「悪」というのも、個人を越えている
そこから「悪魔崇拝」「たたり」も生じる
悪魔崇拝には、それなりの祈りもあるし、祝福もあるし、感謝もある
だからそれは、宗教だ
そこまでしかいえない
いい悪いという前に、事実としてそうだと思う
そこから「悪魔崇拝」「たたり」も生じる
悪魔崇拝には、それなりの祈りもあるし、祝福もあるし、感謝もある
だからそれは、宗教だ
そこまでしかいえない
いい悪いという前に、事実としてそうだと思う
中世、カトリック教会がお金と引き換えに免罪符を売る
これが良く売れた
典型的な宗教の堕落ということになっている
罪をお金で帳消しにすることができる
罰金のようなものか
宗教ではあるまい
単なる金儲けである
しかし、免罪符を求める人の気持ちはわかる
つまり、リセットしたい
一から出直したい
忘れたい
免罪符でそれができるのなら、結構な事なのではないか?
少し安くすべきだとは思うが、宗教の堕落とあっさりいえないような気がする
リセットすることは、やはり宗教の重要な機能だ
これが良く売れた
典型的な宗教の堕落ということになっている
罪をお金で帳消しにすることができる
罰金のようなものか
宗教ではあるまい
単なる金儲けである
しかし、免罪符を求める人の気持ちはわかる
つまり、リセットしたい
一から出直したい
忘れたい
免罪符でそれができるのなら、結構な事なのではないか?
少し安くすべきだとは思うが、宗教の堕落とあっさりいえないような気がする
リセットすることは、やはり宗教の重要な機能だ
相撲の取り組みを決める
調子のよい者同士が、終わりになるに従って星を潰しあう
否が応でも盛り上がる
前日に親方が相談しながら決めていくのだ
こんな風に取り組みを決めるゲームはない
勝ち抜きでもないし、トーナメントでもない
日本人はこうした仕掛けが好きなのではないか?
最後に、一番重要な勝負どころを設定する
その場所の全勝負が千秋楽の最後の土俵に集約される
力士のどちらが勝とうが、このやり方自体は、常に成功している
勝負事が、勝負を超えていく
この聖なる場を客との相互作用で形成しことが、既に勝利だ
もはや誰が勝つかは、本質的ではない
最後の一番が全ての時間を栄光に満ちたものにする
負け越したものもこの栄光の一部に浴する
来場所もある
調子のよい者同士が、終わりになるに従って星を潰しあう
否が応でも盛り上がる
前日に親方が相談しながら決めていくのだ
こんな風に取り組みを決めるゲームはない
勝ち抜きでもないし、トーナメントでもない
日本人はこうした仕掛けが好きなのではないか?
最後に、一番重要な勝負どころを設定する
その場所の全勝負が千秋楽の最後の土俵に集約される
力士のどちらが勝とうが、このやり方自体は、常に成功している
勝負事が、勝負を超えていく
この聖なる場を客との相互作用で形成しことが、既に勝利だ
もはや誰が勝つかは、本質的ではない
最後の一番が全ての時間を栄光に満ちたものにする
負け越したものもこの栄光の一部に浴する
来場所もある