サイドキック日記

酒場での愉しさは酒場までの道の愉しさに及ばず。
永美太郎の記録。

平易とは

2013-05-31 00:13:02 | LIFE
最近友人としゃべる時についつい癖で、あの作品売れてるね~、ま~ね~わかりやすいもんね~、などという風に一言で片付けてしまう。それも、わかりやすいという言葉を多少悪意を持って使っている。あまり良くない事だと思ったので、反省文。

わかりやすい、シンプル、単純、色々言い方はあるけれど私の理想は平易な作風です。平易っていうのは間口の事だと思っていて、入りやすいとか風通しが良いとか受け取りやすさの事だと思っている。なので、その更に奥もしっかりあるということだと思っている。作品のあり方としてもそういったものが理想だし、人間の考え方もそうありたいと常々思う。考え方というのは何のことかというと、問題に対する対処の仕方みたいなイメージ。私は、特に何かあるとすぐ不安に陥ってしまうタイプの人間で。例えば、明日死んだらどうしよう。みたいな考えなくてもいい事、無駄な事でもずっとそれが頭にこびりついて、夜夢の中でうなされるみたいな感じ。杞憂ってやつです。もう20代もおしまいの方なのに未だにずっとこんな感じで、我ながらこいつ大丈夫かと思う時もある。そういった不安に対する対処法のこと。局面を複雑化させて、霧の中に入るみたいな手法もあると思うし、そのように不条理に世を捉えるのも間違いではないと思う。ただ自分は平易に捉えることが一番落ち着くのでそうありたい。

予備校や大学生の時間のあるときにいろんなことをした、不安だったから。可能性みたいなことを信じていたんだと思う。いろんな本も読みかじった。哲学とか思想とか歴史とか勉強したら不安が解消されるかとも思ったけれど、どっちかというと深みにはまったような気もしている。でもまあ、結構必死に勉強した事は先に繋がったような気もしている。最近よく将棋の解説ばかり見聞きしているんだけれど、同じような考え方を見つけた。

将棋には定跡と最善手があってこの形の場合はこう指すべき、という理論がある。徳川の時代から続く将棋の歴史が鍛えた思考法。棋士の言う読みとはつまりはこういうことだと思う。手が見えるとか、そういったようにも言う。

馬鹿みたいに漫画読みまくったり、研究会に行ったり、映画いっぱい見たりしたおかげで最近は漫画を組み立てる方法がシンプルに落ち着いてきた。見通しが利くようになった気がしている。複雑な局面に陥った時にそれを平易にさばくのが腕だと思う。なので単純な事をわかりやすく理解させるよりは、多少複雑でこみいってるようなことをさばいていく腕を上げていければなあと思う。

みんな不安だろうし、わかりやすいのが好きやと思うけど。でもやっぱり日々難しいなあってなることのほうが多いしね。実際。



↑レペゼンロシアアバンギャルド、ステンベルクブラザーズのポスター