2025年6月29日 地区有志教会オンライン合同礼拝
「小さいものを用いて」 ルカ9:16~17
島田 直(札幌北部教会牧師)
多くの民衆に教えを語り、福音宣教に身を投じてきたイエスは、
ベトサイダという街に一旦退きます。
弟子たちとゆっくり過ごす時間を求めたのかもしれません。
しかし、イエスがベトサイダに向かうと知った人々は、
イエスの後を追ってきます。その数男性だけで5000人。
そこでイエスは、その人々を前に、教えを語りました。
話が終わった頃には、日が傾いていたといいます。
周囲には宿もなく、弟子たちが持っていた食糧は僅かしかありません。
そこで弟子たちは言います。「こんな場所では、人々に
食事を用意することなどできません。暗くなる前に家に帰しましょう。
そうすれば、彼らは自分たちで食べ物や、宿を見つけなんとか
するでしょう」と。
しかし彼らにイエスは呼びかけます。
「あなたがたが、彼らに食べ物を与えなさい」。
弟子たちは、慌ててもう一度、自分たちの手元にあるものを確認します。
そこにあったのは、パン五つと魚二匹だけ。五千人以上の群衆には
到底足りません。こんな小さいものではとても無理だと彼らは考えます。
その弟子たちを前にイエスは、そのわずかな食べ物を手に取り、
神に賛美の祈りささげます。その後、イエスは弟子たちに食べ物を
配るよう命じました。すると、不思議なことに、弟子たちの持って
いた食べ物だけで、すべての人が十分に食べ、満腹したというのです。
弟子たちはその時、悟りました。
神はわずかなもの、小さなものを用いて、多くの人々を満たされる
方なのだと。私たちもまた、自分の力不足を思い知らされることが
あるでしょう。
「もっと知識があれば」「もっと人に優しくできたら」――
そう思って、自分を責めることもあるかもしれません。
けれど、神はそのような私たちを、用いてくださるのです。
私たちが持っている愛情、思いやり、祈り……それは決して
無意味なものではありません。たとえわずかであっても、
誰かと分かち合うとき、そこに神の働きが起こるのです。
私たちは、生きる力を得るのです。
さぁ今日この時から、今私たちが携える愛を分かち合う道を
歩んでまいりましょう。その日々の中で私たちは、神の奇跡を
目の当たりにすることができるに違いありません。
「小さいものを用いて」 ルカ9:16~17
島田 直(札幌北部教会牧師)
多くの民衆に教えを語り、福音宣教に身を投じてきたイエスは、
ベトサイダという街に一旦退きます。
弟子たちとゆっくり過ごす時間を求めたのかもしれません。
しかし、イエスがベトサイダに向かうと知った人々は、
イエスの後を追ってきます。その数男性だけで5000人。
そこでイエスは、その人々を前に、教えを語りました。
話が終わった頃には、日が傾いていたといいます。
周囲には宿もなく、弟子たちが持っていた食糧は僅かしかありません。
そこで弟子たちは言います。「こんな場所では、人々に
食事を用意することなどできません。暗くなる前に家に帰しましょう。
そうすれば、彼らは自分たちで食べ物や、宿を見つけなんとか
するでしょう」と。
しかし彼らにイエスは呼びかけます。
「あなたがたが、彼らに食べ物を与えなさい」。
弟子たちは、慌ててもう一度、自分たちの手元にあるものを確認します。
そこにあったのは、パン五つと魚二匹だけ。五千人以上の群衆には
到底足りません。こんな小さいものではとても無理だと彼らは考えます。
その弟子たちを前にイエスは、そのわずかな食べ物を手に取り、
神に賛美の祈りささげます。その後、イエスは弟子たちに食べ物を
配るよう命じました。すると、不思議なことに、弟子たちの持って
いた食べ物だけで、すべての人が十分に食べ、満腹したというのです。
弟子たちはその時、悟りました。
神はわずかなもの、小さなものを用いて、多くの人々を満たされる
方なのだと。私たちもまた、自分の力不足を思い知らされることが
あるでしょう。
「もっと知識があれば」「もっと人に優しくできたら」――
そう思って、自分を責めることもあるかもしれません。
けれど、神はそのような私たちを、用いてくださるのです。
私たちが持っている愛情、思いやり、祈り……それは決して
無意味なものではありません。たとえわずかであっても、
誰かと分かち合うとき、そこに神の働きが起こるのです。
私たちは、生きる力を得るのです。
さぁ今日この時から、今私たちが携える愛を分かち合う道を
歩んでまいりましょう。その日々の中で私たちは、神の奇跡を
目の当たりにすることができるに違いありません。