心音(しおん)の行川(ゆくかわ)のながれは絶えずして

感じたこと、考えることを綴ってみます。

自分の命の使い方

2019-12-08 22:22:34 | 魂について
自分の命を使うというより、実際のところ、命が自分を使っていると思うのですが。

真面目な人、一生懸命な人が一生懸命に生きても暮らしが楽にならず、過労からうつになり過労死にまで追い込まれる現在の日本で

でも、大らかに生きて、(というより、図々しく生きてのほうが正しいのかもしれません)いる人を見ると

その違いは何だろうと思うのです。

自分をコントロールする、という言葉は何となく自分の感覚にそぐわず。

自分の疲労の限界を超えてまで何かを行うことは正しいことではありません。

それでは、生きる為に仕事をするのではなく、仕事をするために生きていることになります。

まずは生きて生きて生き抜いて。

その為には、逃げることも必要です。

人は今の環境を変えること、変わることに大変抵抗を示すものです。

でも、人は慣れます。

自分の命を誰かに握らせてはいけません。

自分の命をどう使うかは自分と天、神といった存在で決めることです。

他人が決めることではありません。

ですから、自分の命をどう使おうかと考えることは、

少なくとも、自分でありたいと願うこと。

自由であるということは、その生存においての戦いで手にいれるもの。

自由、平等、平和

これらは何もしなくてもたらされるものではありません。

手にいれる為の戦いが必要です。

明日、何をしようか、どこに行こうか、誰と会おうか

このような計画は、


自分の命をどう使うかの計画であり、自分の命(時間的)を計測しているようなもの

まずは自分の命を守ることを最優先とし、そのうえで仕事、学校、家庭の人間関係の環境があるのです。

何をおいても考えるのは自分の命をどう使うか。

守りたいものがあるとき、ここぞという時、

自分の命を賭すことが出来るのは、普段から自分の命と向き合い、自分の命の重みを感じているからこそ。

事に臨んで動揺しない強さとは、自分の命と向き合えるか。

有限の自分の命を無限にひろがる世界に注ぐことで自分の命が生かされる。

自分の命(有限)と世界(無限)が融合すること。

これを神道においては、神人合一(しんじんごういつ)と言いますね。

生きるということ

2019-12-08 22:15:16 | 魂について
生きるということは、自分の力を出すということ。

さらに言えば、自分の力をこの世界に注ぎ続けるということ。

生きるということは自分単独では無く常に世界と共にあり。

生きるということは意識してもしなくても、力を出し続けるということ。

でも、もし、意識して自分の力を出すのなら

今日一日の自分の命の重さを感じることが出来るでしょう。

生きるということは、自分の力を出すということ。

生きるということは、本来、とてもシンプルで純粋なこと。

どんなに社会が複雑化しようと、科学が進歩しようと、医療が進歩しようと

人が一生命体であることに変わりはありません。

韓国「中国の核の傘」発言、真実なら、韓国は戦場となるであろう

2019-12-08 10:01:31 | 国防
何の柱も持たず、あっちにふらふら、こっちにふらふら。

日本は核武装し、中国、韓国から自国を防衛する国家防衛に全力を尽くすべき。

インドとの防衛協力により、挟み撃ちにする防衛手段に最も力を入れたいところ。

こんな世界情勢で、日本の国会が桜を見る会の追求など生ぬるいことをしていますが、追求する側を徹底避難し、

国会議員の職務怠慢で議員資格はく奪させないと、スパイ議員たちのやりたい放題です。

この状況で国防が論じられないなら、議員たちは総辞職すべきです。

国会で議論すべきは、テロ対策、国土防衛、尖閣防衛、決して「桜を見る会」では無い・・国益にならない野党

2019-12-08 09:49:06 | 国防
野党が帰化人の集まりで、日本の防衛に関することを議題として取り上げないのが事実なら、国民はその正体が本当なのだと納得します。

国会で「桜を見る会」の追求をする茶番劇で時間と経費を無駄にし、その間にも、敵国工作員は日本に入り込みテロ活動への準備を進めていると

いうのに。

国家防衛、テロ対策、毎日行われている中国、ロシアからの領空領海侵犯について国会で議論にならないなど、言語同断です。

今も、この瞬間も尖閣では中国軍船が尖閣を取り巻いているというのに。

野党の帰化人がいきりたっている時は、まさに日本が国防の危機に晒されている時だと心しておいてください。

彼らのくだらない工作で、われわれの平和な生活が崩されているのです。

何よりも、日本国民が敵国からの侵略という「危機感を感じる」ことから目を逸らすことが彼らの第一の使命です。

領空、領海侵犯が起これば、全国で警報を鳴らさない限り、我々が今、日本に起こっている危機を知ることはない。

安全と平和はただではありません。

自分以外の誰かが昼夜を問わず守ってくれているからこそ、安全と平和があるのです。

危機に対して無関心であることは、敵と同じです。


日本人が最も鈍感なもの「危機感」

危機感を感じるから、体を鍛え戦闘に備える。

武道を習い、心身の鍛錬を行う。

そういう、自分の命を守る為の当たり前のことを失うことは、生命体にとって致命傷です。

何もしておらず何も守れません。

他人は助けてはくれません。

自分の命を誰かを守りたいなら、危機感を感じ、対策を講じるのは当たり前のこと。


この当たり前のことが敵国工作員たちによって日本の国会で議論されることがない。

まず、この腐った国会を何とかしないといけません。