金曜の夜から月曜の昼まで京都の実家に帰っていました。父の還暦の祝いの催しで、親族が一同に会するということでそのために帰省しました。行きの電車の中でウラジミール・ナボコフ『ロリータ』を読み終わりました。ただただ傑作で、やっぱりワールドレコードクラスの作品は凄いなあ、と。長編としての話のボリュームの中に、物語を構成する時に必要な諸要素がこれでもかというほど詰まっていました。一般的に、物語には様々なジャンルがあります、ミステリーやアクションやロマンやナンセンスといった具合に。ナボコフのロリータには本当にその全てがあります、そしてその細部が連なって一つの大きな物語になっています。読み終わった後に大きな感動がありました。
実家に着いて夜、空っぽになっていた元自分の部屋で暇だったので駅前でDVDをレンタルしてきて観ました。
スタンリー・キューブリック 『ロリータ』1962年 153分
クエンティン・タランティーノ 『ジャンゴ 繋がれざる者』2012年 165分
キューブリック版ロリータはフィルム・ノワール仕様に出来上がっていました。なるほどなあ原作の持っている要素をこういう風に換骨奪胎するのかと感心しました。感心はしましたがいかんせん原作を読み終わって物凄く感銘を受けたばかりの状態だったので、少し食い足りなさを感じてしまったのも事実です。しかし、小説と映画を比べてあっちの方がこっちより優れているとかどうとかは、実にどうでもいいことです。元来が違うルールの元に成り立っているものです。サッカーと野球くらい違います、どちらも球技ですがそこが同じといった程度でスポーツとしては別種です、映画と小説はもしかしたらもっと違うかもしれません。ジャンゴはとっても面白かったです、痛快でした。タランティーのケレンは他の作家が用いるそれとは違った趣があります。嫌味がない。昔の作品には少しそういったものも感じられましたが、ここ最近はほとんどそれが感じない。そのことに物凄く驚きます。テーマやモチーフはあの世代特有のオタク臭いもののはずなのに、嫌になりません。多分、ただ好きなものと戯れているのではなくて、そこに意思や意義が見出されていて、その語り口に他の作家とは違った痛快さがあるように思います。
帰りの電車の中で車窓を流れていく景色を眺めながらふと、アニメ表現的なPANフォローについてぼんやり考えていたところ、漫画を描き始める頃から漫然と考えていた技法的な諸問題をかなりわかりやすく言語化出来るのではないかと思い立ちました。インスピレーションが降ってきたのです。とりあえず、ノートに3P位のメモを作りいずれもう少し具体的に取り掛かろうと思ったりしました。大江健三郎の『小説の方法』とか、ウンベルト・エーコ『小説の森散策』バルガス・リョサ『若い小説家に宛てた手紙』、といったような理論書を読むのが好きで、ついでにナボコフの『文学講義』もこの機会に読もうと、本棚にまだ未読になっている『賜物』も眠っていますが。理論書かどうか微妙ですが、漫画では山本おさむの『マンガの創り方―誰も教えなかったプロのストーリーづくり』は面白かったです。自分もかなりの理屈好きなので、いずれ自分の理屈を形にしたいものです。
フィールヤングを買って安野モヨコの『鼻下長紳士回顧録』を読んで、単行本にならなかった黄泉夜間や東京番外地の復讐戦がはじまったのかなと思ってみたり。久しぶりに実家に帰って時間を無為に過ごしまして、まあ色々でした。今年も残り少ないですが、今月中に原稿を完成させ次の道に向かって走り出そうと思います。
実家に着いて夜、空っぽになっていた元自分の部屋で暇だったので駅前でDVDをレンタルしてきて観ました。
スタンリー・キューブリック 『ロリータ』1962年 153分
クエンティン・タランティーノ 『ジャンゴ 繋がれざる者』2012年 165分
キューブリック版ロリータはフィルム・ノワール仕様に出来上がっていました。なるほどなあ原作の持っている要素をこういう風に換骨奪胎するのかと感心しました。感心はしましたがいかんせん原作を読み終わって物凄く感銘を受けたばかりの状態だったので、少し食い足りなさを感じてしまったのも事実です。しかし、小説と映画を比べてあっちの方がこっちより優れているとかどうとかは、実にどうでもいいことです。元来が違うルールの元に成り立っているものです。サッカーと野球くらい違います、どちらも球技ですがそこが同じといった程度でスポーツとしては別種です、映画と小説はもしかしたらもっと違うかもしれません。ジャンゴはとっても面白かったです、痛快でした。タランティーのケレンは他の作家が用いるそれとは違った趣があります。嫌味がない。昔の作品には少しそういったものも感じられましたが、ここ最近はほとんどそれが感じない。そのことに物凄く驚きます。テーマやモチーフはあの世代特有のオタク臭いもののはずなのに、嫌になりません。多分、ただ好きなものと戯れているのではなくて、そこに意思や意義が見出されていて、その語り口に他の作家とは違った痛快さがあるように思います。
帰りの電車の中で車窓を流れていく景色を眺めながらふと、アニメ表現的なPANフォローについてぼんやり考えていたところ、漫画を描き始める頃から漫然と考えていた技法的な諸問題をかなりわかりやすく言語化出来るのではないかと思い立ちました。インスピレーションが降ってきたのです。とりあえず、ノートに3P位のメモを作りいずれもう少し具体的に取り掛かろうと思ったりしました。大江健三郎の『小説の方法』とか、ウンベルト・エーコ『小説の森散策』バルガス・リョサ『若い小説家に宛てた手紙』、といったような理論書を読むのが好きで、ついでにナボコフの『文学講義』もこの機会に読もうと、本棚にまだ未読になっている『賜物』も眠っていますが。理論書かどうか微妙ですが、漫画では山本おさむの『マンガの創り方―誰も教えなかったプロのストーリーづくり』は面白かったです。自分もかなりの理屈好きなので、いずれ自分の理屈を形にしたいものです。
フィールヤングを買って安野モヨコの『鼻下長紳士回顧録』を読んで、単行本にならなかった黄泉夜間や東京番外地の復讐戦がはじまったのかなと思ってみたり。久しぶりに実家に帰って時間を無為に過ごしまして、まあ色々でした。今年も残り少ないですが、今月中に原稿を完成させ次の道に向かって走り出そうと思います。