2023年12月3日 礼拝
「それでも井戸を掘る」
創世記26:15~26 清水和恵
今年のアドベントは「平和を祈る」をテーマに歩みます。
特にガザでの虐殺が終わるように心にとめて平和を祈りたいと思います。
創世記はその2/3がアブラハムとその家族の物語ですが、
2代目族長のイサクについて書かれているのは父アブラハムや
息子のヤコブに比して圧倒的に少ないです。
その中で、本日の聖書はイサクの人となりが表れている個所です。
遊牧民にとって井戸の確保は一族と家畜を守る死活問題でした。
イサクは次々と井戸を掘るのですが、その井戸をめぐってその地の人々と
争いが生じたため、結局イサクは断念し新しい井戸を求めてその場を離れます。
しかしついに平和のうちに井戸を得るというお話です。
イサクは父アブラハムや、子ヤコブのような強い個性を持たず存在感の薄い人物の
ように見えるのですが、なかなかのリーダーシップを発揮していると思います。
彼はやられたらやり返すのではなく、譲っていくのです。
争うことによって互いに傷つけ合うのを避けて、一族を守っていきます。
さらに結果的に、自分の堀った井戸を譲ることで敵対する人々の
水の確保に繋がっていきます。
現代で言うとイサクは非暴力平和主義者ではないでしょうか。
アフガニスタンで井戸や用水路を掘り、多くの人々(65万人)の命を救った
故中村哲医師の姿にも重なります。
彼はクリスチャンで、イエスの教えを実践した人でした。
また地元の人々から カカ・ムラド(中村のおじさん)と慕われ尊敬されました。
中村医師の遺した言葉に「やられてもやり返してはいけない」「真の平和は武器によらず
小さくても愛の試みから始まる」「神は共にある。苦難にもかかわらずではなく、
苦難をとおして与えられる恵みがある。」
「どこかの片隅で誰の目にもとまらないものにコツコツと自分のできることをする」
「一隅を照らす」
そのように語る中村哲さんは、現代のイサクのように映ります。
歴史をふりかえると戦争とは人間の領土争いで、勝った者が地を受け継いできたのです。
しかしイエスは「柔和な者幸いだ。その人たちは地を受け継ぐ」と言われました(マタイ5:5)
ここでの柔和は謙遜と言う意味があり、本田哲郎神父は抑圧された者と訳しています。
イエスは「争うな、暴力を行使して傷つけ合ってはいけない」と言われるのです。
イサクはイエスの教えと実践を先取りした人だと言えるのではないでしょうか。
結局、地を受け継ぐ祝福を受けたのはイサクでした。
イサクが寄留したゲラルは、今日のガザ地区のあたりというのも象徴的です。
ヘブライ語の井戸は子宮という意味があるそうです。
子宮は命を育み産む臓器です。
この子宮と言う言葉から「いつくしみ」という言葉が派生したそうです。
わたしたちに柔和でありなさい。いのちと平和の井戸を掘るようにと、
イエスの呼びかけが響いているのです。
【おまけの話】
今、NHK大河ドラマで「どうする、家康」が放映されていて、
2代目の秀忠が、偉大な父のようになれないで苦悩するという
姿が描かれています。
イサクもひょっとしたら、秀忠と同じような悩みを抱えていたのかも
しれません。けれども、彼は彼なりに族長としての責任とリーダーシップを
発揮して、弱小の部族をまとめて一時代を築いていったと思うのです。
2代目は大したことない、と評価され3代目で確立するというのは世の常でしょうか。
徳川幕府
でいえば家光でしょうか。
かくいうわたしも、新発寒の牧師2代目でした。
確かにたいしたことないのですが、そうですね。
たいしたことなく、凡庸でいき、3代目に繋げていきましょうか・・・。
「それでも井戸を掘る」
創世記26:15~26 清水和恵
今年のアドベントは「平和を祈る」をテーマに歩みます。
特にガザでの虐殺が終わるように心にとめて平和を祈りたいと思います。
創世記はその2/3がアブラハムとその家族の物語ですが、
2代目族長のイサクについて書かれているのは父アブラハムや
息子のヤコブに比して圧倒的に少ないです。
その中で、本日の聖書はイサクの人となりが表れている個所です。
遊牧民にとって井戸の確保は一族と家畜を守る死活問題でした。
イサクは次々と井戸を掘るのですが、その井戸をめぐってその地の人々と
争いが生じたため、結局イサクは断念し新しい井戸を求めてその場を離れます。
しかしついに平和のうちに井戸を得るというお話です。
イサクは父アブラハムや、子ヤコブのような強い個性を持たず存在感の薄い人物の
ように見えるのですが、なかなかのリーダーシップを発揮していると思います。
彼はやられたらやり返すのではなく、譲っていくのです。
争うことによって互いに傷つけ合うのを避けて、一族を守っていきます。
さらに結果的に、自分の堀った井戸を譲ることで敵対する人々の
水の確保に繋がっていきます。
現代で言うとイサクは非暴力平和主義者ではないでしょうか。
アフガニスタンで井戸や用水路を掘り、多くの人々(65万人)の命を救った
故中村哲医師の姿にも重なります。
彼はクリスチャンで、イエスの教えを実践した人でした。
また地元の人々から カカ・ムラド(中村のおじさん)と慕われ尊敬されました。
中村医師の遺した言葉に「やられてもやり返してはいけない」「真の平和は武器によらず
小さくても愛の試みから始まる」「神は共にある。苦難にもかかわらずではなく、
苦難をとおして与えられる恵みがある。」
「どこかの片隅で誰の目にもとまらないものにコツコツと自分のできることをする」
「一隅を照らす」
そのように語る中村哲さんは、現代のイサクのように映ります。
歴史をふりかえると戦争とは人間の領土争いで、勝った者が地を受け継いできたのです。
しかしイエスは「柔和な者幸いだ。その人たちは地を受け継ぐ」と言われました(マタイ5:5)
ここでの柔和は謙遜と言う意味があり、本田哲郎神父は抑圧された者と訳しています。
イエスは「争うな、暴力を行使して傷つけ合ってはいけない」と言われるのです。
イサクはイエスの教えと実践を先取りした人だと言えるのではないでしょうか。
結局、地を受け継ぐ祝福を受けたのはイサクでした。
イサクが寄留したゲラルは、今日のガザ地区のあたりというのも象徴的です。
ヘブライ語の井戸は子宮という意味があるそうです。
子宮は命を育み産む臓器です。
この子宮と言う言葉から「いつくしみ」という言葉が派生したそうです。
わたしたちに柔和でありなさい。いのちと平和の井戸を掘るようにと、
イエスの呼びかけが響いているのです。
【おまけの話】
今、NHK大河ドラマで「どうする、家康」が放映されていて、
2代目の秀忠が、偉大な父のようになれないで苦悩するという
姿が描かれています。
イサクもひょっとしたら、秀忠と同じような悩みを抱えていたのかも
しれません。けれども、彼は彼なりに族長としての責任とリーダーシップを
発揮して、弱小の部族をまとめて一時代を築いていったと思うのです。
2代目は大したことない、と評価され3代目で確立するというのは世の常でしょうか。
徳川幕府
でいえば家光でしょうか。
かくいうわたしも、新発寒の牧師2代目でした。
確かにたいしたことないのですが、そうですね。
たいしたことなく、凡庸でいき、3代目に繋げていきましょうか・・・。