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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

塩を持つ マルコ9:45∼50

2025年08月09日 | 礼拝メッセージ要旨
 2025年8月3日 平和聖日礼拝
  「塩を持つ」   マルコ9:49∼50
             清水 和恵

 北海道にしては記録的な暑さの夏。
冷えたスイカが美味しい季節ですね。
子どもの頃、不思議に思ったのは、塩そのものは
しょっぱいのに、甘いスイカに塩をかけると
なぜ甘くなるのだろう?ということでした。
 それを知ったこどものわたしはある時、
塩をたくさんかければ美味になるのだろうと思い、
かけ過ぎすぎてスイカがしょっぱくなり、
味が損なわれたことも思い出します。
本当にしょっぱい思い出です。

 少量の塩はいわゆる「かくし味」です。
たくさんの塩でなくてほんの少しで味がぐっと違ってきます。
このかくし味の用い方を知っていると、お料理も
ぐんと上達するのではないでしょうか。

 イエスは「塩は良いものだ・・・自分自身の内に
塩を持ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい。」
と言われました。(マルコ9:50)。
 この箇所の様々な翻訳があります。
「互いに平和を保ちなさい」(フランシスコ会訳)
「互いに平和でありなさい」(田川訳)
「互いに和らぎなさい」(口語訳)
「互いに和合して暮らしなさい」(新改訳)
口語訳は平安を、新改訳は調和を強調した訳になっています。
(もっとも新改訳2017年改訂版では、平和に・・・となってました)

 古代イスラエル人にとって塩は友情のしるしでした。
敗戦80年を迎えた今年、日本は軍備を増強して再び戦争への道を
拓く様相を見せています。
 ほんの少しでいいのですが、互いに塩を持ち
平和に過ごす歩みをして行きたいですね。
教会も塩のように地域に溶け込んで、平和を作り出すことができますように。
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