いく、1月がいく。終る、去ぬる。gone カルロスゴーン…
2019年もはや、1月が終わろうとしている。終る、気が付いたら終わっている。それは月日ばかりではない。連載を、ウサギを追いかけるのろまな亀の童話の心境で、歯を食い縛りながら進めていた仕事が気が付いたら単行本にまとまって刊行されることになり、月末に発売する。その待望の顕本が家に届いた一月中旬、某日、その時、宅配員が不在表をドアの隙間に挟んでいるその頃、レデイオヘッドはパブロハニー随一の名曲、クリープ(のボサノバカヴァーヴァージョン!!)が薄く流れる喫茶店の2階席で、私は恋人にふられた。
幼い時分からよく物を無くす子供だった。通知表には忘れ物が多いと毎回書かれた。だからかどうかは知らないが、ある時期から物に執着することをしなくなった。どうせいつかはなくなるのだと思うとどんなに素敵な物事や時間があったとしても入り込むことに対する違和感ばかりを感じてしまって嫌だった。思春期になって友人らが私たち一生友達だよとか言っているのをしらけながら眺めた。いつか終わるって本人たちも気が付いているのに何でああいう芝居がかったことが出来るのか不思議だった。そんな人間でしたから今も付き合いのある地元の友人は一人もいません。
そして、同じようなことをまた繰り返してしまった、そう思った。彼女にふられた理由は単純で、私が漫画に手一杯になりそれ以外の事を余りにも蔑ろにしてしまい、愛想をつかされたのだった。
昔、18の頃から26までの間1番仲良くしてた友人に絶縁にされた時も同じ様な理由からだった。その友人は私に音楽を教えてくれた友人で私は持っている漫画全てを彼に貸した。予備校で始めて知り合って、毎週梅田にある大きなツタヤに通って彼の進める映画を借りて、彼がヤフオクで安く映画の試写会のチケットを落として毎月のようにそれを観に行った。別々の大学に通うようになってからも夏はフェスにいったり。外付けのHDDいっぱいの曲を貰って、段ボール箱いっぱいの漫画を車で彼の家まで届けたりした。
絶縁されたのは関西コミティアの日だった。彼が短編小説を書いてそれを自分が漫画化したZINを作って売っていた。彼に小説を書いてもらって以降、漫画を描いてコピー屋さんで徹夜で本作って忙しくあーでもないこーでもないと一人でやっていて、即売会当日に彼から開始時間に行けばいいのか、とメールが来ていてその時自分はもう既に搬入で会場にいたのでその旨を返信すると、開場時間になり少ししてから絶縁のメールがいきなり届いたのだった。
その頃私は同人誌活動を忙しくしていた。漫画を描く理由が欲しかったのだ。どうにかこうにか理由をつけて必死に漫画にしがみついていた。だから、私は漫画を描くだしに友人を使ってしまったのかもしれない。漫画に対して誠実であることは他人をないがしろにする理由にはならない。ただ私が馬鹿だった。
漫画にかまけて大切な人を失うことほど悲しいことはない。結局ZINも友人に渡せずじまいだった。単行本見本を手にとっても感動に浸る余裕などは全くなく、いってしまった彼女のこで頭がいっぱいだった。彼女の協力なしではなし得なかった仕事だったのに、それを二人で祝うことが出来ないのが本当に虚しかった。
手元に残った物の影には、いってしまったものの幻影がこびりついている。あるいはそういった幻影の集合体の様なものを作っているのかもしれない。今度は一体何がいってしまい、何が残るのだろうか。怖くてしょうがない。
2019年もはや、1月が終わろうとしている。終る、気が付いたら終わっている。それは月日ばかりではない。連載を、ウサギを追いかけるのろまな亀の童話の心境で、歯を食い縛りながら進めていた仕事が気が付いたら単行本にまとまって刊行されることになり、月末に発売する。その待望の顕本が家に届いた一月中旬、某日、その時、宅配員が不在表をドアの隙間に挟んでいるその頃、レデイオヘッドはパブロハニー随一の名曲、クリープ(のボサノバカヴァーヴァージョン!!)が薄く流れる喫茶店の2階席で、私は恋人にふられた。
幼い時分からよく物を無くす子供だった。通知表には忘れ物が多いと毎回書かれた。だからかどうかは知らないが、ある時期から物に執着することをしなくなった。どうせいつかはなくなるのだと思うとどんなに素敵な物事や時間があったとしても入り込むことに対する違和感ばかりを感じてしまって嫌だった。思春期になって友人らが私たち一生友達だよとか言っているのをしらけながら眺めた。いつか終わるって本人たちも気が付いているのに何でああいう芝居がかったことが出来るのか不思議だった。そんな人間でしたから今も付き合いのある地元の友人は一人もいません。
そして、同じようなことをまた繰り返してしまった、そう思った。彼女にふられた理由は単純で、私が漫画に手一杯になりそれ以外の事を余りにも蔑ろにしてしまい、愛想をつかされたのだった。
昔、18の頃から26までの間1番仲良くしてた友人に絶縁にされた時も同じ様な理由からだった。その友人は私に音楽を教えてくれた友人で私は持っている漫画全てを彼に貸した。予備校で始めて知り合って、毎週梅田にある大きなツタヤに通って彼の進める映画を借りて、彼がヤフオクで安く映画の試写会のチケットを落として毎月のようにそれを観に行った。別々の大学に通うようになってからも夏はフェスにいったり。外付けのHDDいっぱいの曲を貰って、段ボール箱いっぱいの漫画を車で彼の家まで届けたりした。
絶縁されたのは関西コミティアの日だった。彼が短編小説を書いてそれを自分が漫画化したZINを作って売っていた。彼に小説を書いてもらって以降、漫画を描いてコピー屋さんで徹夜で本作って忙しくあーでもないこーでもないと一人でやっていて、即売会当日に彼から開始時間に行けばいいのか、とメールが来ていてその時自分はもう既に搬入で会場にいたのでその旨を返信すると、開場時間になり少ししてから絶縁のメールがいきなり届いたのだった。
その頃私は同人誌活動を忙しくしていた。漫画を描く理由が欲しかったのだ。どうにかこうにか理由をつけて必死に漫画にしがみついていた。だから、私は漫画を描くだしに友人を使ってしまったのかもしれない。漫画に対して誠実であることは他人をないがしろにする理由にはならない。ただ私が馬鹿だった。
漫画にかまけて大切な人を失うことほど悲しいことはない。結局ZINも友人に渡せずじまいだった。単行本見本を手にとっても感動に浸る余裕などは全くなく、いってしまった彼女のこで頭がいっぱいだった。彼女の協力なしではなし得なかった仕事だったのに、それを二人で祝うことが出来ないのが本当に虚しかった。
手元に残った物の影には、いってしまったものの幻影がこびりついている。あるいはそういった幻影の集合体の様なものを作っているのかもしれない。今度は一体何がいってしまい、何が残るのだろうか。怖くてしょうがない。