gatagata道を行く

おばさんのよもやまばなし 食べる・歩く・俳句 by sino

百夜一夜 その1

2013-06-23 23:53:53 | それ以外
まもなく私の大切な妹が満百歳の誕生日を迎えます。
私の兄妹で、現在そちらの世界で恙なく暮らしているのは
百歳になる妹一人だけです。
お祝いを兼ねて、つれづれに一話おはなししましょう。

1920年(私は10歳です。)
当時私たち一家は、軍人だった父の勤務地「金沢」に住んでいました。
父は日露戦争で旅順に赴任、203高地包囲戦に参加ののち
台湾、東京、姫路、金沢に赴任しました。
金沢では父は馬で出勤する立場でしたので、敷地内には馬の世話をする別当夫婦の家があり
内女中が身の回りの世話をしてくれました。
お隣は、前田藩家老職を務めた男爵家でした。
男爵のお出かけは3人力の人力車で、男爵お帰りの時には、「おかえり~~!」と
大きな声がかかるので、その声が私の家にも聞こえてきたものです。

男爵家には私と同じ年頃のお坊ちゃんがいて、私はよくお坊ちゃんの遊び相手になりました。
お隣からお女中が私を呼びに来るのです。
男爵家には家内電話があり、お坊ちゃんはいつもその電話で用を伝えていました。
お茶やお菓子のリクエストも電話一本です。

お菓子はいろいろで、その度ごとに違いました。カステラ様の洋菓子も和菓子もありました。
お暇するとき、このお菓子を少しいただいて帰ることがありました。私はすでに坊ちゃんと食べていますから
何とも思わずお菓子を持ち帰るのですが、これが妹たちの大きな楽しみだったようです。
百歳になる妹が当時八つ、その下にまだ二人妹がおりました。
妹たちにとって、「おかえり~~!」の声だけが聞こえてくる男爵家は近くて遠い別世界、
きかん坊の兄だけが呼ばれ、出入を許された特別な場所。そこからもたらされるお菓子は
置いてけ堀を余儀なきされる妹たちにとって、別世界からとどく玉手箱のようだったに
ちがいありません。

齢を重ねると昔のことばかり鮮明に思い出します。妹たちがともに80歳を過ぎてから、
法事か何か集まりのときでしたか、あの男爵家のお菓子のことを、まるで昨日のことのように喋りはじめました。
お菓子の土産をそんなに楽しみにしていたのなら、もっといただいて帰ったらよかった・・。
今、百歳を迎える妹に、私はあのころのお菓子をプレゼントしたいと思うのです。


コメント (5)
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