サイドキック日記

酒場での愉しさは酒場までの道の愉しさに及ばず。
永美太郎の記録。

最近の読書

2018-05-06 16:16:56 | BOOK
最近読書づいているというか仕事のためということもあるけど、よく本を読む。

安丸良夫『神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈-』岩波新書
安丸良夫『出口なお 女性教祖と救済思想』岩波現代文庫

などを仕事の資料として。後は半分仕事半分趣味で、

橋本忍『複眼の映像』文春文庫

などを読んだ。

安丸良夫の著作は、近代化における民衆の教化とそのイデオロギー的な内実がどういう力学で実行されていったのかということが、乱暴に言うと左翼教養主義的な筆致で書かれている。
大本教の開祖出口なおに迫った著作も江戸後期から大正末期までの近代化における下層民の出口なおが、如何なる矛盾と抑圧を内に秘め、それが神がかりとして表出する時に明治期より現れ始めた新興宗教(金光教や天理教)とどういう距離をとって内面的に、或は宗教団体として発展していったかという事が記されている。

近代化の矛盾を宗教的側面から捉え直す勉強のために読んだ本だったけど、これは芸術や文学が近代化をたどった道筋とやはり相似形を成しているのか、というのが一読した感想だった。

キリスト教に対して明治政府がいかに対抗するか、その過程で国家神道が形成されていったことは、近代文学や演劇の発生に伴って、それらが芸術的価値のために切り捨てていった民衆の中に根付いていた娯楽との統合を欠いたままであったこと、と同様なんだろう思える。

近代化における矛盾と葛藤は、単なる過去のことだとはどうしても思えない。
昨今のハラスメント問題におけるネットでの反応は極端なものばかりが目に付くように思うけど、私たちが生きている現代ですらこういった価値観の揺れ動く中にあって、矛盾や葛藤はいつの時代も常に付きまとっている。

個人や或はその時代が抱える葛藤の中に人間の営みがあるのだなあと思う。

黒澤明との『羅生門』の共同脚本によって脚本家としてデビューした大巨人橋本忍が、黒澤との特異な脚本開発の時代を振り返ったエッセイ『複眼の映像』は、いかに脚本が映画の良し悪しの基礎となるのか、それらはどのようなアプローチを持ってして成り得たのかを振り返って描いた青春期の記録だった。特に『羅生門』『生きる』『七人の侍』『生きものの記録』という一連の作品を共同で作り上げていく過程で、橋本忍がどのようにして脚本家として筋金が入っていったのかというところが、ドキュメントタッチで熱く語られていて、旅館に缶詰になって行われている脚本会議を真横で見ているような緊張感があり、一息で読み切ってしまうほどの熱さのある文章だった。

脚本家が監督の事を書いた自伝的エッセイは依田義賢『溝口健二の人と芸術』も非常にお勧めで、脚本家がパートナーとなった監督の事を書くということのアプローチの違いも感じられて良いのではないかと思う。

因みに黒澤といえばルーカスがリスペクトした巨匠であり、監督作のスターウォーズにもそのネタが多くちりばめられているが、ジェダイマスターのヨーダのモデルが依田 義賢であるのも結構有名な話のヨーダ………(ダジャレ!)