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癒さぬ傷口が 栄光への入口

『ハヤブサ消防団』《2023夏/木21》(終了)

2023-09-28 | テレビ。

さて7月期ドラマのざっくりまとめは先に出しましたが、特に面白かったものについて書きますね。
まずはこちら。




ハヤブサ消防団

=スタッフ・キャスト=
原作:池井戸潤
脚本:香坂隆史
演出:常廣丈太 他
出演:中村倫也 川口春奈 山本耕史 満島真之介 古川雄大 岡部たかし 梶原善 橋本じゅん 生瀬勝久
音楽:桶狭間ありさ
主題歌:ちゃんみな『命日』

=イントロダクション=
その土地には、《触れてはいけない闇》が潜んでいた…。
舞台は、銀行でも企業でもない!山あいの《小さな集落》で起きた不可解な連続放火、そして殺人――!?
(略)

稀代のヒットメーカー・池井戸潤氏の真骨頂である、新機軸ミステリーが、『木曜ドラマ』枠に登場!
主演・中村倫也がこの夏、《戦慄のミステリー》に見る者を引き込みます!
「感動的な巡り合わせ」――8年ぶり池井戸作品への参戦に、中村も感慨!

(略)

 物語は、スランプ気味の作家・三馬太郎が亡き父の故郷、山間の“ハヤブサ地区”に移住するところからはじまります。都会のストレスから解放され、穏やかな生活が送れるかと思いきや、地元の消防団に加入したのを機に太郎は連続放火騒動に巻き込まれ、さらには住民の不審死など怪事件に遭遇! 真相を探りはじめた太郎の前に浮かび上がるのは、集落の奥底にうごめく巨大な陰謀で――!?
 働くひとたちを主人公とすることの多い池井戸作品ですが、氏は銀行ミステリーの誕生といわしめた『果つる底なき』でミステリ作家の登竜門である江戸川乱歩賞でデビューし、作家としてのキャリアをスタートさせました。この『ハヤブサ消防団』はミステリ作家としての氏の《原点にして新境地》ともいうべき作品。田舎町という《小さな異世界》を舞台に、予測不能なストーリーがスリリングに展開していきます。
 池井戸氏の中でも異彩を放つ作品であることはいうまでもない本作、医師や刑事を主人公にしたコンテンツを多くお届けしてきた伝統の『木曜ドラマ』枠にとっても、超異色のドラマが誕生します!
(略)


※相変わらずイントロダクション下手くそですね…。「!」多すぎやろ…。
というようなわけで↑は抜粋しました。

原作も読んでいないし、全くあらすじも知らず、このタイトルで中村倫也が主役?田舎の消防団を再生させてく的な…?と思ったら予告見たら普通にサスペンスっぽいし見てみたら
「田舎のどか」「田舎閉鎖的」「おっさんばっかり」「虫こわい」「火事」「火事で高揚してうっかり消防団入る主人公」「一言も喋らない謎のヒロイン」「謎の老婆とそれに従う数人の人々」「急に死体出た」
で一気に引き込まれました。

ヒューマンドラマの側面を見せながら、ミステリーとしてはなかなか先が見えず真綿で首を絞められるようにじわじわ不気味に危険が迫っているような嫌な感じが続いた上で終盤一気にカルト宗教に収束していく気持ち悪さ(褒めてる)。
連続放火。
殺人。
意図的に流された噂。
閉鎖的な筈の田舎コミュニティに巧みに入り込む余所者。
いつも通りの日常を送っている間に、”目的”を持って入り込み侵食し増殖していく余所者たち。
気付いた時には自分たちの居場所まで奪われそうな状況にまで事態が進んでいる。

この不気味さは、単なるフィクションの世界を彩る要素ではない。

題材がカルト宗教なだけに、日本人なら直通で思い浮かべる事件があるはずだ。
原作未読だしそれに関するコラムなども読んでいないので、原作者の池井戸潤は自身の故郷の”田舎のコミュニティ”を舞台に書きたかった他にここに登場するカルト宗教についてひもとくことがどの程度書く目的の中に入っていたかは知らない。
しかし日本を騒がせた”あの教団”のあの”教団施設”が存在して何度も繰り返しテレビでその名を連呼された村のことを思わずにはいられなくなった。あの村だってそんなことで全国ニュースに名を呼ばれたくはなかっただろう。ハヤブサ(八百万町隼地区)もそうなっていたかもしれない。そんな恐ろしさがある。

ハヤブサで、主人公・太郎を取り巻く人々として登場した消防団の面々。都会で疲弊し(序盤にはその内容は詳らかにはされない)田舎に移住した立木彩。父の菩提寺であり、地域の殆どを檀家に持つ寺の住職。地域に一軒しかなく、住民の社交場となっている居酒屋。普通の人々として登場し、主人公と日常を共有してきた人たちの中に、カルトに傾倒しその目的を胸に秘めた者が何食わぬ顔で存在する。
ソーラーパネルの営業員として余所者ながら地域に入り込んだ真鍋などは、最初から「怪しい人物」とわかる描写がされているが当初はその目的はわからない。

やがてカルト教団『聖母アビゲイル教団』──かつて凄惨な事件を起こし解散に追い込まれた教団『アビゲイル騎士団』の後継組織である──がその象徴、信仰の対象”聖母”として掲げた”山原展子”の故郷であるハヤブサを教団の聖地とするために土地を買い漁っていることが明らかになってくる。立木彩も、消防団の一員であった徳田省吾も、アビゲイルの信者でありその目的の為なら仲間を欺くことも厭わない。

徳田が連続放火の犯人であることを突き止めた太郎たちに対し、ぺらぺらと抗弁を並べていく徳田の様子が実に”とある思想(教義)に思考のルートを支配された人間”の怖さを醸し出していて、演じた岡部たかしの上手さも相まってこのあたりが怖さの最高潮だった気がする。
(教義に従う)自分は間違っていないと信じる人間の、俗世で犯罪とされることを行ったことすら教義のために行った正しい行いだと信じる人間の、狂気を帯びるほどに純粋で真っ直ぐな眼差しの恐ろしさ。

彩は彩で、太郎に恋愛感情を持ったことで教義に疑問を抱くこと揺れることはあっても、自分が救われてきた教義を否定することは出来ない。自分が信じてきた”聖母”の神秘性や物語性(新約聖書におけるイエス・キリストの物語のような)を覆すような、太郎が調べてきた現実の”山原展子”の悲運と苦悩に満ちた生涯も受け入れることが出来ない。この場面の彩の反論する様を見ていると、一見聡明そうでもマインドコントロールを受けている人間はここまで頑固になるのかと背筋が寒くなる。

そしてそれを意図的に操っている側の人間。
『アビゲイル騎士団』の教祖や幹部は事件により逮捕され死刑判決を受けたが、取り残された信者の受け皿として動いたのは”新しい教祖”ではない。杉森はおそらく自分にそのような(教祖たる)カリスマ性は無いことを自覚していて、”聖母”(山原展子)が故人であり遺骨が手元にあることをいいことに、『信仰の対象はあるが教祖がいない』という教団として細々と、しかし着実に信者を増やしてきたのだろう。
アビゲイルは(というか杉森は)ここで”聖地”を手に入れ、これまで遺影と遺骨しかなかった信仰の対象”聖母”を肉体を持った存在として信仰を確かなものとするために彩を選んだ。
生きて存在し、言葉を発し、信者を導くことの出来る信仰の対象。それが現在の”アビゲイル”に唯一足りていないものだったのだろうから。

マインドコントロールなどお手の物、な杉森らが最初に?ハヤブサで仕掛けたのは、噂を流すことだった。
1話で遺体が見つかったヒロキが連続放火の犯人だという噂があっという間に地区全体に広まっていて、『あいつは悪い連中と付き合いがあったから』などと結論付けられている(実際は営業の時に真鍋が噂話として拡散した)のが怖ろしく、ぞっとする。
”噂”は無責任で無秩序に広まるもの。誰かが悪意を持って迅速に流れるように行動すれば、あっという間にでまかせでも”真実”のように人の心に残ってしまう。「ここで聞いた同じ噂をあっちでも聞いた。みんなその噂を聞いたと言っている。だとしたらきっと真実なのだろう」という具合に。やがて、伝聞でしかないのにそれが真実であるかのように断言して語る者が出てくる。なんならご丁寧に憶測の周辺情報や動機などの尾ひれがついてくる。それをまた信じる者が出てくる──。根拠の無い噂が真実だという認知はそうやって完成する。
彼らはその効果を熟知してやっているのだ。

太郎が説得しても、実際の展子をよく知り『アビゲイル騎士団』の狂気を知る映子に話をきいても、すぐには自分の信仰を手放すことが出来なかった彩。
”新しい聖母”としての最初の演説をするべく山に向かっていた彩が見た”山原展子”は、彼女にそう言ってもらいたかった自分の心が見せた幻か、それとも聖母という役割に祭り上げられたままきちんと葬ってももらえなかった展子の無念が形を持ったのかはわからない。

彩が”信仰”から解放されるには、その信仰の対象である”聖母”の赦しが必要だったのかもしれない。

ならば、立木彩は『アビゲイル教団』の支配は解けたかもしれないけれど、山原展子”聖母”への信仰は実は失えずにいるのかもしれないとふと思う。


後日談として『聖母アビゲイル教団』を率いた杉森や実行犯を担っていた真鍋は逮捕され、彩もまた逮捕されて収監されていることが描かれる。彩は実質はたいした犯罪は犯していないと思うのだが『カルト教団の幹部』として厳しめの判決が下ったのかもしれない。そのあたりは現実の判例など調べていないのでよくわからないけど。
山原展子の遺骨は兄である住職の手に戻り、二度と教団に利用されない為だろうか散骨された。
教団に追われ監視されていたために自失している芝居を続けていた映子はもとの姿に戻ることが出来た。
展子の遺骨を失い彩を失った『アビゲイルの生き残り』はどうやら新たな”聖母”を作り出すことに成功したらしく、また地道に新しい信者を増やそうと蠢いている。どんな世にも、救いを求める人間がいる限り宗教は無くならないしそれを利用して過激化するカルト宗教というものも無くならないのだろう。
ハヤブサを『アビゲイルの聖地』化する計画が頓挫したこと、山原展子の遺骨はもう無いこと=山原展子は聖母として使えなくなった=展子の故郷であるハヤブサに拘る理由が無くなったこと──などから、おそらくアビゲイルが再びハヤブサを狙ってくることは無くなったと考えていいのかもしれない。ただ、あの生き残りたちはまだ別の土地を狙って何年後かに同じような騒ぎを起こすかもしれない。

アビゲイルの生き残りたちが活動していると察することが出来る場面を挟むことで、いずれまた繰り返す予感を仕込んでいたわけだが、「続編の匂わせでは?」と予想する意見にはあまり頷けない。それは野暮というものだろう。
太郎はハヤブサでもとの生活(執筆活動の傍ら家庭菜園をやったり消防団の仕事をしたり)に戻り、おそらく実刑だとしてもそれほど刑期は長くないだろう彩が戻ってきたら一緒になることもあり得る。だから、この「ハヤブサ消防団」というタイトルの物語は続編を作ろうと思えばいくらでも可能だとは思う。
ただ、それはもうカルト教団の話ではなく何か別の事件が起こって、また消防団という名の探偵団が動き出す時。そういう”続編”ならまた見たいと思う。



アビゲイル騒動はともかく、消防団の面々は”どこででも見かける”くらい引っ張りだこだと思えるバイプレイヤーたちに支えられて日常パートはとても軽妙に描かれていた。そうやってオジサンたちに親近感を持たせておいて、省吾さんが実は…という展開は本当に鬼か??となりました。
最初から怪しかった真壁はやっぱり怪しい実行犯だったし、途中で教団が出てきたら結局教団がらみで事件が繋がっていたということで、冷静になって振り返ったらミステリの筋立てとしては特別何か驚くような仕掛けがあったわけでもどんでん返しがあったわけでも無いんだけど、これは連続ドラマとしてのシリーズ構成の勝利なのかもなぁと思います。
最後まで面白く見終わることが出来たし、ガッカリさせられることも無かったなと思う。

消防団のメンバーが揃ったあたりで、勘介(満島真之介)があまりにも能天気でアホっ子キャラだったのでこれが裏切り者だったら人間不信になるなぁ…と思ってたら最後の最後までアホっ子だったので安心しました。癒しだったよ…。
編集・中山田さん(山本耕史)の絶妙なウザキャラ具合とか、分団長と賢作さんの関係とか、本筋以外にも色々楽しませてもらいました。
いやー、休みの日とかにBSやCSで一挙放送とかやってたらまた見てしまいそう。そしたらもう勘介は最後までアホの子と思って安心して見れますね。
最後になるけど、中村倫也は本当に”何者にでもなれる役者”だなぁとあらためて感服しました。

面白かったです。ごちそうさまでした。

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