幼少より落ち着きがなく、字を丁寧に書くという根性に恵まれず、嫌々、最速最短で字を書くようになった
お陰で字が汚いといわれ続けた
無理もない
自分で書いた字が読めないこともしばしばである!
誤字も多い
だらしない人間である
コンピュータのお陰で、やっとこの劣等感から開放された
そこで当初目覚めたのがフォントである
どのフォントにしようか等と面白がっていろいろ試した
しかしすぐに飽きた
大して興味はないのだ
ところが先日漢字検定のテキストを読んでいて、誤字ではなく、デザイン上許され許容範囲というものがあるということを知った
全てのフォントは勿論このデザイン上許される範囲内に収まる
これを見ていると、字として間違っていなくて、デザイン的に許されるぎりぎりの線というものがある
逆にデザイン優先で、間違った字というものも存在し得る
略字も許せば、ほとんどやりたい放題だ
何となく私の汚い字も、デザインの範囲に収まると納得した
この正しい字とデザイン的に正しいとの間で、熾烈な闘争があるにちがいない
間違った字だが、デザイン的に美しいというものも十分ありえるということだ
フォントデザイナーのことでも調べようかと思った
お陰で字が汚いといわれ続けた
無理もない
自分で書いた字が読めないこともしばしばである!
誤字も多い
だらしない人間である
コンピュータのお陰で、やっとこの劣等感から開放された
そこで当初目覚めたのがフォントである
どのフォントにしようか等と面白がっていろいろ試した
しかしすぐに飽きた
大して興味はないのだ
ところが先日漢字検定のテキストを読んでいて、誤字ではなく、デザイン上許され許容範囲というものがあるということを知った
全てのフォントは勿論このデザイン上許される範囲内に収まる
これを見ていると、字として間違っていなくて、デザイン的に許されるぎりぎりの線というものがある
逆にデザイン優先で、間違った字というものも存在し得る
略字も許せば、ほとんどやりたい放題だ
何となく私の汚い字も、デザインの範囲に収まると納得した
この正しい字とデザイン的に正しいとの間で、熾烈な闘争があるにちがいない
間違った字だが、デザイン的に美しいというものも十分ありえるということだ
フォントデザイナーのことでも調べようかと思った