サイドキック日記

酒場での愉しさは酒場までの道の愉しさに及ばず。
永美太郎の記録。

いちがつはいく

2019-01-29 01:51:00 | essay
いく、1月がいく。終る、去ぬる。gone カルロスゴーン…

2019年もはや、1月が終わろうとしている。終る、気が付いたら終わっている。それは月日ばかりではない。連載を、ウサギを追いかけるのろまな亀の童話の心境で、歯を食い縛りながら進めていた仕事が気が付いたら単行本にまとまって刊行されることになり、月末に発売する。その待望の顕本が家に届いた一月中旬、某日、その時、宅配員が不在表をドアの隙間に挟んでいるその頃、レデイオヘッドはパブロハニー随一の名曲、クリープ(のボサノバカヴァーヴァージョン!!)が薄く流れる喫茶店の2階席で、私は恋人にふられた。

幼い時分からよく物を無くす子供だった。通知表には忘れ物が多いと毎回書かれた。だからかどうかは知らないが、ある時期から物に執着することをしなくなった。どうせいつかはなくなるのだと思うとどんなに素敵な物事や時間があったとしても入り込むことに対する違和感ばかりを感じてしまって嫌だった。思春期になって友人らが私たち一生友達だよとか言っているのをしらけながら眺めた。いつか終わるって本人たちも気が付いているのに何でああいう芝居がかったことが出来るのか不思議だった。そんな人間でしたから今も付き合いのある地元の友人は一人もいません。

そして、同じようなことをまた繰り返してしまった、そう思った。彼女にふられた理由は単純で、私が漫画に手一杯になりそれ以外の事を余りにも蔑ろにしてしまい、愛想をつかされたのだった。

昔、18の頃から26までの間1番仲良くしてた友人に絶縁にされた時も同じ様な理由からだった。その友人は私に音楽を教えてくれた友人で私は持っている漫画全てを彼に貸した。予備校で始めて知り合って、毎週梅田にある大きなツタヤに通って彼の進める映画を借りて、彼がヤフオクで安く映画の試写会のチケットを落として毎月のようにそれを観に行った。別々の大学に通うようになってからも夏はフェスにいったり。外付けのHDDいっぱいの曲を貰って、段ボール箱いっぱいの漫画を車で彼の家まで届けたりした。

絶縁されたのは関西コミティアの日だった。彼が短編小説を書いてそれを自分が漫画化したZINを作って売っていた。彼に小説を書いてもらって以降、漫画を描いてコピー屋さんで徹夜で本作って忙しくあーでもないこーでもないと一人でやっていて、即売会当日に彼から開始時間に行けばいいのか、とメールが来ていてその時自分はもう既に搬入で会場にいたのでその旨を返信すると、開場時間になり少ししてから絶縁のメールがいきなり届いたのだった。

その頃私は同人誌活動を忙しくしていた。漫画を描く理由が欲しかったのだ。どうにかこうにか理由をつけて必死に漫画にしがみついていた。だから、私は漫画を描くだしに友人を使ってしまったのかもしれない。漫画に対して誠実であることは他人をないがしろにする理由にはならない。ただ私が馬鹿だった。

漫画にかまけて大切な人を失うことほど悲しいことはない。結局ZINも友人に渡せずじまいだった。単行本見本を手にとっても感動に浸る余裕などは全くなく、いってしまった彼女のこで頭がいっぱいだった。彼女の協力なしではなし得なかった仕事だったのに、それを二人で祝うことが出来ないのが本当に虚しかった。

手元に残った物の影には、いってしまったものの幻影がこびりついている。あるいはそういった幻影の集合体の様なものを作っているのかもしれない。今度は一体何がいってしまい、何が残るのだろうか。怖くてしょうがない。



時間がたっている

2019-01-15 02:38:32 | essay
気が付くと時間はたっている。成人式が行われたようでSNSでは成人式の思い出が飛び交っていた。私は式には15年前に参加した記憶がかすかにある。式自体を漠然と嫌だなあと思っていて、しかしその思いを共有できる相手も特にいなそうなので、それ自体を悟られないようにふるまっていた気がする、無意識の内に。行かなきゃよかったのかもしれないが、私は成人式には行かなかった、と毎年言うような見ていて痛々しい大人にならないためにも行く意味があったのかもしれない。

あの年は2年浪人して美大に合格したけど、人より遅れてしまった自分のプライドを保とうとあくせく生きていた。若いということ以外に価値の欠片もないつまらない自分が心底嫌だったし、若い、ということ自体が嫌だった。若いと舐められる、大人からは馬鹿にされたような扱いしか受けないし、若くて馬鹿な自分を受け入れられるほど成熟してもいなかった。早く年寄りになってつまらなくて馬鹿みたいな自意識から解放されたいと心底思っていた。

十代の頃はとにかく全部が嫌だった。地元も周りの連中も家族も。漫画と映画の中にしか価値を見いだせなかった。周り総てが嘘つきに見えて仕方なくて、そのせいですねてしまっていた。漫画とか映画の中にだけ本当の、嘘じゃないことがあると思っていた。現実が嘘でフィクションが本当に思えるだなんて、全く逆なのに。自分を受け入れることが出来なかったんだろう、悲しい話だ。

自分が嫌だったものから遠く離れて、自分が好きだったものに出来るだけ近づこうと、そのことだけ考えて15年生きた。漫画家になって尊敬する漫画家と話していると、会話が出来ることがある。言葉が通じた喜びで嬉しくなってしみじみとしてしまう。旅の途中で泊った宿屋で偶然出会った旅人と話している様な感じ。こんな街に行った、こんな人がいた、こんな色の空を観た。自分が見てきたものとは違うんだけど、でも自分の旅にも確かにあった、そんな瞬間を旅の途中で交換しあえた喜びでいっぱいになる。

言葉が通じることは素晴らしい。でもこんなことはめったにない。今もSNSを眺めていると皆が何をしゃべっているのか全然わからなくなってしまい呆然とすることが毎日の様にある。十代の頃他人に感じていた違和感そのままの世界だ。他人が作った考え、他人が作ったしぐさ、他人が作った価値観でもってその場をやり過ごすためだけに時間が過ぎていく世界。その中だけであくせく生きて時間がたってしまったら…考えただけでぞっとする。

世界はそんなに単純じゃないし人はそんなに短絡的でもないということはわかってはいるつもり、世界に馴染めなかったのは自分の方だ。だから、自分は馴染めない世界と馴染めない自分の事をじっと見てる。じっとしていたら時間がたっている。時間がたてば大抵のことを忘れる。輪郭がおぼろげになって明瞭に見えなくなる。年をとっている。そうして風雨にさらされた地蔵のように、デティールがあいまいになったもののシルエットをつかみ取って漫画にする。そうしてこう言う。

この地蔵はあなたに似ている様な気がしませんか、と。









何かを書く

2019-01-03 15:58:30 | essay
また、何か書きたいと思った。漫画を仕事にし、自分の考えを形にしていくばくかのお金をもらって生活をしているけれど、もっと何も考えずに思ったことを形にしたい。漫画を描き始めていた時に考えていたようなことだ。

お風呂に浸かっている時、眠れない夜に布団の上で何度も寝返りを打っている時、珈琲を淹れようとして湯を沸かす炎を眺めている時。そういう時に頭に浮かんでは消えていく、甘くて酸っぱくて苦くてつかもうとすると消えてしまう、思い出とも言えないようなとりとめもない考えや記憶。そういう気持ちを大事にしたいといつも思っていた。我ながら子供じみていると思うが。

なぜまた書くのか、という問いに対する明確な答えはもう既に用意してあって「芸術の第一義は自己慰安にある」という私の好きな言葉に従っている。これは吉本隆明の『中学生のための社会科』の中での言葉だ。大学1年生の時この言葉にとても励まされた。そしてそこから数年煮詰めていって、自己という他人と共有できないものを普遍化することによって自己の慰めが他者の慰めにもなる、そういうことをしたらいいんだと思ってから漫画が違和感なく描けるようになった。

漫画というのはだから自己を普遍化するプロセスみたいなものだ。でも、その過程で失われていくものもひどく多い。大人になって言葉を多く知るようになって、自分の気持ちを出来るだけ違和感なく相手に伝えられるようになって、それはとても素晴らしいことだけど、子供の頃みたいに泣いたり走ったり叫んだりしなくなってしまった。そのことに少し似ている。

泣いたり走ったり叫んだりするようなことが書きたいのかもしれない。大人だからもうそういうことはしないのだけれど、昔そうであった記憶は心の中に残っていて、夢の中では今もあの頃のままだったりする。だから、休みの日にやることがなくて、でも家になんかいたくなくて自転車でただひたすら街をぐるぐるペダルを漕いで回っていた時みたいな。無軌道で、ただエネルギーだけのものが書けたらいいなと思った。