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ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

We are all downwinders.

2012-03-15 00:11:24 | Weblog
~全人類は風下の人~

原発反対のデモ、3.11東京大行進at日比谷。約一万四千人の人が集まったそうだ。デモ行進のスタート場所、日比谷公園で行われていたピースオンアースには三万人の人が集まったそうだ。志を同じにする者が一同に会する瞬間に、心が少し震える。

デモ隊は、いつも警察に分断される。多過ぎる人数で団体を作ると、交通に影響を及ぼすからだ。だから、一つの集団はそれほど大きくはならない。当初五つの集団で形成されるはずだったデモ隊は、結果九つの集団になった。予想より人数が膨れたからなのかもしれない。予想以上に分断されたからなのかもしれない。日比谷公園から東電前、銀座、有楽町、霞ヶ関の経産省前を通り再び日比谷公園へ、約四キロの道のりを歩く。第一集団が日比谷公園に戻った時、まだ最後の集団はスタートしていなかったそうだ。
僕は第一集団でスタートして、最後の集団の最後方でゴールをした。だから全ての集団に混じり、観ることが出来た。無言で歩く集団有り、街宣車と共にシュプレヒコールをする集団有り、ドラムマーチと共に様々な楽器を鳴らす集団有り、歌を歌いながら進む集団有り、家族連れがメインの集団有り・・・。
数百人の警官を伴い、それぞれの主張を掲げながら街を歩く。ともすれば、それは少々恥ずかしいことのように思える。でも・・・と僕は想う。それは、この日本という国の人々が、主張を掲げることを恥ずかしいと思い込んでいるせいだからじゃないのか?と。正しかろうと正しくなかろうと、声を上げること、目立つ行動をすることを、恥ずかしいことだと思い込んでいるせいだからじゃないのか?と。どんな時でも行儀良く、どんな時でも我慢をし、それが良し、と思い込んでいるせいだからじゃないのか?と。
例えば、まるで理不尽なことだらけの校則に押さえつけられ我慢しながらも、学校以外では鬱憤を晴らしまくっている有名私学の中高生のようだと感じる。例えば、一見幸せそうに見えるが実は不満だらけの、独裁国家で暮らす人々のようだと感じる。
これは私見だ。価値観も考え方も人それぞれだ。ここでキング牧師やガンジーの話を出しはしないが、アラブの春に見える中東の民主化革命は、主張を恥ずべきものだと想っている国では、決して起こりはしない。自分の意見や自分の主張に自分の中だけで折り合いをつけている人々、不満や不平を内輪の仲間だけの愚痴で収めてしまう人々が大勢を占める場所では、何も起こりはしない。

僕もこの国で、この社会で育って来た人間だ。だから先に言ったような事を想ってしまうというわけだ。・・・少々恥ずかしいことのように想えるというやつだ。
はみ出さず、波風立てず、多少のことは我慢して、御行儀よく生きるのが平和でいい・・・

「ケッ、そんなのはイヤだね」

そう、それは価値観の問題だ。平和観と幸せ観の問題だ。だから、すべてはそれぞれの価値観が大事だという事になる。

支離滅裂気味になってきたので、一つだけ。
原発の問題も、東北の瓦礫の問題も、沖縄の基地の問題も、消費税増税の問題も、社会福祉の問題も、少子化の問題も、戦後賠償にまつわるアジア諸国との問題も、この国が持つ政治や行政のシステムの問題も、それが造り出した膨大な借金の問題も、過去と今と未来の問題も・・・
すべての人が、興味と関心のもとで主張を繰り広げ、主張をぶつけ合うことが出来たなら・・・すぐに解決してしまう問題ばかりなのではないか・・・今は本気で、そんなことを想う。それは・・・風下の人である、僕の主張だ。

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