gatagata道を行く

おばさんのよもやまばなし 食べる・歩く・俳句 by sino

俳句談議

2011-05-31 23:44:47 | 俳句
土曜日 花亭よ-よにお邪魔して俳句のはなし
よーよさんは今年から俳句をはじめた
何冊か入門書をお貸ししたり、聞くに聞けない小さな疑問など
こちらも曖昧な回答はできないから、雑談だけれど時折気の引き締まる思い

いまさらながら季語の底力について

でも、そこは女二人のおしゃべり
お抹茶をいただきながら
写真の話に移り、博多談議になり、北九州河内の大藤の話、角館の桜の話
移る移る
お昼もご一緒して失礼した

ランチはよーよ亭徒歩1分、堀川にかかる五条橋脇にある
「ブランカ」
お薦めのタイ風カレーを注文
このカレー、とっても上品なタイ風で野菜たっぷり
辛さは若干抑え気味 けれどオイシイ
デザートプレートもイケる
丁寧な仕事ぶりが気にいった

ここ2-3日の薔薇の写真は
事務所のベランダの薔薇園
ボスが育てている薔薇たち


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落款

2011-05-30 21:02:23 | それ以外
長束有峰さんが落款を作ってくださった
やさしい線の仮名文字
なんでも仮名のデザインをいろいろ試したいそうで
事務所関係の女性6名がいただいた
非売品
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冷蔵庫買い替え

2011-05-29 21:18:18 | それ以外
約20年使った冷蔵庫を買い替えた
壊れたわけではない
1年ほど前から、省エネタイプに替えたらどうかと検討を重ねてきた

冷蔵庫は壊れると待ったなしで購入せねばならないので
その時の在庫により気にいったものが手に入らない可能性が高い

昨年の夏、冷蔵庫の音が大きく、コンプレッサーが一生懸命動いているって感じがしたし
冷蔵庫の周りが妙に暑く、側面に触れると熱い

メーカー、サイズ、機能、価格
機種選考を終えたころエコポイント制度が終了し、アー機を逸したか・・
ところが最近某量販店で交渉を重ねた結果、昨夏の予算より安価で購入できることとなったのだ

今日大雨のなか納品
前の物はリサイクル券を貼られ運び出された
今度の物、前より大きくなったけど、出したものを納めるとなぜかいっぱい
フリーザーなどもっと余裕があるはずだったのに
********************************

それで、買ったのはシャープ

あれから1ケ月、野菜の保ちが良くなったことは確か
庫内の乾燥も軽減された感じ
どれほど節電効果があるかは、まだわからない
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桂文珍独演会

2011-05-27 23:17:25 | それ以外
よく笑った
とくに後ろの女性の笑い声が豪快で、どんなご婦人の声か気になって
何度振り返ってみたい衝動を抑えたか

今日明日名古屋で昼夜計4公演
プログラム 前座は29年の芸歴を持つ桂楽珍さん
続いて、文珍さんの世相を反映した現代もののあと
内海英華さんの都都逸
そして文珍さんの古典 中入 
おまけの一席は 袴姿で登場
ロサンゼルスの日本レストランを舞台にした
古典のリメイクで客とマスターと呼ばれる店主との英会話仕立て

文珍さんの噺が3席もある と喜んだが
3席目は15分の短編でちょっと拍子抜け

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大台ヶ原で出会った植物たち

2011-05-25 21:04:09 | Trip&Bike
大台ヶ原で出会った植物たち


ワチガイソウ 丈は4-5㎝花弁の斑点がおしゃれ

バイケイソウ

群生

大きくなると1mもの茎の先に白い花をつける 枯れているこれは残花

エゴノキ


ツクシシャクナゲ

ツツジ(アケボノツツジ?)

ヒメシャラ 樹皮がない!?ので目立つ 

イタヤカエデ 新緑って感じがさわやか

ミヤマシキミの花 背が低く10㎝くらいかな

ミヤマシキミの実 真っ赤な実が目を引く

スギゴケの花 雨の降りはじめがわかるのかしら 

イワセントウソウ これも5-6㎝の花

コミヤカタバミ けっこうあちらこちらで見かけたけど、きれいに開いているものは僅か

帰路は恒例の立寄り温泉
入之波温泉山鳩湯 (しおのはおんせん やまばとのゆ)
川上村大迫ダムのえん堤を渡りダム湖の対岸を下る
有馬温泉の金の湯のような色で湯船は鍾乳石?に覆われている
もともとは木枠の風呂、そこへ温泉の石灰質が付着したもよう
出水口も温泉が鍾乳石柱を滝のように流れ落ちる
このお湯、けがや糖尿病ほかかなり様々な薬効があるみたい
関西のTV局や力士の色紙が飾られていた

湯を出ると食堂に「かもとしし」あります。の掲示
で、鴨鍋の鴨と出汁を調達2人前2000円
野菜たっぷりの鴨鍋にしていただいた
美味しかったので雑炊も
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大台ケ原山西コース

2011-05-24 21:42:57 | Trip&Bike
朝6時 朝靄か小雨か・・地面は濡れているようだけれど
レインウェアを着ての入山かなあ

8時、あらかじめ環境省の立ち入り申し込みをした最大10人のグループに分かれ
レクチャー受講済みの押印の入った許可証を首から下げて、いよいよ西大台登山口へ
入り口の守衛室で名簿と許可証の照合 
靴の泥を落して・・他所の環境から種子など持ち込まないように・・スタート

運よく雨はまだ
私がリーダーで登録したので先頭を歩くが、これが分かりにくい
約1時間のところで殿(しんがり)にかわってもらった

昨日の東コースと違って鬱蒼とした森の中

やっと訪れた若葉の季節、木漏れ日が入るだけまし

苔だらけの道
鳥のこえ、蛙のこえ、山椒大夫のせせらぎを渡り・・
山椒魚には会えなかったが、お宝”オオセンチコガネ”瑠璃色のコガネムシに遭遇
正午ちょうどに登山口へ戻ると、いきなりの土砂降り
間一髪
屋根の下でゆっくりおにぎりとビール



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大台ヶ原山東コース

2011-05-23 20:10:08 | Trip&Bike
二十数年ぶりの大台ヶ原 低山歩こう会のスペシャル企画
大台ヶ原は三重県と奈良県の県境に位置し、屋久島と並んで屈指の豪雨地帯
日本百名山のひとつに数えられるが、立ち枯れと糸笹で有名な広々とした景色の東コースと環境省の許可を得、レクチャーを受けてからて入山する原生林の西コースがある
今回は、山荘に一泊して東西両コースをトレッキング

7時に家を出て、大台ヶ原バスセンター到着は正午
持参した昼食を済ませ、荷物を軽くして東コースへ出発
大台ヶ原ビジターセンターの脇の登山口から

標高差約250mのトレッキングなのだが、この250mのアップダウンが何度もあるから累積すると+465m-465mらしい 標準コースタイムは3~4時間

日出ガ岳(標高1694m)の展望台や絶景絶壁の鎖場大蛇(だいじゃぐら)

で時間をとるとやっぱり4時間
ほぼ曇り、ときどき青空が見える この地にしては上々の天気

鹿の親子にも会えてたし、石楠花のトンネル(満開にはちょっと早い)があったり、
嬉しいトレッキングだった


ビジターセンター帰着は5時
4時からの西大台立入レクチャーを受講する予定が間に合わず
でも、お願いしたら5時から開催してくださるとのこと
大急ぎでメンバーを集めて受講 これで明日好きな時刻に西コースへ出発できる

宿泊した「心・湯治館」は以前大台荘・大台山の家と言っていた山荘
4名で利用できる畳の個室があり、お風呂も完備
山小屋などとはいえない施設
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相撲の神様

2011-05-21 16:13:05 | Trip&Bike
北海道松前郡福島町は千代の山・千代の富士二人の横綱を輩出していることから
道の駅の隣には「横綱記念館」があるし、鎮守社福島大神宮(祭神は伊勢神宮の天照大神と豊受大神)には、立派な観覧席付の土俵がある

そして、土俵脇に立っていたのが「大力無双の神」
天手力男命(あまのたぢからおのみこと)
天照大神を天の岩戸から出すときに、岩戸をこじ開けた怪力の持ち主
土地柄というか、なんだか楽しい

今回、こちらの福島大神宮にたいへんお世話になった
宮司の常磐井さんは17代目、すてきな声の持ち主で・・そんなことはいい
この神社で行われる松前神楽は道の無形文化財。女正月には女性だけの奇祭もあるとか
(松前城にもあった)お堂の武田菱の家紋が眩しかった
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千軒蕎麦と魚まさ五稜郭本店

2011-05-20 21:27:01 | たべもの
函館到着後、最初の食事は福島町の「千軒(せんげん)そば」
町内の農家が、旧松前線の駅舎ひろば跡で栽培しているそばを
婦人会が国道沿いの店舗で提供している

到着がお昼の閉店ぎりぎりだったので、限定野菜天そばは売り切れていた
もりそばは芳よく飾らない味であるが、〆加減というか温度・のどごしがとても良かった
量が多いわけではないのにおなかの膨れるお蕎麦だった
蕎麦の実と黒米のご飯が少し付いてくるのもうれしい
別テーブルの方々は函館市内から2時間かけて食べにきたと言っていた

千軒地区は、福島町の一番東で知内からすぐ
福島の街へは千軒の西にあるトンネルを抜けなければならないから
昔なら一山越えた別の村というところだろうか

夜はひとりだから・・・と考えあぐねていたが、ホテルの近くに口コミ評判のよい
予約がとれない居酒屋があると知り、眉唾を承知で予約した
カウンターがないのでひとりでも二人用の個室に通され、障子が閉じられると
ちょっと悲しい
注文したのは、ほっけの刺身・イカのルイベ・函館牛乳製のチーズで作った地元のきのこ鉄板焼き・おすすめの男爵黒豚の餃子
* 男爵黒豚はこの土地のブランド豚で主宰はご存じだった
ほっけの刺身は北海道でも珍しい一品らしい、イカのルイベは最高!
函館牛乳のチーズはとってもシンプルでやさしいし、餃子はジューシー

素材のこだわりといいマイナスの要素がほとんどないお店だったので、
吟行幹事さんに紹介したところ、吟行会2日目の夜、クラブ活動に使うことになり
結局函館滞在中に2回も行ってしまった
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丁卯艦・山県久太郎の足跡を訪ねて

2011-05-19 20:16:59 | Trip&Bike
* * * * 様

ご無沙汰いたしております。 
先日、丁卯艦・山県久太郎の足跡を訪ねて函館~福島町~松前町を巡ってきました。
現地では福島町史研究会の方々が応対くださり、福島大神宮に残る砲台跡や楢崎頼三さんなど新政府(薩長)軍が一進一退の攻防を繰り広げた殿様(松前)街道を歩いてきました。

鏡山の砲台跡から津軽海峡を見下ろしたときは、この海にかの艦船が居たのかと思うだけでなんだか熱くなりました。

 当家の資料は、品川から宮古・函館へ向えという辞令、次は、箱館戦勝利の酒宴の書き付けなのですが、福島の史料にはその間の戦いや艦船・陸軍の動向が記されていました。
 作戦時の丁卯艦等の配置図もありました。村長に燃料石炭の補給を依頼するも、他の大型の艦船だけで石炭が底をつき、丁卯艦は青森側三厩へ慌てて補給をしに行った史料とかも・・こういった小話は当時の村長や宮司の日記などから読み解くのだそうです。

 気になっていた、わずか236tの小さな丁卯艦がどこまで役に立っていたのか?
については、「小さい故に大きな活躍ができた」とのことでした。旧幕府軍の開陽や咸臨丸が座礁しているように、津軽海峡の蝦夷側は遠浅が随所にあり、大型の艦船が動くのには不向きだったようです。丁卯艦は奇襲も含めてずいぶん素早く、また陸に近く活動したようでした。
 旧幕府軍の開陽が座礁してから、アメリカが旧幕府軍を見放し、新政府軍の勢いが増したことからも、小さいものには小さいものなりの働き方があると分かりましたし、船一隻が歴史を変えることもわかりました。
 新政府軍の艦船4隻は仲良く並んでくるくる回りながら艦砲射撃をしたそうです。信長が行ったと伝えられる火縄銃の三段構えの海洋版のようなものと理解しました。この戦法が功を奏したので、これはその後旅順港(203高地)でも作戦に使われ、第二次大戦では逆に日本が焼け野原になりました。

 昨年オープンした五稜郭内の箱館奉行所(中は資料館)にも箱館戦の展示がありましたし、ちょうど函館市立博物館でも幕末の企画展を催しておりましたので、いろいろ回って、あちらこちらで「丁卯」という文字を見つけることができました。

 現地を訪れてみて、福島では、つくづく戦争は戦地となってしまった地域の人々を苦しめる。と思いました。それと、函館ではヒーローは榎本・土方ら旧幕府軍で、だれも薩長はじめ新政府軍には興味がない。これも肌で感じました。

 先に記した「殿様街道」機会があったらお出かけください。萩往還を思わせる佇まいがありますが、落葉樹ばかりの森の中、木々の緑がとても優しくて、地面がふかふかで、冬でなければすてきな街道です。途中に松前藩が幕府に内緒で砂金を洗ったという池がいくつもありました。


最後に福島町の方々に、明治が落ち着いてからも久太郎は、「丁卯艦や別の艦で、ラッコの密猟取り締まりと測量のためこの地方を訪れているんですよ。」とお伝えしたら、とても興味深そうに話を聞いてくださいました。福島大神宮の当時の宮司の「日記にそんな話が出てくるかもしれませんね。」なんて仰って、今後も村長や宮司さんの日記の解読を進められるそうです。地道な研究活動に頭が下がりました。

おみやげに萩のしそわかめを持って行きました。
以上 長くなりましたがご報告まで。

江戸期までは箱館、明治9年から函館と表記するのだそうです。


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