かった仁玉コンビ、
期待したとおり、いえそれ以上に堪能できたのでした。
仁さまの花道、
出端の立ち姿、手のしぐさ、
編み笠をとってのお顔の美しさ、
奥へ入っていく仁さまだから艶っぽい足取り、
今日は初っ端から全然違ってみえるのは、なぜ?!
昨年3月の阿呆なボンの伊左衛門、とはちがうのよー
垂れまゆを強調した三枚目のメイキャップを変えてきてる、
二枚目のやつし、でよかった!!
やがてそのわけがわかる!!
待ちに待った夕霧の登場、
私たち観客も待っていた玉さまの夕霧、
この世のものとは思えない…美しさ!!
ふっーと思わず、感嘆のためいきがもれます!
「わしゃ、わずろうてなー」と言われる色男ですもの、
仁さまも目いっぱい美しくなくちゃねー
ジャラジャラと、たわいもない二人の繰り言も、
竹本と常磐津にのると、和製オペラのアリア、
一幅の動く屏風絵です。
前半の仁さまのしなやかな踊り、
後半の夕霧の品格、包み込むような情の深さ、
これは玉さま独自の夕霧という女性の造形美なのね、
それを象徴するのは、恐らく新調したであろう金糸縫い取りの打掛、
これにはどよめきが起きましたよ!!
ところで、扇屋の夕霧、実話に近いのは「名残りの正月」のほうなのね。
一子をもうけるけれど煩って死んじゃう、哀しい結末なんだけど
絶世の美貌なので、惜しんで幽霊になって愛しいひとに会わせたり、
郭文章のように生返らせて添い遂げられるようにしたり、したのね。
でも、やっぱり身請けしてハッピーエンド、じゃない、なにかあわれな余韻が残る。
ちょうどこのあとの演目、曾根崎心中のふたりと紙一重、表と裏、のような…。
けだし、藤十郎のお初と玉三郎の夕霧は似た境遇なのねー。
今夜の曾根崎心中は、奇しくも1300回、
すごいことですね。
でも、仁さま玉さまのすぐあとの藤十郎&翫雀親子の登場、
すぐには心中ものの世界には浸れません…、これは仕方がないわね。

この世の名残り夜も名残り、
死にゆく身をたとふれば、あだしが原の道の霜、
一足ずつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め
曾根崎心中は近松のこの名文、がすべて、だと私は思うのです。
ですから、藤十郎が復活させた歌舞伎曾根崎心中には違和感があります。
徳兵衛を貶めた九平次(悪役の橋之助すてきだった!)の悪事が露見、
おじの平野屋主人が実はふたりを一緒にするつもりだったとか、
それでは、本来ハッピーストーリーなのに、
お初徳兵衛の心中は時間差で防げなかった、ということに。
うーん、確か文楽ではそういうストーリーではないですよね。
不条理にも、やむにやまれぬ窮地に追い込まれ、死ぬしか道はない、
愛の昇華、としての心中、近松の心中ものはそういう必然性を感じさせました。
だから、この名文が心に染みるのだと思うのですが…。
でも和事の世話もの?ですから、大坂の庶民が納得してみれるものがのぞまれるのでしょうか。
1300回ということで、幕が降りてから、藤十郎の感慨深いご挨拶がありました。
藤十郎さんの地の声、ホントに浪花の役者らしい! これには感動しました。
2008/04/24観劇 歌舞伎座
再演がなかったかもしれない仁左衛門&玉三郎の郭文章吉田屋
当初あったリクエストに応えて、という文言が消えたとはいえ、
圧倒的要望の多かった仁玉コンビ、
期待したとおり、いえそれ以上に堪能できたのでした。
仁さまの花道、
出端の立ち姿、手のしぐさ、
編み笠をとってのお顔の美しさ、
奥へ入っていく仁さまだから艶っぽい足取り、
今日は初っ端から全然違ってみえるのは、なぜ?!
昨年3月の阿呆なボンの伊左衛門、とはちがうのよー
垂れまゆを強調した三枚目のメイキャップを変えてきてる、
二枚目のやつし、でよかった!!
やがてそのわけがわかる!!
待ちに待った夕霧の登場、
私たち観客も待っていた玉さまの夕霧、
この世のものとは思えない…美しさ!!
ふっーと思わず、感嘆のためいきがもれます!
「わしゃ、わずろうてなー」と言われる色男ですもの、
仁さまも目いっぱい美しくなくちゃねー
ジャラジャラと、たわいもない二人の繰り言も、
竹本と常磐津にのると、和製オペラのアリア、
一幅の動く屏風絵です。
前半の仁さまのしなやかな踊り、
後半の夕霧の品格、包み込むような情の深さ、
これは玉さま独自の夕霧という女性の造形美なのね、
それを象徴するのは、恐らく新調したであろう金糸縫い取りの打掛、
これにはどよめきが起きましたよ!!
ところで、扇屋の夕霧、実話に近いのは「名残りの正月」のほうなのね。
一子をもうけるけれど煩って死んじゃう、哀しい結末なんだけど
絶世の美貌なので、惜しんで幽霊になって愛しいひとに会わせたり、
郭文章のように生返らせて添い遂げられるようにしたり、したのね。
でも、やっぱり身請けしてハッピーエンド、じゃない、なにかあわれな余韻が残る。
ちょうどこのあとの演目、曾根崎心中のふたりと紙一重、表と裏、のような…。
けだし、藤十郎のお初と玉三郎の夕霧は似た境遇なのねー。
今夜の曾根崎心中は、奇しくも1300回、
すごいことですね。
でも、仁さま玉さまのすぐあとの藤十郎&翫雀親子の登場、
すぐには心中ものの世界には浸れません…、これは仕方がないわね。
この世の名残り夜も名残り、
死にゆく身をたとふれば、あだしが原の道の霜、
一足ずつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め
曾根崎心中は近松のこの名文、がすべて、だと私は思うのです。
ですから、藤十郎が復活させた歌舞伎曾根崎心中には違和感があります。
徳兵衛を貶めた九平次(悪役の橋之助すてきだった!)の悪事が露見、
おじの平野屋主人が実はふたりを一緒にするつもりだったとか、
それでは、本来ハッピーストーリーなのに、
お初徳兵衛の心中は時間差で防げなかった、ということに。
うーん、確か文楽ではそういうストーリーではないですよね。
不条理にも、やむにやまれぬ窮地に追い込まれ、死ぬしか道はない、
愛の昇華、としての心中、近松の心中ものはそういう必然性を感じさせました。
だから、この名文が心に染みるのだと思うのですが…。
でも和事の世話もの?ですから、大坂の庶民が納得してみれるものがのぞまれるのでしょうか。
1300回ということで、幕が降りてから、藤十郎の感慨深いご挨拶がありました。
藤十郎さんの地の声、ホントに浪花の役者らしい! これには感動しました。
2008/04/24観劇 歌舞伎座
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