地には平和 岡島静子
1931年満州事変の年東京で生まれ、現在の義務教育の期間を戦時中に過ごしました。1936年2月26日東京市内で大変な事件(2・26事件)がおこり、家に閉じこもっていたという記憶があります。1937年7月7日小1の時、日中戦争が起こり、12月には南京陥落を祝う提灯行列で、近くの目白通りが一杯になりました。
1939年父の転勤で、和歌山県日高郡御坊に転居しました。全校生徒2000人という大きい御坊小学校は、皇紀2600年の記念行事で沸きました。
1942年11月下の弟が生まれてすぐ、父母が腸チブスで避病院に入院、退院直後の12月8日、日本は真珠湾攻撃、米英とも戦うという緊張感、父母がまだ病床という不安感を思い出します。戦時色は益々強くなり、毎月初め、未明の神社参拝、モンペ必着、食糧制限、衣料、文房具、本あらゆる生活用品が入手困難になりました。
1943年県立高等女学校に入り、軍人が教える教練という科目が増え、2年生から英語の授業がなくなりました。下級生は、農家の手伝い、上級生は工場動員という中、本土空襲で多くの都市が壊滅、1945年6月には住んでいた町にも空爆が始まり、空襲警報が鳴る度、手作りの防空壕に身を潜めました。
前年1944年出征した若くて明るい叔父がサイパン島で戦死しました。最近検索してみると、“生き地獄”という伊波さん88歳の話を聴き、サイパンの最後の悲惨さが改めて身に沁みました。
一番願うことは地上の平和です。科学の発展が戦争に利用されるのはたまりません。平和を祈りながらも、人間の愚かさを案じ、神様のお導きを祈っています。
(2020年8月2日 平和主日礼拝 証)