心音(しおん)の行川(ゆくかわ)のながれは絶えずして

感じたこと、考えることを綴ってみます。

男子400Mリレー 釈然としない やりぬく姿勢の欠如

2021-08-07 08:01:47 | 諸々の所感
選手たちで無ければわからないことなのでしょうが。

「攻めた結果」
「誰も悪くない」

このような言葉が一体、誰の口から出ているのでしょうか?

勝負の世界ですから、攻めるのは当たり前

それを「誰も悪くない」に繋がる思考に違和感を感じます。

国民の血税で行われている試合に、そのような軽率な言葉が出てくるのが不自然です。

会社であれば、経費を使って結果を出せなければそれなりの処罰がくだるでしょう。

何事もそうです。

結果は結果で良いと思うのですが、何よりも棄権とは何事でしょうか。

やりぬくこと、これが欠落しています。

金メダルをとれなければ「やーめた!」

それで良いのでしょうか。

五輪という大舞台で、まるで我儘が炸裂しているように感じます。

誰も悪くない、などど気持ち悪いコメントにも違和感を感じます。

彼らは何の為に、誰の為に競技をしているのでしょう。

国民でも世界の誰かの為でもなく、ただ、自分たちの満足の為に競技をしているように感じます。

失敗してもやり遂げる、そのようなことは練習しないのでしょうか。

簡単にあきらめて、「誰も悪くない」の言葉はちょっと・・・・

みんな、必死で生きて「お前が悪い」怒鳴られながらも働いて、そんな人々からの血税で行われている五輪です。

五輪自体で権利まみれと聞きますが、もっと美しい精神性の高さを持ち合わせないと見る側に不快感を抱かせるのではないでしょうか。

何が起きても最後までやり遂げた、

その姿勢に見ている者は感動する。

なぜ、途中で走るのを止めたのか、そのコメントはあるのでしょうか。

バトンミスで失格でも、走り遂げる。

結果とはその思いを見せるものでは無いのか。

言い訳出来ない・・・その現実を監督や先輩は教えるべきではないのか。

言い訳出来ないからこそ、やり遂げる。

まるで練習中のような走りでした。