ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

命と金の天秤

2011-06-15 21:44:34 | Weblog
一億総評論家の日本人。
二万人のデモはすごかったけど、もっと凄かったのは、それを見ているだけの、その姿を写真に撮るだけの、日曜日の新宿で遊ぶ、仕事をする、休日を謳歌する百万人の傍観者たち。頭上に放射能が降り注いでいる現実の中で、何の行動も起こそうともしない人たち。見えない何かと戦う福島で未来を奪われつつある子供たちがいるという現実の中で、何の声もあげようとしない人たち。頭では色々と考えて、口では色々と言うくせに、反対の意思も賛成の意思も示さない人々の姿。例え、百万人デモが達成されたとしても、九千九百万人の「どうでもいい」「どうにもできない」「どうしたらいいかわからない」・・・が主流なのは変わらない。

誰でも参加出来る「お祭りデモ」。気軽に参加出来る「お祭りデモ」。これには理由があるのだよ。誰でも自分の意思や意志を気軽に主張出来る場所であるのだよ。従来のデモのイメージとはかけ離れた柔らかなデモ。自由なデモ。過激な主張をする人もいる。お年寄りや子供もいる。老若男女、力の強い者弱い者も、健常者も身障者も、自分の意思や意志を自由に主張できるように、考えられたデモであるのだよ。投石や火炎瓶や放水車や催涙弾が飛び交うような、強硬手段ではない。なぜなら、一部の人たちだけで動いても何も変わらないということを、今誰もが知っているからなんだよ。そして、今変えないと手遅れになるという切なる想いを持つ人がたくさんいるからなんだよ。

自分の命や誰かの命よりも経済の方が大事だと思う人もいるだろう。便利さが減ってしまうことを死ぬ程嫌がる人だっているだろう。地球の未来、人類の未来なんてどうなろうが関係ないと、本気で思う人だっているだろう。地方に原発のリスクを押し付けた上で、「地方に住んでいるやつらがいけないんだ」と乱暴な意見を述べる人だっているだろう。どうせいつかは死ぬんだから、放射能で癌になったところでそれはそれで運命だと言う人もいるだろう。全部政府が押し進めていることなんだから、何をやったって無駄だぜと言う人だっているだろう。「原発反対!」と叫んだところで、どうせ何も変わらないよと心の底から思っている人だっているだろう。・・・それはそれでいい。色々な人がいていい。でも、そうじゃないと思う人は、声をあげるべきだろう。少しでも賛同できるのならば、行動を起こすべきだろう。気軽な気持ちでもいいから、参加するべきだろう。

原発の安全性が保障されて、どんな事象が起こっても事故何て起きないという現実が訪れたとしても・・・原発は安全ではない。人間は使用済み核燃料の処理の仕方を未だ知らない。福島の燃料プールだけではない。日本中の原発で、世界中の原発で、使用済み核燃料の処理に今だ頭を悩ませている。当たり前のことだが、原発を動かせば動かすほど無害にすることが不可能な猛毒が生まれているという現実。

テレビも新聞も、芸能界も経済界も・・・影響力を持つ者は誰も声をあげない。ほんの数人しか声をあげない。誰もが押し黙ったまま、いかにも今は平常時だとでも言うように、普通の生活を続けるように促しているように見える。

いつだって、選択は「天秤」に乗せられている。それを選ぶのは他の誰かじゃない。自分自身だ。・・・自分自身なんだよ。